23日に観たのが「霧の淵」、今日観たのが「陰陽師0」いずれも本(脚本)があるのか、いやあるのだろう。しかし、それを監督はどう読みこなし、どのように映像化しようとしたのか、さっぱり分からない。「霧の淵」は、その自然な景色と風土などを観た人がどう受けとめるのか考えながらキャメラを回したはずだが、映像を見る限りただただ、ドキュメンタリーのような映像が続く。時々、ストーリーらしきものを受けた母娘の会話があるが、それを意味していることなどほとんどわからない。パンフにえる監督が長期に現地に滞在して取材したことがことさら書いてあるが、だからどうしたっていうのが、分からない。まして新人な、奈良出身女優が、いるだけで存在感はあるが、その彼女が何かを喋ったり、演じていることが意味あるようには思えない。
陰陽師については、大河ドラマの予習、復習を通じて多少、安倍晴明について知ってることがあるが、やはり何が何だか分からない映像、とりわけ今風にCGなど多用しているが、何を描いているかが分からない。しかしこの映画では、後半に映像を蒸し返しその意味を説明するが如き映像が繰り返し出てくるのだが、それが意味することがさっぱり分からない。ただ、奈緒さんや彼女の衣装などの雰囲気だけから感じることを味わっていればいいのかと思ってたら違うらしい。それにしては観てる人を置いてきぼりにしていく。
「霧の淵」は、最初から最後まで観ている人、お金を出して劇場にまでから人のことなど、監督の頭にあったのかすら疑わしい。
敢えて2作同時に書いたが、最近の映画はこうした観る側の存在を無視したかのような映画が堂々と商業映画として多数あるのが、嫌に目についてしょうがない。