映画「小川の辺」(おがわのほとり)藤沢周平原作を観る | 昼は会計、夜は「お会計!」

昼は会計、夜は「お会計!」

会計をキーワードにコンサル業とASP(アプリケーション サービス プロバイダー)業のメールの二つの仕事をするmoriyanの言いたい放題ブログです。
テーマは、ブログ、会計あれこれ、医業未収金管理、小説・本、エンターテイメントなどなど。

 「小川の辺」を4月8日、三軒茶屋シネマで観た。昨日、アップした「一命」と同時上映。同シネマののすぐ隣に三軒茶屋中央劇場というやはり名画座がある。さすが三茶というべきか、こんな名画座が二つも並んで存在できていることがうれしい。私の名画座のホームは、飯田橋のギンレイホールだが、これからは三茶も要チェックとなった。
 さて、私が時代劇ファンとなるきっかけというか主要な要因が藤沢周平さんである。時の巨大な権力の下で苦吟する武家社会や農民、市井の人々をしっとりと表現する事に引き寄せられた。それは、最近の現代映画やドラマがあまりに近視眼的な視聴率や客を呼ぶための刺激的な表現や無駄なお笑い、性と暴力、人を殺めることが平気に頻繁に出てくることなどに嫌気がさして居たときである。以来、すべての藤沢周平作品を読みあさり、それ以降、次々と時代小説を買い求めていくことになる(鶴岡の藤沢周平記念館や藤沢さんの鶴岡時代の教え子が女将が経営する老舗旅館・九兵衛などにも行った)。
 それらの内容はまたの機会にして、2011年7月公開の本作は、庄内藩をモデルとした、藤沢作品おなじみの海坂藩が舞台。キャストは、主役の朔之助に藤沢作品では「山桜」(2008年)以来2度目の東山紀之、朔之助の友人と結婚した妹・田鶴に菊地凛子、朔之助の妻に尾野真千子、朔之助の友人で田鶴の夫・佐久間に、片岡愛之助、父に藤竜也、母に、松原智恵子。監督は、篠原哲雄。
 佐久間は、藩の農政のありようを痛烈に批判した上書によって謹慎を命じられる。その内容は、飢饉の中で苦しむ農民、十分な手立てが打てない藩政・藩主に対して、まっとうな正論ではあった。しかし、藩首脳は、佐久間をなき者にしようという動きが出て、佐久間は妻・田鶴と出奔する。藩は、討手をだすが、剣豪・佐久間に返り討ちに遭う。そこで、家老は、佐久間と並ぶ剣の使い手・朔之助に討手を指名する。いったんは、辞退を告げるが、御上の意向だと強行、討手を受けざるを得ない。父は、負けん気が強く、剣の使い手である妹田鶴が手向かってきた場合には「切れ」といい、母は、泣き崩れる。
 討手の旅に、朔之助や田鶴と兄弟同様に育った下男の新蔵(勝地涼)と出る。道中、幼年時代の回想の中でも、田鶴は兄・朔之助に反抗し、新蔵に助けられ、馴染む。
 やがて佐久間と田鶴が討手を逃れ密かに暮らしている下総の庵をようやく見つける。そこは、幼き兄妹や新蔵が遊び、思い出がつまっているのと同じ小川のほとりだった。

 朔之助は、藩命によりやむを得ず正論を吐く友人であり、妹の夫である佐久間の討手となり、場合によれば、実妹をも切らなけれなならない立場、そして父・母・妻のそれぞれの立場、封建社会の中で、義と情の狭間で懸命に生きていく人たちが鮮明に描かれた秀作だと思う。
 もう一人の主役とも言える、田鶴役・菊地凛子のすさまじい演技も好演。一方で、妻役の尾野真千子が何気ない表情や討手に行く前日の夫婦が寄り添うシーンなどは、藤沢さんらしい持ち味も出て光る。こういうのが旬の役者の存在感か。