ざっくり感想「ゴジラ ミレニアムシリーズ」とそれ以降 | 怪獣玩具に魅せられて

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「ゴジラ」シリーズ 1999年~2016年まで ざっくり感想 

『ゴジラ2000』(1999年)

 いわゆる「エメゴジ」がコケにこけて、東宝の「ゴジラってのはこういうもんなんだよ!」という叫び声から始まった新シリーズ。まず一新されたミレゴジが、とにかくカッコいい。キンゴジやモスゴジの意匠を踏襲しつつも、新しい時代の幕開けを表す洗練されたデザイン。そのゴジラが単体で登場する冒頭から中盤にかけてがやっぱり面白く、ミサイル攻撃のシーンなどでこれまでにない画作りに挑戦しようという気概が感じられる。が、そこに追随する人間ドラマは凡庸で、感情移入できそうなキャラクターがあまりいない。子役もこまっしゃくれている。これは時代性なのかもね。牛のフンみたいな円盤や海を泳ぐゴジラに使われているCGはまだ発展途上と言ったところだが、進行するオルガの身体が再生していくシーンに使われていたCGは中々のもの。特撮部分に力が入っている分、ストーリーの語り口がイマイチで、最後とかよく分からない締め括りだが、東京の街を破壊しつくして終わるという、「画」の顛末の付け方は高く評価したい。良いところは突出しているが、不満点も逆方向に同じくらい突出している、「惜しい」一作。

 

 

 

『ゴジラXメガギラス G消滅作戦』(2000年)

 賛否両論の1作で、少し前までは「否」の方が圧倒的だったが、再評価の兆しが期待される一本。個人的には、昭和~今までのゴジラシリーズの中でも、上位で好きな作品の一つ。まず、ゴジラの立ち位置が完全に「対峙すべき脅威」「乗り越えるべき壁」として設定されている。そのストーリーの分かりやすさと、だからこそ光る主人公の「ゴジラへの執着」が良い。相変わらずのカッコよさのミレゴジに、今回はデカいトンボが挑む! メガニューラの群れとの激闘や、渋谷水没、メガギラス誕生の夜、お台場での激闘など見せ場は多く、娯楽性も高い。ゴジラの背中に乗るという、これまでにない素晴らしい試みも。ストーリーや設定は空想科学方向に全振りしているので、ブラックホール兵器とか普通に出てくるが、この底抜けな「空想感」が楽しい要素でもある。不満点が0なわけではなく、黒幕? の存在とか別にどうでも良かった。また怪獣バトルは肉弾戦にシフトし始めている一方、ゴジラのカッコいいアクションと言う点では、まだ発展途上なところも。実は1955年『ゴジラの逆襲』に近いものがあって、本筋はあくまで「ゴジラという脅威にどう立ち向かうか」であり、怪獣バトルの決着が本作そのもののラストに結実せず、最後は主人公とゴジラとの一騎打ちになる。最後までゴジラの立ち位置を揺るがせない上、切れ味の良いラストになっていて好感が持てた。

 

 

 



『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)

 出ました金子修介監督のゴジラ!! 白目ゴジラの怖さ、カッコよさは言うに及ばず、バラゴン・モスラ・ギドラについても、今回の設定に合わせた絶妙なデザイン変更で、シリーズ最大の異色作の一つにして、初代に次ぐ最高の完成度を誇る。とにかく画面作りが、「怪獣映画」的に豪華。バラゴンとの戦いは間違いなく本作の白眉であり、セットの奥行きの果てしなさに感心させられる。夜の市街地戦になってからは、少し観にくいところはあるものの、3大怪獣の大激闘でとにかく間延びする所がない。CGもクオリティも上がって、千年竜王覚醒のシーンの神々しさには鳥肌が立った。徹底してゴジラが最大の脅威であり、その強さたるや歴代最凶。「何をやっても勝てない」感じが凄い。1954年の初代への原点回帰要素も多く、また東宝特撮怪獣映画が初期に日本的精神世界を大切にしていたのと同じように、本作においても「護国聖獣」なる要素が登場。このちょっとしたオカルト感が上手い設定に繋がっている。不満点はほとんどなく、強いて言えば主人公があそこまで我が身犠牲にする覚悟でゴジラを追う動機に弱いというところぐらいか。「防人の思い」など、平成ガメラで自衛隊を描き切った金子監督だからこそ描ける物語が熱い。

 

 

  



『ゴジラXメカゴジラ』(2002年)

 みんな大好き三式機龍の登場。ミリタリーを描くことに定評のある手塚監督なだけあって、冒頭のメーサー部隊とゴジラの戦闘の緊迫感は素晴らしい。総じて手塚監督のゴジラ映画は冒頭の「対怪獣戦」描写にすごく気合が入っている。雨の中、天を仰いで咆哮する「釈ゴジ」のカッコよさよ。ストーリーは同監督の『G消滅作戦』にも近いものがあって、自分の弱さによってゴジラを乗り越えられなかった女主人公のリベンジもの。今回はそこに三式機龍という、「もう一つのゴジラ」が登場してくる。主人公は釈由美子だが、物語の進行は宅麻伸と小野寺華那親子の目線で進行していき、「ゴジラへの執着を燃やす」立場のキャラクターから少々距離を置いているのが特徴。それによって、もう一つのテーマである「生命の名残(ゴジラの骨)を戦いの道具にして良いのか」というテーマに対しても程よく言及できるようになっている。一部俳優の演技に難があって活舌の悪さが気になるところもあるけど、「ミリタリー色」というか「体育会系」というか、そういったところでロマンスも至極あっさりな感じなところが爽やか。三式機龍が暴走し、夕焼けに頭を垂れつつ機能停止する所など、怪獣映画の中に美しい「画」を持ってくるこだわりも好ましく感じられる。

 

 

『ゴジラXモスラXメカゴジラ 東京SOS』(2003年)

 前作からの完全な続き物。今回は整備士が主人公という、ちょっと捻ったストーリーテリング。整備士だからこそ機械に愛着があって、機龍に執着して……という話流れは分からないでもないが、ゴジラとの直接的な関係に乏しいのでイマイチ乗れないところも。俳優の演技の癖が前作以上に多くて、小泉博や中尾彬、上田耕一などベテランに助けられているところは大きい。モスラが登場したことで、よりワイドの画づくりとなって、夕暮れ→夜→朝焼けと空が変わっていく中で展開される最終決戦が見物。下手な黒幕が存在しない、いがみ合っていても最後には助け合う体育会系「良いヤツ」な自衛隊の皆さんなど、ストレス少なく見られるのも特徴かな。ゴジラと機龍の最終決戦は肉弾戦重視で楽しいが、シーンによっては抱き合っているだけに見えるところも。怪獣映画の格闘は難しい。ゴジラのデザインは前作と同じだけど、どこか白虎的と言うか、肉食哺乳類のイメージも入っていて良かった。物語が進むにつれ、主人公サイドにも気持ちが入ってくるし、その上での「SAYONARA」にはけっこうグッと来るものがある。再び海の底に封じ込められたゴジラだけど、今度は「時のゆりかご」の中で眠りにつくという顛末になっていて、その差別化も上手いこと考えているなと思った。

 

 

 



『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)

 平成の「怪獣総進撃」にして「さらばゴジラ」的作品。最後だからこそぶっ壊れちまおうという東宝の考え方は分からなくもないが、それなら怪獣を使ってぶっ壊れてほしい。事実、デザイン一新された怪獣たちはおおむね好印象で、平成・ミレニアムと出番がなかったアンギラスの再登場には目頭を熱くさせるものがある。怪獣たちを1体ずつ、あるいはまとめて攻略していくゴジラという、ゲーム的展開も面白いし、富士を舞台にしてのバトルは見ごたえがあった。が、それに伴う人間ドラマに癖がありすぎて、正直な話肌に合わない。無駄に色っぽいのがノイズ、というか普通に気まずい。銀残ししているからか画質がざらっとしていて、奇麗に見えないんだよね。人間サイドの格闘戦や細かい設定にも拘り過ぎていて、後半になればなるほど画に新鮮味がなくなっていく。というか、文句なしに面白いのって怪獣たちが各国で暴れていくところであって、ゴジラが復活してから怪獣たちを攻略していくところも、ヘドラ&エビラみたいにすぐ終わらせられてしまうものもあって一部分はだいぶ不満。人間サイドのドラマや格闘を減らしてでも、怪獣バトルをもっと丁寧に、それぞれの持ち味を活かした工夫をしてほしかった。あと最大の不満点は、音楽! オープニングの往年のゴジラの音楽のアレンジはまだ良かったけど、テーマソング的な奴が単調で本当にダサい。ダサいと言えばゴジラのデザインもなんかネズミっぽくて好きになれなかったけど、これはモンアツでフィギュアを手に取った時に、評価を一新させた。映画本編に登場した来たものより、それを忠実に模したはずのフィギュアの方が遥かにカッコいいという事態が起こっている。

 

 

 

『シン・ゴジラ』(2016年)

 長き沈黙期間を経て、ついに銀幕に再登場したゴジラ。庵野秀明氏の再解釈を経て、1954年のリメイク版ともまた違う新たな「ゴジラ」を生み出した。1954年のオリジナル含めてすべてのゴジラ史を「なかったこと」として、この時代に巨大生物=ゴジラが表れた場合に日本はどうなるかと言う極めて精緻なシミュレートになっていて、まさに「虚構対現実」。主役のゴジラはこれまでにない新しい設定が足され、空想科学に振りきらないリアリティを担保しつつも、その限りの中で「最凶の存在」となっている。ゴジラと対するのは自衛隊で、ラストバトルも含めると対決の舞台は3度となるが、1度目は攻撃することなく終わっており、その時に攻撃していれば倒せていた……など、振り返り的に物語の展開について考えを深めていけるのも面白い要素。1954年の「ゴジラ」が戦争の記憶であり、「対ヘドラ」が公害の脅威であるように、原点回帰を目指したゴジラには必ず当時代の脅威への目くばせがあるが、今回それが東日本大震災の傷跡を反映させているのは明らかなところ。ただ1954年と違って明確な「死」の描写に乏しいのは、オリジナルと違うとことであり、「今描けること」の限界であるかもしれない。独特の話運び、全てを理解させる気のない情報の羅列、俳優の演出など癖が強い作風で、一部の俳優はそれによって「渋さ」「キャラクター」が引き立つ一方、キャラクターに緩急がないので話に入り込みにくい上、「一部の人たちの物語」という閉塞的な感じを受けるかも。思考に試行を重ねたゴジラのデザインや表現は一つの極致で、野村萬斎の重々しい足運びや所作が随所で活かされている。「ゴジラ」の系譜上にありながら、これまでのどのゴジラ映画とも違う新たな「ゴジラ」であって、今回携わったクリエイターたちにしか作ることのできない「唯一無二」のゴジラであることは間違いない。