大会前には昨年中の國學院大の2連勝を受けて、今年の箱根で3冠もあるかと言われてたが、終わってみれば、初日、山登りの5区で見事に逆転して、そこからは山下りの6区は区間新の大記録で後続を突き放すとトップをを譲ることなく、最後はアンカーに初めての一年生起用までして、万全の優勝であった。瀬古さんが箱根は山を制するものが勝つとの言葉通り、山の登りと下りが区間賞という絵に描いたような勝ち方だった。
注目したのはゴール地点に奥様で寮母をしている美穂さんを呼び寄せてたこと。選手たちに胴上げされてた。そのことには、「がんばって人が報われる社会でなければと思う」と批判を覚悟で美穂さんを表舞台に出したらしいとも。その上で美穂さんも「もうそろそろ、私も監督もしゃべってるんですけど、終わりを迎える、後任に譲らなきゃいけない時期にきてまして」と記者団に語ったらしい。監督自身も「組織として青山学院陸上部を成長させるというメソッドでやってるんです。原がいるから強い、いなくなったら弱くなるという組織にはしたくなかった。明日、来年、再来年という話ではないですけど、近い将来バトンタッチがきます」と語り、自らも3月には58歳になることに触れ、「もう定年になだよ」とも語っておられる。
原さんは社会人ランナーの頃、中国電力で、かなり経営に関連したこと、人事育成などかなり勉強されたらしく、いくつかの場面で経営学、目標達成プログラムなどに関わる理論的なお話などをされている。
だから、青学大で監督になるかどうかの時にも、かなりきちんと長期計画や改善の理念を提出されたと聞く。因みに大谷選手が高校時代に書いたと言われる目標達成シードや自己成長のパラダイムを図式化したやつなども原さんはその業界的には常識的な方法論として理解されてたことに驚いたこともあった。
そのせいか、今回は意識的に美穂さんを登場させたかと思えば、意識的に自らの去就に及ぶ話をされたようだ。ただ「自分は大八木さんとは違うから」という余計な一言多かった。
ところで、原さんに早くから注目していたのは、彼が私と同じ広島県の三原市の出身であること。彼は三原市一中で、私は三原市三中で陸上競技部にいた.彼は、そこから県内の名門世羅高校に進学した。ところで私が中3の時だったか、新たに赴任された陸上部の顧問が世羅高校出身でかつ父親が世羅高校の校長だか教頭経験者だということもあって、夏合宿にからの実家(世羅町)て部員30人くらいだったと思うが、広い実家でやらせてもらった。練習も世羅高校のグランドを借りてやらせて貰った。当時、中学生にとってもあまりにも有名な世羅高校陸上部の人たちが同じグランドの遠くで、練習されてたこと。同じグランドで練習しただけでも、なんかすごい経験したような気になったものだ。
そんなこんなで、郷里の人の話しによれば、市が主催する様々な会で原さんが講演されたり、新聞等によく出たりされていたので、同郷の誉高い有名人なのだ。
かれが、青学大監督去就に触れたということは、更に将来別な分野でも活躍されるだろうから、今後も見守っていきたい。ただ、周りに煽てられて政治家にはならないでもらいたいと思っている。できればスポーツ分野で活躍してほしいと思ってる。
私自身は早稲田が往路順位を一つ落としたが、下馬評にもなかったのに上位争いをしてくれたので、来年への期待を呼び起こしてくれたのはよかった。いい正月でした。