SMAP騒動一件落着を装う生会見でフジテレビは凄い視聴率をとるはTwitterサーバーが一時的にダウンするほど世間を騒がせた。まあ中谷防衛大臣や石破地方創成担当大臣などのぶら下がりコメントならともかく安倍首相に国会の場で発言をさせるなどは全くナンセンス。先日も書いたように90歳近い兄姉が代表取締役社長・副社長でさらに副社長の娘も代表取締役副社長で関連子会社の代表取締という全く同族経営というガバナンスもない会社に日本の基幹エンターテイメントの部分を握られていることがますます明白になったこの出来事はまたいつか書くが何となく不愉快である。
一方、軽井沢スキーバス事故は、犠牲となった乗客がさらに一人増え13人となった。犠牲者がみな大学生であることが解った時点で、この事故の悲しさをいっそう深くした。その悲惨な中で、不謹慎かも知れないが、早稲田大学4年の小室結さんの通夜・模様の模様が放映されたなかで、母親がテレビでは顔を出さないかたちでの路上であろう会見での話しにものすごく感激した。
Yahooニュースより(出典:産経新聞1月17日) 抜粋
通夜を終えた母親は「何でも経験したがり、走り続けていた子だった。国際的な街づくりに興味があり、大手不動産会社に就職を決めたようだ」と話し、「こんな大勢の方が集まっていただいて、幸せな21年間だったと思います」と静かに語った。
今回の事故で亡くなった交際相手の田端勇登さん(22)についても「親しいお付き合いをさせていただいていた。一人でなく、お友達と一緒に亡くなったので、寂しくないと思う」と涙をこらえた。
バス会社に対しては、「怒りで後ろ向きになるより、前向きでいたい。ただ、学生が親への配慮から格安のツアーを選ぶのは自然なこと。その自覚を持って格安でも満足できる旅行を提供してほしい。娘たちの死を無駄にしてほしくない」と気丈な口ぶりで語った。 **** 抜粋終わり
帰国子女で英語にも堪能で高校時代はバトン部で大学ではダンスや海外交流の部活動で活躍し、一方ゼミ活動や海外留学などもこなし、多くの後輩同級生などからも憧れで観られるほどの学生さんだったようだ。大手企業に就職も決まり、社会人になってからの夢もきちんともっていた「自慢の娘です」と言い切るお母さんの胸の内は、はち切れんばかりの思いだったに違いない。しかし、通夜の冒頭「結にやり残したことはなかったと思います」という両親のメッセージが読み上げられたという。葬儀後の母親のインタビューでも抜粋紹介以外にも「1分、2分を惜しんで予定を入れる子だった。親から見ても『なぜそんなに』と心配になるくらい急いで生きていた。21年間の人生を急ぎすぎてしまったのかな」と静かに語り、格安ツアーを選んだことに対しての意見の下りを述べられた。産経新聞の記事からは十分なニュアンスは伝わらないが、格安ツアーと呼ばれるものを「学生が選んだことは自然なこと」だと毅然と言い切ったこと、その言葉の中に随分と恵まれた環境で育てられたと思わせる数々の紹介があるなかで、ここのお母さんはある意味、大変つましく生きることを娘さんにも日頃から求められていたのだろうと思わせた。でなければ、なんで危ないかも知れない格安ツアーを選ぶことになったかということを悔やむことになったのだろう。ここまで学生としての生活のありようで、安いものを選んだ娘の価値観を「自然なこと」ときちんと擁護された。その上で、「そんな学生達の希望を安全に提供できないような社会ではあるべきではないと思う。そんなことを考えるきっかけになれば娘の死に報いることができる」とまで言われた。ここまで言われたときに、冒頭に述べた感動というか感銘を受けた。みんなから憧られるほどの美貌や才能あらゆるものを持った光り輝くような娘であり、これから更に光り溢れる未来となるはずの人生が、一瞬のうちに消されたときに、親がどのような態度をとれるか。多くの親が沈痛に沈み、何も話もできなくて当たり前で、多くの親が体調まで崩すというのが普通だ。
韓国のセオル号事故の時の韓国人の親たちの嘆き悲しむ姿と比較して、「日本人は・・・」などと言うつもりはさらさら無い。日本人も様々な人や様々な家族が居る。
そもそも逆縁というらしいが、いわゆる死ぬ順番が違うときに指す言葉。子が親より先に死ぬほどむごい逆縁はないとされている。いわんや先に紹介したように本当に今の若者の中でも最高に花を開かせようという自慢の娘さんを喪ったと解った瞬間から世の中が終わったような感覚を持たれたのではなかろうか。だから、あそこまで悲しみや怒りをうちに秘めながら冷静に娘を思いやりながら送ることができるのか、全く私は男の子しかいないが、自信も無いし理解できないからこそ感銘を受ける。
しかし、お母さんは触れられなかったけど、一般紙もどうでもいい重箱の隅をつつくような報道ばかりだが、ことの本質は小泉政権から続いてきた新自由主義的市場原理主義による、無節制な規制緩和路線そのものの結果だ。それは安倍政権になってさらに深化して、「規制」を「岩盤規制」とかいって敵視して、なんでもかんでも規制を撤廃したり緩和することを善とする政治、世の中の風潮を作ってきたのではないか。国鉄民営化、郵政民営化に始まり、タクシーやトラックバスなど輸送・流通の自由化などで、タクシー業界でいえば台数が極端に増えタクシー運転手の貧困化が問題になり、バス輸送と観光バスの規制緩和でいっきに格安ツアーや長距離バスが市場を拡大していって、それぞれもう一度規制を見直さなければと言うのが昨今の到達点なのだと思う。でマスコミも枝葉末節のレベルの諸手続が取られてないとか基準に達していないことを並べているが、そもそも規制緩和で誰もが簡単に観光バスを運行できるように規制緩和して、結果、過当競争でバスの値段がめちゃくちゃ下げられている時代にしてしまった。途中から規制を強化しようとして、国基準の委託価格など決めても、世の趨勢など変えられるものではない。タクシーの規制緩和もそうだった。結局、タクシーの運転手の生活保護基準以下の賃金が問題になったり、安全運行などまで影響が出始めて、ようやくタクシー台数制限という規制をかけようかという対策に出ている。いずれにしても、経済性のみ優先して、規制緩和を叫び、一見国民が生活しやすくなるかのような幻想を振りまきながら、産業界とりわけ大企業が自由に経済活動をやりやすくする、それが新自由主義による規制緩和の本質だ。昨今の「自由な労働」などと称して雇用制度をさらに「規制緩和」しようというのもそうだ。バスやタクシーのことなど関係ないと思っていたサラリーマンも実は、この雇用の規制緩和の進行でどんどん非正規雇用ばかりが増えて、正社員がどんどんすくなる時代を迎えて、初めて気がつき始めている。またこのような時代だからこそ、人生で病気や離婚などイレギュラーがあるとすぐ「下流老人」になるという危険が日本中に覆い被さってきたからこそ、もうそろそろ、少し旧い言葉だが「真の豊かさは何か」というような問いかけが必要なのかも知れない。
少し横道にそれたが、スキーというレジャーが下降線をたどっている時代に、格安バスツアーというかたちで若者達がスキーやスノボに戻ってきたというときに、バス転落事故の犠牲者(犠牲となった運転手達も含む)が警鐘乱打してくれたのかも知れない。やはり社会がそれらを受けとめて彼ら若い人の霊の供養としたい。