昨日、三池崇史監督「一命」(2011年)を観た。先週、NHKBSで同じ滝口康彦さん原作の「切腹」(1962年小林正樹監督)も観たので、滝口ウイークとなった。
私は、滝口さんの原作「異聞浪人記」を、昨年の何月号だか忘れたが、月刊小説現代で再録されて、初めて読んで知った。もともと時代劇ファンで藤沢周平さんが好きだったので、どんぴしゃというところだった。
「切腹」は、脚本 橋本忍 主演に仲代達矢、脇に岩下志麻、丹波哲郎、三國連太郎等、音楽は、当時、現代音楽の巨匠武満徹。「一命」は、脚本 山岸きくみ 主演に市川海老蔵、千々岩求女に瑛大。満島ひかり、竹中直人、役所広司等、音楽に坂本龍一。
あらすじとしては、江戸太平の世、武士の役割・地位が低下し、そのうえ幕府の強引な改易・転封などで大量の浪人があふれていた時代。生活に困った浪人が大名屋敷に押しかけ「狂言切腹」でなにがしかの金銭を強請る事が流行っていた。
時の名門井伊家に津雲半四郎を名乗る浪人が訪ねてきた。武門の誉れ高い井伊家では、強請たかりに屈服するわけにはいかないと、家老斉藤勘解由が、先に同じように申し出てきた千々岩求女という若い武士が来て、庭先で切腹した経過を話し、思いとどまらせようとした。
津雲半四郎は、動じず本当に腹を切る覚悟がある、付いては、介錯について指名をさせてほしいと願い出る。そこから、過去の経過が描かれ、緊迫していくのだが。
で、一つひとつの感想というより、どうしても比べてしまう。当時の幕府と各藩の関係、武家社会の支配体制については、一命の方が丁寧にわかりやすく描き、その時代の下での求女に代表される浪人の疲弊した生活については、両方ともよく描かれていた。
武士の魂とも言える刀すら妻女のための生活費として質草となり、両刀は竹光。そのことが、切腹の場面で、壮絶な事態を呼ぶ。ようやく腹に刺しても、さらに井伊家側介錯人が、切腹の正しい「作法」を要求し、「もっと引け!」と叫ぶ。
求女の最後のシーンから半四郎の切腹の場面へ。家老斉藤勘解由をはじめ井伊家家人打ち揃う中、半四郎は介錯人に求女の最後にいたぶった者たちを指名するが、いずれも出仕していことから、緊迫していく。それはすでに半四郎の手によりあることが行われているからである。
半四郎役の海老蔵と仲代ではやはり貫禄が違うこと、大道具・小道具の伏線としてもみせかたと切腹は、モノクロであったことがいい結果をもたらしている。一命は、本来は3Dとか、私が観たのは2Dだが、これを3Dで見せられてもなぁ という感は否めない。求女切腹シーンが伸ばし過ぎで、さらに3Dでは、あまりにもグロ過ぎないか。このシーンのためだけに3Dにしたのかも知れないが。なお、一命は、半四郎の剣も竹光であったが、(多分、原作にはない)その割に殺陣の時間が長く、少し違和感ある。
いずれにしろ、奇しくも切腹は1963年カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞、一命も2011年の同映画祭にコンペティション部門で上映されたが無冠に終わっている。
なぜ、今、滝口康彦かというのは、やはり現代に通ずるこのが多いからでは無かろうか。江戸幕府の強引な幕府体制維持のための諸侯大名への経済的負担締め付け、その中で生きる武家(官僚)の生き方、その中で、浪人とは、体制が生み出した現代の下請け・孫請け労働者、非正規雇用の増大とまったく、似たような社会現象である。滝口さんが一環として、下級武士・浪人を描き(その点では、藤沢周平さんとも同じだが)、その中に、「怨み」「恨み」というものえ貫いているところが滝口作品の特徴でもある。
文庫本「一命」の中の他の小品についても、ぜひ映像化を誰かがして欲しいと期待している。