例えば、心の愛を自分の体に向けていたら自分が本当に真から自由にこうしたい!動きたい!という方向性の矢印があったとするよね。
そこに、心理的にでも物理的にでも、領域侵犯で『心の愛を自分の体に向ける』以外の方向性の矢印が現れて、それを察知したら(察知する気付きやすさが悪いのではない。不快や障害物や領域侵犯に気付いて不快を快にするのが大事だから)本当に自由に自分がしたいように動く方向性の矢印とはズレた、あちこちに向いた、『心をこっちに向けてほしい』という矢印が、自分の領域に現れる事になるよね。自分が本当は心の愛を自分の体に向けたいのにその純度100%の純粋な矢印ではなく、自分が本当はそうしたくない、心を外に向けたくないのに、心の矢印を思ってない方に向けさせられようとするから不快で身動きとれなくなる感じがして不快なんだよね。
で、ちゃんと自分の体は怒り嘆き悲しむ。心をこっちに向けてよ!は、自分の体から自分の心への悲痛な叫び。自分以外の外の領域に放った途端に領域侵犯になる。
この世の全員が心の愛を自分の体に向けたいし心を外に向けさせられようとしたら不快になるように出来ている。
外の誰かを思い通りに支配したくなるのは、心の愛を自分の体に向けてなくて自分の心が思い通りになってないから。
だからいつだって一番の処方箋は心の愛を自分の体に向ける。