映画『仕掛人•藤枝梅安 第2部』、小説『火定』 | 昼は会計、夜は「お会計!」

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先週、映画「仕掛人•藤枝梅安 第2部」を観た、

第一部を観た時に思ったけど、池波正太郎生誕100年記念と銘打っていたが、それに相応しい脚本、キャストなど全てで日本映画というか時代物の良さを堪能できた。たたネタバレになるといけないとの思いもあるが、なぜか今の時代に仕掛人というのご、説明なしに馴染む世代がどれだけいるのだろうと考えると、こうしたブログに上げるのもためらいがあった。ただ、他の映画の時にも感じるのだが、エンドロールが、出始めたら即席を立つ人がゾロゾロ出ることに、抵抗があった。が、1部でも、実は最後に2部への繋ぎのようなカットがあった。今回の2部でどうかなと思ったが、やはりエンドロールの最後にあった。やはり映画は最後まで席を立ってはいけない。

 ところで、小説「火定」は時代小説家の澤田瞳子さの作で、コロナ禍に見舞われた現代に、かつて平城京で、医療に携わってた人たちの苦闘の物語だ。私がもともとお母さんの澤田ふじ子さんが好きでよく読んでいたが、Kindleで調べたら新作が出てない気がして、たまたや瞳子さんの作品かいくつかあって、紹介文からかつてのパンデミック対応を読んでみた。これが、なんというか、時代背景がそうさせたのか、個人の名前や役所の名称、なとなど古めかしくややこしくて、読みづらい上に、澤田瞳子さん自身が、一文か長く、こねくり回したような表現が多く、読み進めるのに呻吟したというのが率直なところ。物語としても、その時代の役職や職種を踏まえての、職業意識や意地とかないまぜになり、複雑なストーリーとなっている。単純にパンデミックの教訓とも行かないし、複雑な境地で、たまたま映画の藤枝梅安を観た複雑さと同様な感じだったのだ、一応、足跡として、二つをセットにして紹介した次第。