牛乳の話し 続き | 昼は会計、夜は「お会計!」

昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
テーマは、ブログ、会計あれこれ、医業未収金管理、小説・本、エンターテイメントなどなど。

昨日のWBCはひやひやの辛勝。でもその方が良かったのかも。ところで、昨日、牛乳でご飯を食べることが三浦しをんさんには普通のことで、それが必ずしも世間では普通ではないことに驚いたこと、そして私も牛乳派であることを書いた。
今日は、なぜ私がそうなったかのおもしろ話を書いておこう。
うちの父親は小さい頃両親を無くし、神戸にある親戚の商売人の家に丁稚奉公に出て、そこで育てられた。特にそこのおばあちゃんに可愛がってもらっていたらしい。
親父は満州に夢を抱いて大陸に渡り、敗戦後はほうほうの体で引き上げて、瀬戸内海の小都市で商売をしていた。私が小学校低学年の頃、親父が法事かなんかで久しぶりに神戸に行って帰って来たら、突然、今度の日曜からキリスト教会の日曜礼拝に行く。朝ご飯はパン食にするから、と宣言した。どうやら敬虔なキリスト教信者のおばあちゃんに説経されたらしい。
数日後には、朝、近くの農家が農協に牛乳を出荷する途中、一升瓶に牛乳を分けておいていくようになった。その頃は給食に出るのは、脱脂粉乳のミルクで、一部のお金持ちの子供が親の文書で、ミルクを飲まなくていいことになったことが不思議だった。私はミルクというのはそういうものと思ってたが、(後でわかったが)本物のミルクを飲んでる人は、とても臭くて飲めた代物ではなかった(らしい )。のちのち同世代では給食のミルクを普通に飲んでいたかどうかが家庭の経済レベルを測る物差しになることがわかる。牛乳便で飲んでたかテトラパックかで世代もわかるということになる、

酪農家から直で搾りたての牛乳は間違いなくおいしかった。ところで、親父の教会通いは多分一カ月くらいだったと思うが終った。同時に、朝ご飯のパン食をやめる、ということになった。ご飯を食べないと朝早くからの商売には無理と思ったのか、宗教があわなかったのは、聞いていない。ただ日曜礼拝に行っていた時も、仏壇はそのままだったし、うちの中にマリア像や十字架などはなかったことは確か。

普段から新しがり屋で、うちにふさわしくない米軍払下げのアンプ、プレイヤー、スピーカーを突然運んで来た時などお袋は悲鳴をあげてたし、好奇心旺盛で日曜も、じっとしていなくてあちこちでかけるのが好きだった人だから、キリスト教も食生活とセットで、新しい生活スタイルと思ったのだろうか。

だけど、新鮮な牛乳はしばらく続いたので、ご飯を食べながら牛乳を飲むという習慣はすっかり私の生活に定着した次第。お陰で二人の息子たちも凄い量の牛乳を飲んだので、二人とも180cmを越える背丈で、アトピーや喘息持ちという異種蛋白というそちらの洗礼を受けた。