昼は会計、夜は「お会計!」 -4ページ目

昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
テーマは、ブログ、会計あれこれ、医業未収金管理、小説・本、エンターテイメントなどなど。

先日本欄でも書いたが、テレ朝系の羽鳥慎一モーニングショーでほぼ毎年やってる睡眠のための専門家の先生が紹介していた時計。金額もさほどではないとのことでネットで調べたらAmazonで二千円しなみたいなのですぐ注文した。配達は結構かかって昨日やっと届いた。驚いたことに中国本土から発送されてた。取説が各国語で書かれてるが日本語もあるが親切でないので大変わかりづらいもので、苦労したがなんとか、年月や時刻の設定などすんだ。夕方になってベッドの上には、赤く時刻が表示されていた。液晶画面は通常の緑色なのだが、小さなプロジェクターから発せられるのは赤い色で、明るさを変えてもしっかり見える。千円台でここまでできるというのも、中国の技術力も大したものだと感心しながらも、個別には室温や湿度が出るが、それを時刻と一緒には表示できないのだ。どうやらもう一ランク高いものならできるみたい。最初に睡眠の先生が言ってた、夜中に時間を確かめるために時を見る操作だけでも睡眠障害となるというのが改善できればと思いだけだった。だから、買う前によく調べればいいのだが、私の悪い癖で、いったん決めたら冷静でいられなくてすぐ注文してしまったのだ。今はもう3千円ちょっとでどうやら時刻の他に室温や湿度が同時に投射されるらしい機種が欲しくなってる。

 ベッドが頭のところで反対方向にあるかみさんは、天井に映るからと見せたが、自分の枕元に百均で買ったデジタル時計でみれるからいいと頑迷だ。そういう動作が睡眠を遮るのだと教えたけど聞かない。(ただデジタル文字の特徴か時刻の数字が天地が逆だと不思議と正しく読めなくなっていた)

 いずれにしても、夜中に目が覚めた時に、つい腕時計にいきそうだがハッと気がついて天井見ると時刻がわかる。初めての夜だが、なるほどこれなら腕や身体をいっさい動かないで、目を開ければ時間が確認できた。まあ、これでしばらくは様子を見るということ。

世間がお盆休みの真っ只中、土曜日に東京の息子家族がやってきました。カミさんは朝から車を出させてサントムーンまで買い物に行き新鮮な魚など買い揃えて

、いわば万難をはいして準備。息子一家は特にどこかに行きたいとか、何かをしたいとか無いそうで、家でゴロゴロ。夕食は毎度お馴染みの手巻き寿司。それへ、下の孫が異常に食欲を示すのが嬉しくてたまらないようで、今回も一口で頬張る様もすごい様子だった。昨日は朝ごはんもしっかり食べて、あとはゴロゴロ。お昼に何を食べるかあれこれ迷って子どもがじゃんけんで、ケンタッキーのテイクアウトに決まり、私たちも久しぶりにハンバーガーを食べた。そして1時過ぎに食べきれなかった食材を持たせて帰って行った。

滞在24時間未満だったとかみさんは嘆いていた。

 ただ今回の収穫は、1日も中学に登校したことがない上の孫が、プリスクールに行ってたのだが、自分から毎日行くと言って、さらにその先のいわば延長のような高校に行くことも決まったというのだ。いま。そういうスタイルが世間でも増えてるというし、それなりに安定してきたということか。、だが、頭髪が青く染まってるのは、なんともなんともだが、ちょっと口にしたら息子に激しく非難されてしまったので、もう言わない。夕刻には下の子から、今着いたよ、と広報係めいたことをしてくれた。

これまでテレビや予告編で注目していた映画だ。史実に基づくフィクションという位置付けらしい。戦艦と違って小回りがきく駆逐艦としていわば海軍の何でも屋的な任務を担っていたという。そして最後は自軍の船が攻撃を受けた後乗組員を救助することを大きな任務にしていて、兵員たちも、必死に自らの役割を懸命に務めていた。そうして終戦まで船も生き延びて復員船としても活躍して連合軍に賠償として船を取られたという。

 ただ、従来の軍記物と違って、意外だったのは、連合国側が太平洋戦線でぎやくしゅうしてついに沖縄への総攻撃をかけた時の、日本軍の対応は、もうひこうきもない船舶も残り少なくなり、沖縄への総攻撃をかけるのは日本軍としては「最後の戦いとなる」とか「燃料も片道分」でと司令部から言われた時に、会議に招集されていたかなりの中堅幹部(各艦艇の船長クラスなど)から、意を唱える発言がかなり出ていた。曰く「最後の戦いだからと燃料も片道分とは、「死に行け」というなと同じことそんな無駄な戦いはあり得ないとか、様々な意見が出されていた。今まで聞かされてきた戦艦大和の物語や太平洋戦争末期の物語りから言って、戦後の日本の事まで考えたら若い人、優秀な人を連れて行くわけにはいかないなど、そんな議論を軍部内部でしていたといのは、唯一新鮮な話ではあった。

 ラストにかけて戦死するものが出たり、軍事局面での個々人の行く末などが物語りを広げて行くのだが、ナレーションで、幹部の死が伝えられたりする中で、終戦後の復員船の模様や人々の生活が描かれて、時系列がぐちゃぐちゃになっていたのは、雑に過ぎていたのではないかと映画作りとしては、ちょい頂けない。 だから回想シーンなのかリアルなのかわからないまま個々の家族の映像がカットで挿入されても、頭の整理ができない。

 いっさいの俳優陣を書いてこなかったが、錚々たるメンバーをそれぞれ配置されてたし、ちょっとだけでもすごい俳優さんを配置していたので、個別の紹介は省いた。

最後にエンドロールを待ってたら案の定というか、内閣の関係だったり、防衛省だったり会場自衛隊など、どこまで補助金が出て、協力であったのかわからなほど多数出ていたことに猛烈な違和感を感じる。映画名は出さないが、戦争シーンを含めて相当、CGでやったという映画もあった。ここまで、内閣、自衛隊からのお金や協力が必要だったか、映画作りの姿勢として言わざるを得ない。

 先月に「木の上の軍隊」を観たが、戦後80年という事で今までの軍事ものとは違うものがやっとで始めた通ってもいいのかもしれない。