やはり五輪前半戦は日本にとって思うようにいかない種目が次々と、出てきている。男子バレーの初戦ドイツ戦の敗退、女子ばれーも初戦敗退、女子柔道阿部詩選手の二回戦敗退、水泳は池江、瀬戸大也選手の無惨な敗退などなど。
私は普通の国民として総花的に俯瞰して観ているが、驚いたというかある意味怒ったのは、阿部詩選手の二回戦敗退での大号泣だ。会場中に聞こえるような大号泣で子どもが駄々を捏ねるというような声に出す泣き方。審判員まで出てきたりコーチが抱き抱えるように畳からおろして抱き抱えて退場となったが、優しい会場の観客から拍手や「Uta. It’s!」の大コール。私は客席に居るはずの両親が親戚の人が前に出てきて「詩!やめなさい!しっかりしなさい!」と叱責してくれないかと思ってた。その思いも叶わずの泣き声が響き渡る会場の様子が居た堪れなかった。世界のスポーツの中で唯一といってもいい日本発の柔道が五輪の席で開催された、試合会場では日本人には珍しくないが、互いに礼を交わすというまさに武道としての柔道が世界に受け入れらているシーンにある種の感動さへある。そこで、試合後の礼もままならず、成り振り構わず大号泣は、柔道の経験者としてはまったくあり得ない。テレビで天才卓球少女と言われた少女が試合で負けると母親のもとに走り、大声で泣いていたシーンそのものだ。
試合後の会見も避けていたが、4時間後会見での様子によれば相手は世界ランクの一位であることも分かっていたし、警戒もしていたという。それでも、「兄妹金メダル」という大目標が叶わなかったからというのは、兄弟愛より前に、一人の柔道家として五輪選手として、まったく失礼な話なのだ。そこで、その会見でも自分が取り乱してことを詫びるような話出てもいなかった。「兄はきっとやってくれる」という話だ。
こうしたことを長々と書くこともどうかと思うほど、爽やかだったのが、スケートボードな、14歳、15歳な、金銀メダリストだ。14歳の吉沢選手の様子をあった映像では、日本人選手だけでなく他の国の選手たちと共に技の成功を喜びあったり励まし合う姿に、これまでの古いスポーツ感に縛られた競技とは、まったく新しいスポーツが育っているのだと痛感した。何十年も前に14歳で水泳平泳で金メダルの岩崎選手が記者団に囲まれて「生きていて一番嬉しかった」とか話していたあの頃、あの感情ともまったく違うよえだ。