今朝、たまたまチャンネルを回していた時に表記の番組に偶然出くわした。途中からだったのですが、「五木の子守り歌」の熊本訛りの歌いかたと抑揚に驚いたのだ。それは、何十年も前なのだが、実はお袋が何気に歌っていた時のそのものに(繋がるように)思えたからだ。明治生まれの母は仕事と家事に忙しく呑気に歌うことなどなかったと思うが、台所だったか、針仕事の時だったか、鼻歌混じりのように歌うことがあったのだ。その時の、熊本訛りの音が、昨日のその番組の趣旨も、「五木の子守り歌」の教科書的に伝わってるのではない、地元で伝わってる節を紹介されていた。その方は、その地方に伝わる様々な音曲、俗用などを掘り起こして伝えている方などだったのだが、何回か出てくる「五木の子守り歌」に、なぜか母が歌ってだことを思い出し、亡くなった後、家を整理していた時に(完全にボケていてあちこちにお金などを隠していたので整理というより)家探しをしていた時に、いくつかの歌集や手書きの歌集が出てきたことを思い出した。母は普段は旅行など行かなかったが、唯一仕事であるタバコの販売をしている専売公社の招待バス旅行には、行ってたらしい。そして、その時には積極的にマイクを回してもらって歌っていたと聞いて驚いただ。そんな姿は、身内の人間は誰も想像できなかったし、箪笥の引き出しから出てくる歌集に驚きながら、多分年に一回か程度のそのバス旅行だけかよほど楽しみだったのだろう。
その母が完全にボケていた時も、老健施設で車椅子で外へ連れ出そうとしたら、玄関から外の風景を見て「あら、ここは〇〇か?」と熊本の地域名を言って驚かせた。何十年も暮らした広島の地域名は終ぞ出てこなかった人だ。
日曜の朝早い時間に、突然、もう何年も前に亡くなっている母を思い出させるって、あの「子守り歌」の切ない熊本訛りのメロディが、いっきにというか瞬間にして思い出せるので、音楽というよりこういうのが広い意味の文化なのかと痛感した次第。
変な朝だ。