そんな若いころはともかく、私は他の法人へ異動したり、して結局、その法人へ戻ったのだが、先生は多くの患者さんから信頼され、職員からも信頼され指導医や院長も経験し常任理事会で月に2回はあっていた。奥さんとは会うことはないが、働き続けながら3人の子育てをしていると聞いていた。このコロナ禍の時で身内だけで葬祭場で見送られたとか。
私が逝去の一報を聞いて、もっと詳しく知りたいと友人へ連絡入れたら、お互い懐かしくもあってあちこち話が弾んだ。その中で、ある医師が2年前に亡くなったのを知っていたか?と聞かれ、同じく知らなかったのでびっくりした。その二人ともかみさんもよく知っているので、外から戻った時に話したら、今日の話はともかく2年前に亡くなったのという話しは「何言ってるのその話しはその時にしたじゃない!」と言われた!もう唖然、私の中ではまったく記憶にない。最近、こういったレベルの話が時々ある。加齢というのはこうした経過を踏むことが多いのか。その癖、くだらないことで記憶鮮明な事も多い。(その例は枚挙のいとまがないが、泣くよウグイス平安京=794年平安遷都などなど)
なぜか、否定的なことなどが鮮明な記憶で残っていて、慚愧の念で夜中に目が冴えることもあるが、皮肉なものだ。
この違いってなに?