『怪奇大作戦』第14話~第26話 ざっくり感想
【第14話】
「オヤスミナサイ」
人里離れたコテージで起きた殺人事件。犯人は、まさかの牧さん!? しかも被害者は、その寸前に一度殺されているはずの男――という、『怪奇大作戦』の中でもミステリー色が強い作品。かなりヤバい立場に追い込まれているけど、今回ばかりは町田警部も味方に回って、牧の無実を信じている。対応が第7話の助さんと違うのは何故でしょう(笑)。真相は一人二役と睡眠中の催眠とを駆使した殺人の隠蔽だけど、ちょっと取っ散らかっている感は否めない。犯人の男も、弟に成りすまして登場したは良いけど、あのコテージまで死体運んできたの? とか、知らなかったとはいえ弟に扮しても、結局捕まるよ? とか一個一個詰めが甘い。真相の露見の仕方もアホ過ぎ。科学的なトリックは本作の場合かなり控えめなんだから、いっそのこと完全に添え物として、本気でミステリー仕立てにすればシリーズ中の異色作として脚光を浴びたかも。最後、愛を失ってしまったヒロインを車に誘う牧さんの男ぶりや、SRIがそれぞれに牧さんを信じて行動するところなんかは、登場人物の描写としても良かったと思う。
【第15話】
「24年目の復讐」
上原正三脚本の極み、とでもいうべき作品か。同時に、牧という人物の過去の一遍が分かる重要な作品でもある。横須賀に駐屯している米軍ばかりを狙った殺人。犯人は船が撃沈され、海の底で呼吸ができるようになった水棲人間。悲しいことに戦争が終わっているとも知らず、米兵ばかりを狙っている――。史実にも山奥だか島だかで生活していて終戦を死ならなかった人がいたという話だから、1968年当時は、これがもっとリアルに感じられただろう。専門書『怪奇大作戦の挑戦』に上原さんのことが結構なページを割いて書かれていて、それを読むとこの「24年目の復讐」が、彼だからこそのストーリーであることがよく分かる。SRIの中での中心は、前作に続いて牧さん。今回は、姉と名前が同じだという千恵子さんに心を寄せ、終戦を知らない水棲人間の木村さんに感情移入し、戦争のトラウマを呼び起こされて、いつもの彼にも似ない感情をあらわとする。ボッコボコにされても千恵子さんに協力を頼みこむなど、真相究明のためには自他ともに厳しい牧さん。助さんが女性と一緒になるとロマンスに発展するけれど、牧さんが女性と一緒になるともう少し精神的な繋がりというか、メンター的な関係になるのは、俳優あるいはキャラクターの持ち味の違いでしょうか。第15話は、上原正三ならではの脚本の味と、牧の描写が最大の見どころで、水棲人間の設定や結末は若干ぼんやり。最後に自爆したのは、やっぱり敗戦のショックからなのかなあ。非常に物悲しい水棲人間の末路の後に、お口直し的にオフィスでの会話を入れてくる辺りが、『怪奇大作戦』の信頼できるところでもある。
【第16話】
「かまいたち」
『怪奇大作戦』2クール目における初期の大傑作。真空装置を使った突発的殺人を繰り返す殺人犯。その正体は、出稼ぎにきた、取り立てた特徴もない、ごく普通のまじめな男……。殺人に至った動機も、彼の心情も、一切語られることはなく、殺人という事実だけを明らかにして物語は終わる。この恐ろしいほどに深く深く心に染み入る後味の悪さ。やっていることは荒唐無稽ながら、犯人の描写という点では『怪奇大作戦』の中でも特筆すべきものがあり、現代にもじゅうぶん通用する「理由なき殺人」の代表的な作品として数えられるべきもの。本当に、この犯人の設定が秀逸すぎて、だからSRIも、犯行の手口は割り出せても犯人については「牧さんの何となく」でしか見当を付けられていない。ここが上手いところで、警察は勿論SRIの中でも牧さんの判断に疑問を持つことになる。これは今までになかった展開。結果的には牧さんの「直感」により、睨んでいた男が犯人であると判明するわけだけど、でも捕まえたからと言って、そこから新しい何かが分かるだけではない。一切が謎のまま。あるいは本当に恐ろしいのは、こうした無差別かつ突発的な人殺しを生んでしまう社会や環境や時代に求められるのかも知れない――と、そこまで想像を逞しゅうしてしまう。人の業という点では『怪奇大作戦』中、最も恐ろしく、最も忘れがたい話に仕上がっている。
【第17話】
「幻の死神」
タイアップ先行の作品? と思いたくなるほど、中身がない――と言っては失礼にあたるのだろうか。印象に残るのが、的矢所長と助さんの粋な浴衣姿くらいしかないんですもの。水面に浮かび上がる巨大な女髑髏とか、ビジュアルは面白いのに、トリックとしては「密輸をごまかすため」という、ちょっと浅薄すぎるものになっている。誰もが気づくところだけど、あんなものを水面にデカデカと出したら、かえって目立つよ。密輸特別捜査官の人たちにも目を付けられていたんでしょ? 女の死体が出た、消えたとか、途中に微妙な謎が入るのもいただけない。プロットとしてとっちらかり過ぎな気がするし、そもそも真相自体にさほど魅力がないのが残念。せっかく瀬戸内海まで繰り出したのに残念だけど、『怪奇大作戦』の中でも、完成度は下の下に位置すると思う。
【第18話】
「死者がささやく」
「オヤスミンサイ」同様に、人の心を幻惑させて罪を着せようとする話。ただし今回は「指紋」という別要素も入ってくる上、そこそこ規模の大きいグループ犯行なので、最後まで「だれも信用できない」感が独特の持ち味となっている。が、この幻影タイプは食い合わせが悪いというか……どっからどこまでがトリックで、どっからどこまでが濡れ衣を着せられた男が見る幻想なのか、よく分からない。真相を地下銀行と絡めて無理に事件規模を大きくすればするだけ、濡れ衣を着せる相手が何の変哲もない――っていうか、そもそも被害者を殺す動機がない男を引っ張り込む理由が、よく分からないんだよね。真相の露見のきっかけも、向こうからの無意味な働きかけなわけで、SRIの功績としては、指紋偽装が明らかにできた部分かもしれないけれど、全体的に、ちょっと弱い、っていうか、ピンと来ない1作。
【第19話】
「こうもり男」
みんな大好き、ダンディな的矢所長にスポットをあてた回で、彼に一方的逆恨みを抱く男の復讐劇。この「こうもり男」の前身を逮捕したことで科学捜査の重要性が裏付けられ、後のSRI発足に繋がることが仄めかされる。日々忙しくて、中々息子にかまってやれない所長の姿とか、そんな所長に気を聞かせて、的矢家と仲良くしているとか、平時のSRIの人間関係がうかがえて良い。まあ真相はある程度先読みできるし、いったんは的矢所長を捕まえられたのに、その時に何で活かして返したのかとかよく分からないし、こうもり男にキングアラジンほどの魅力がないしで、いまいちパッとしない出来なんだけど、今まで皆をサポートする立場だった的矢所長が主役を張る本作と次作は、なんだかんだで好きだったりする。今度はSRIの面々が所長を全面的にサポート。彼らの深い関係性がうかがえて、そこもまた良し。
【第20話】
「殺人回路」
これも好きな回! 脚本の市川森一さんは、監督にあれこれ改変されてご立腹だったらしいけど、そういう裏を知らずに観ると、娯楽作品としてよくできている。コンピューターが家庭に一台どころか、手軽に持ち歩けるなんて夢にも考えられていなかった時代に描かれた、コンピューターによる殺人。この殺人方法のビジュアルが、絵から抜け出てきたダイアナを模しているというところも、最新科学と古典ホラーを上手く組み合わせた感じがして好き。ダイアナが絵から抜け出るところの合成は、『怪奇大作戦』の中でも相当にクオリティが高く、すごく面白い映像になっている。SRI側の主役は今回も的矢所長で、旧友のために体を張る。静かながらも漢気に滾るところが渋くてカッコいい。所長以外にも、今回はそれぞれの人物の「人情」がうかがえる描写が多く、所長の旧友も、情にほだされて殺人を躊躇うプログラマーも、みんな良いキャラしてる。SRIの面々も、いつも以上に活き活きしていて、軽口を叩き合う関係が微笑ましい。最後は珍しく、ビルの屋上から都会を見下ろす二人のシーンで終わり、『怪奇大作戦』らしからぬ? 爽やかな余韻を残す。『怪奇大作戦』の代表的作品――って感じではないけど、シリーズの中でも個人的には好感度の高い一作。
【第21話】
「美女と花粉」
序盤のテンション高い牧さんが好き(笑)。「恐怖の電話」時の、真相究明のためなら鬼になる牧さんの面影はなく、さおりちゃんとオシャレなお店でご飯。歩きながらのおしゃべりも、お店に入ってからも、とかく面白な牧さんが、珍しくも魅力的。その店で起こった事件から一気にSRIモードに。事件現場の遺留品から手掛かりを検出し、真相を探るSRIらしい調査方法が改めて丁寧に描き直される。19・20話が的矢所長回なら、今回はさおりちゃんの回。前作「殺人回路」でも大活躍だったけど、今回は誰よりも能動的に事件解決に乗り出す。マニキュアを塗った指からじわじわと黒く変色していくのは中々に怖く、その死に顔のアップをバックにしたシリーズ屈指のホラータイトル。全体的にジトっとした大人向けのテイストで、トルコ風呂も出てくるよ! ――って、これを19時台に放送してたんかい(笑)。ただ、時々コミカルなシーンも入れてくれるから、しんどくならずに観ていられる。ホンの段階では、実は被害者たちは死ぬところまでは行かず、顔が醜く変形したまま生き続けるという、より救いのない展開だったらしい。それはそれで観てみたかった気もするが――個人的には『怪奇大作戦』って、大人まで間口を広げつつも、そうした残虐趣味にまで行かない絶妙なバランスが持ち味の一つだと思っているので、現行の「美女と花粉」の抑制されたアダルト感でも満足です。
【第22話】
「果てしなき暴走」
『怪奇大作戦』は終盤に至っても見応えのあるエピソードが多い。これもその一つで、『怪奇大作戦』のフォーマットでしかできないことに挑戦している意欲作。怪奇=事件がなんら解決されないままに終わってしまう、これが凄い。車社会であると同時に交通事故社会でもある都会、特に十数秒ごとに事故が起きていた当時、特定の犯人を設定して、それに責任転嫁するような結末にはできなかろうから、大いに納得。排気ガスの中に錯乱するガスを混ぜて事故を誘発するというのも、けっこう現実味があって怖いし、事故ばかりで人命軽視が当たり前のようになっている怖さを、ヒッピーの若者二人に仮託するあたりも大したもの。暴走した車がお墓に落ちて大爆発というシーンにささやかながら特撮が使われていて、ちょっと嬉しくなってしまう。この話が凄いのは、実行犯の名前さえ分からず、もちろん黒幕なんて見当もつかず、本当に闇に塗り込められたように終わってしまうところであり、そこを不満と思うどころが、言い知れぬ説得力に圧倒されてしまうところ。こういう話を空想科学に仮託して伝えられてしまうところにこそ、当時の円谷プロの真に優れたところがあったのではと思う。
【第23話】
「呪いの壺」
実相寺監督による京都編その1。これまでと全然雰囲気が変わって、お昼のサスペンスドラマを見ているような気分。古都のカラーを活かした寒々とした画風が『怪奇大作戦』のテーマやストーリーと、まあ見事に調和している。今回は贋作をめぐる連続殺人事件。今の京都ともまた違った、どんよりと色褪せた京都の街並みの中で、偽物の「骨董」を売りつける古美術商と、そこを破滅させ、父親の才能と悲遇を白日に晒したい犯人。物語は犯人の側に寄り添って、彼の心象を中心に展開していく。また、犯行の動機があくまで「贋作」を白日に晒す=自分の犯行が暴かれることにあり、そのためになり振り構っていないというのも、これまでの犯人とはまた違った感じがして良い。犯人が利用しているリュート物質が、旧陸軍の研究所から採取されていたものであるなど、大戦の戦火を受けなかった京都において、戦争の影を語るところも興味深い。でも何が一番の見どころって、やっぱりラストの寺炎上のシーン。放送当時、本当に寺を燃やしたと思った視聴者から、「まさか、うちの旦那寺じゃないでしょうね!?」という問い合わせの電話が殺到したという、そんなエピソードが残るくらい、真に迫る炎上シーン。6分の1(なぜか瓦だけは4分の1)スケールで作られたミニチュアを大炎上させ、アップを多用する(本当はメインカメラの不良が原因)ことで、寺を構成する諸々が炎の中に消えていく様が克明に映し出される。短いシーンながら、印象に焼き付いて離れない。『怪奇大作戦』屈指の名場面。
【第24話】
「狂気人間」
これは……おそらく永遠の封印作品となるであろう、最大の問題作。ただ、何かしらの形で見れちゃうのが、今の時代の怖いところ。実は『怪奇大作戦』で最初に観たのが、この『狂気人間』でした。人間を一時的に狂わせて殺人を起こさせ、「心身の喪失者はこれを罰せず」という刑法のため、犯人は無罪となる。同じく刑法36条をテーマにした映画、別にあったよね? この第24話は時代が時代で、平気で「き〇がい」とか言っているし(これは他の話でも同じ)、精神異常者の殺人描写が明らかにヤバかったりで、さすがにギョッとしました。同じく封印されたウルトラセブン第12話「遊星より愛をこめて」は、封印の理由が外的要因にあって、封印されているという「話題」がなかったら、凡作の部類に入ると個人的には思っているんだけど、この「狂気人間」は封印される理由が完全に話そのものにあって、しかもドラマ自体はスリリングで相当に尖っているから、なおさらタチが悪い(笑)。これはさすがに、封印が解かれることはないんじゃないかなあ。「これは封印されている作品です」ということを大前提として見るなら、これがまたそれなりに面白いから困る。インパクトが強いシーンも多いし、何よりラストの歌が入るタイミングが完璧。「狂気人間」で思い出すのは、実はあの凄まじいエンディングの導入だったりする。
【第25話】
「京都買います」
「怪奇大作戦」でも特に名作の誉れ高い「京都買います」が、最後から2つ目ってのが凄いよね。改めて「怪奇大作戦」の引き出しの豊かさに恐れ入る。「呪いの壺」に引き続いての京都編。実は京都編の2作は、捻じ曲げられたり、軽視されたりする「歴史」に対する怒りや悲しみが犯行の原動力になっているという点では共通しているし、そこにこそ舞台が京都であることの最大の意義がある。それに加えて、東京都は一風変わった(しかし若者が向く先は東京と同じ)京都で、初めて牧さんのロマンスが語られる。これまでは女性キャラとあっても、その人のメンター的な立ち位置にとどまっていた牧さんが、初めて想いを寄せる女性、その結末が悲しい。岸田森さんが演じるからこその味わいで、想い人への気持ちと真相究明の使命、二つの間で板挟みになってもだえる牧さんの苦悩を、多彩な表情で表現している。実は特撮はそれほど重視ではなく、人物のドラマで見せているのも特筆すべきところ。「怪奇大作戦」に魅せられた多くのファンの方々と同じように、わたくしも京都編2作は、他の話とは一線を画した独特な立ち位置の、そして見ごたえ満点の作品に仕上がっていると思うわけであります。
【第26話】
「ゆきおんな」
いよいよラストエピソード。「京都買います」とは違って、これは終盤の雪女の合成特撮がなかったら絶対に成立しないシーンで、ここは本当に素晴らしい。地平線の向こうに、ゾッとする微笑を浮かべた雪女が現れ、どこまでも追いかけていくシーンは凄絶の一言。ストーリー自体は、昔盗んだダイヤを娘に託したい父親と、それを狙う嘗ての仲間の暗躍が中心で、父親の協力者とかは、それほど重要な役回りでないのが残念。22話「果てしなき暴走」以降、重々しいテーマや画風のドラマが続いていたからか、最後の「ゆきおんな」は何となく牧歌的で、ダイヤ泥棒の娘とさおりちゃんとを保護、監視するためにSRIの面々がそれぞれ別の役に扮してホテルに潜り込んでいるなど、スパイ? 的な要素も足されていて楽しいし、皆エンジョイしてるなあって感じ。最後は牧さんが「雪女」の原理についてざっくり説明した後で、みんなで野原に散らばったダイヤ探し。不思議な後味を残す作品でもある。下手に大仰な結末を持ってこず、あくまでも事件の一つとして決着をつけ、「SRIの活躍は今後とも続く」ということを無言のうちに語るエンディングで、「これで終わりじゃないんだよ」感が爽やかでもあり、一抹の寂しさ、あるいは物足りなさにもつながっている。かくして全26話。科学の力で謎に挑戦する5人を描いた勇壮かつ重厚なドラマが、幕を下ろすことになる。
ということで、『怪奇大作戦』全26話マラソンでした。
久しぶりに見返した話もあったので、楽しかったです。「死神の子守唄」や「かまいたち」、「果てしなき暴走」、京都編2作は、改めてとんでもない作品だなあと思いました。『怪奇大作戦』の凄さを実感するには、これらの作品がおススメです。
娯楽性重視というか、コミカルな要素も含めて楽しみたいのであれば、「壁抜け男」「散歩する首」「殺人回路」「美女と花粉」なども、個人的にはおススメですね。
全26話を見返して、『怪奇大作戦』のどこに魅力を感じるかを考えた結果、僕個人としてはやはりSRIというプロ組織の中の人間関係の描写だと感じました。冷静沈着で、常に的確なサポートを行う的矢所長。ストレートかつ熱血漢でロマンスが生まれやすい助さん。SRIの頭脳で、陽と陰の気配を巧みに表せ持つ牧さん。前の3人ほど優秀じゃなくて、観客に一番近い立ち位置で親近感がわくノム。常にSRIを和ませる存在でありながら、時に勇敢な行動で事件を解決に導くさおりちゃん。全員が全員、しっかりとしたプロフェッショナルで、彼らの掛け合いによって生まれてくる素晴らしい化学反応が、僕にとっては『怪奇大作戦』を見る悦びなのかなと、改めて思います。第26話「ゆきおんな」以降も、もっともっと、彼らの活躍を見たいという気持ちにさせてくれる。そしてまた、第1話から見直すことになる(笑)。
後年、「セカンドファイル」など続編やリブート? が2回ほど企画されましたが、個人的には『怪奇大作戦』のキャストは、このオリジナル以外にはあり得ないと思っています。今の日本俳優界に、的矢所長のような渋さを持つ名優がいるだろうか。原保美さんの持っていた魅力は、唯一無二のものではなかったか。それは岸田森さんの演じる牧史郎もそうで、誰が演ろうと、あの岸田森さんの陰陽合わせもつ表現は絶対にできないと思う。『怪奇大作戦』は1968年当時にしか作れなかった、本当に一度きりの作品であって、SRIも一度きりのもの。しかし僕らはさらなる活躍を望み、その影を追いかけ、この全26話を、何度も観返すことになる。僕にとって『怪奇大作戦』は、そうした郷愁にも近いものを併せ持つ、忘れられない作品なのです。