青山学院大学原監督の出身はなんと・・・・ | 昼は会計、夜は「お会計!」

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昨夜からの雪で東京も朝から各局で大騒ぎ。通勤時間帯には雨になったが、道路には雪が残り、風は強く昼食に外出してもびっくりするほど寒い。

駅伝好きで、今年の箱根駅伝の結果も本ブログで紹介し、原監督の新しい指導法やトレーニング理論などでここしばらくは青学全盛時代が続くかもと見通した。彼が、広島・世羅高校出身であることも知っていたが、同じ市内の出身だとは知らなかった。世羅高校は駅伝や長距離では当時から有名であったが、瀬戸内海沿岸の街で育った私たちには、だいぶ内陸の山間部に入った世羅町とはかなりの距離があるのと、仮に中学生で才能有りと言われた人も同じ県立高校だし学区制もあって世羅高校へ行くという選択肢は無かった。だから全く考えてもなかったのだが、先日、本欄に書いたように高校の先輩と呑んだときに「お前ならもっと知っていると思った」などと言われてしまった。
 それであらためてメディアによるプロフィールで同じ市内の出身であることすぐわかるのだが、市内のどこで暮らしどの中学出身なのかは、雑誌や講演などではなかなか見つからなかった。それが、原さんがサラリーマンから青学の監督に応募して10年で優勝させるとの約束に向かって、箱根出場しシード権を取るなどで注目をされ始めているときに、母校の中学の生徒や父兄の前で講演をされていたのを、地元のケーブルテレビの過去データで見つけた。
 私の出身中学は市内中心部に有りかつ最大のマンモス中学だったが、先生の出身校もナンバースクールの一つだった。一般のメディアではご本人が公表されていないのでここではあえて伏せたままとするが、男三人兄弟の末っ子で育てられ、教員をされてた父親の方針で、当時としてもかなり多くの稽古事・習い事に次々と行って本当に好きなこと、向いているかなどを様々にさせて貰ったと語られている。なお、学区制のことには触れられていなかったが、その市内から世羅高に行くことは当時としても比較的珍しいことだったようだ。
 まあ世代も全然違うが、同じ市の中学生陸上競技部生活をしていたという共通体験があったことがわかって、うれしかった。