パリ五輪 世界と比べることに慣れよう もっと体格重視すべき | 昼は会計、夜は「お会計!」

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パリ五輪も陸上競技も始まり、折り返しというより終盤の雰囲気。 今日は久しぶりに定期受診で東京へ向かってる。節約の日で小田急利用。

 日本が負けな試合などで審判の疑惑や監督交代論とか様々出てくる。ただ騒ぎ過ぎという感が否めない。私自身は、バレーを見てもバスケを見ても、やはり身長差、体格差か相変わらずで、女子サッカーの対スペイン戦見たが、大人と子どもの試合にも見える。明らかに屈強な人が駆け寄るだけでわ、か弱い日本人選手は跳ね飛ばされてしまう。バスケも男女とも小柄を活かす敏捷な動作、スピードで対抗したり、3ポイントでなんとかしようというのは

分かるが、シュートしたポールをリング上から跳ね返すなどのシーンや、どんなに素早くゴール下に持ち込んでも目の前に立ちはだかる人が手を伸ばせば何もできないなどのシーンを何回も見るた、やほり身長差はどうしようもない。バレーも男女とも、技術以前に絶対的身長差の壁はかなり大きい。

 この間、各種目で海外で活躍することで国際試合に慣れてきた選手も増えていることも事実。しかし、スピードを活かすなど特殊な分野での期待ではないか。バレー、バスケのようなところでは、身長差のハンディはなかなか跳ね返さない。 

 日本で生まれた柔道は、体重別が普通になっている競技。そんなものはボクシングくらい。だとしたら事実上、グランドの上の格闘技化している競技では、体格重視の指導、教育、選抜など路線を転換すべきであろう。例えば、女子サッカーなど、どう見ても他の種目と比べても身長の低い人が多い。それでもやれるという伝統をなでしこあたりが作ったかもしれない。

インターハイなど見るとバレーもバスケもかなり背の高い人が増えてる気はするが、やはり背が低くてもやれるという名残が色濃く残ってるようにみえる。(誤解を恐れずに書けば日本も国際結婚が増えて人種的な混合というのか、それの影響も大きい)

 背の低い生徒、青年を排除しろといっているのではない。適性にあったスポーツを支援するということではなかろうか。

 しかし、一方では、中学、高校のスポーツで部活がなくなったり、チームが成りなくなっていて、地方大会さらに満足にできなくなっているのも紛れもない現状だ。ラグビーなどまともな県代表すら選べないとか、野球ですら合同チームが増えている。少子化が進む日本では、根本的にスポーツ政策を見直さなければならないかも知れない。

 ただ、紹介したように「スポーツウォッシング」とはいえ、明日は8月6日、原爆投下された日だ。せめて慰霊の日に相応しい日にしてもらいたいものだ。