実際の障害者殺傷事件を題材に2017年発表された小説「月」(辺見庸)を原作に映画化するという大胆な作品。タブーとされる領域へ深く入り込まざるを得ないであろうことは容易に推測できる。撮る側も演じる役者さんたちも、かなりの覚悟や熱量を必要とされたはず。しかしみんな熱演というか好演であった。
売れなくなり書けなくなった小説家洋子(宮沢りえ)と夫(オダギリジョー)は慎ましく暮らしている。洋子が森の奥深い重度障害者施設に勤めることになる。そこで職員による入所者への心ない扱いや障害者への拘束や暴行が行われている。それを施設長に訴えても相手にしてもらえない。そんななか、さとくんと呼ばれる職員(磯村勇斗)は入所者に寄り添おうとしているが、彼の中で正義感や義憤が爆発しそうになっていく。そんな彼が政治家に文章を送ったことから、法的に措置入院で強制的に入院させられるというエピソードが入ってくる。これで、事件は起きなくなるかと少しホッとした気分になったが、何の脈絡もなく「2週間後」という字幕とともに彼がニコニコしながら病院から出てくるシーンが続いた時に、強烈な違和感を感じた。危険という判断で行われる措置入院からそう簡単に出られることはない。ともあれ、その後のさとくんは自己の主張がだんだん鋭利化していく。こちらの問いかけに何も答えられない者は、人ではない、だから排除されていかなければいけないなどと主張し始める。
かたや洋子は妊娠5週間であることを告げられ悩む。それは、夫妻の歴史が語られ、最初の子供が障害を持って生まれて、入院時の医療ミスなどで更に意識もなくなり3年で、生涯を閉じることになったことが重くのしかかっている。洋子は二度と同じことは繰り返したくないと悩む。
職場で起きていること、自分自身に起きたこと、これから出産に伴う不安など、どれも知らぬ顔でいられることではない。私自身も福祉系大学で学んだが、自分の二番目の子どもは、妻が妊娠中に既に重複障害の可能性を指摘され、さらに超早期早産による極小未熟児(当時)で、多重障害児であろうと、大学病院に入院した。そこで、まず、私が呼ばれて、どうしますか?と、書かれた。えっと聞き返したが、要は堕してくれというのかということだった。十分知らされていない妻にも言えないし、一人で抱えながら悩んだものだ。結局、そのまま産まれた子どもはいくつもの障害を抱え生後数週間の間に何回かの手術をしたが、結局、50日後に亡くすという経験がある。
洋子は、なぜか書く気になったの小説執筆に閉じこもるのだが、さとくんは確信もって凶行に向かって突き進む。
エンタテイメントとしては、重過ぎるテーマなのだが人の世で避けて通れない課題を深く突きつけながら、物語が進行する。そのテンポ感に息を呑む感じをしながら、久しぶりなら映画としていいものを観たなという感じがした。宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみ(洋子の同僚役)らの好演は、印象的でした。