神さまの気持ちやご先祖さまの気持ち、もう体はないんだから、精神のみなんだからさぞかし物質である私たちに精神を向けるのに専念してるんだろうな~と思ってはたと気付いた。
じゃあ神さまは『いる』じゃん、と。
こうして今、生きてる私の体に心が宿っていてこんなにも一生懸命、自分の体という物質に 心の愛を向けて体の快を抽出し不快をなくし快適環境を選びとる、この心の愛を向けるという、精神の働きが自分の体という物質の上で確かに存在している限り、地球全体(という物質)や宇宙全体という物質世界に、心の愛を向けるという精神の働きが存在するはずであると!
まぁもしそれはわからなくても自分の体という物質に心という精神が宿って存在していることそれは確かにわかる、実感できるはずだよね。そっちの方がすごいのかもしれない。リアル。
その、自分という個体が生まれる前からつまり物質が生まれる前から精神は存在していて精神が望み願った結果、物質が生まれてきてだから精神を物質に向けるという心の働き、つまり愛は命が生まれる前から存在していて。
この宇宙の、世界の理(ことわり)は、精神を物質に向ける事から成り立っていて。
だからまず何よりも心の愛を自分の体に向ける事が、この世界の理にかなっていて自分よし、相手よし、世界よし、の三方良しなんだよ。外の誰かじゃない、引きこもってでもまず心の愛は自分の体に向ける。例外はない、ずっと死ぬまでそのまま。そこをいかにブラさないかが、一番大事。心の愛は神さまの愛。それをいつも自分の体に向ける。百万馬力の、百人力の、神さまに愛されてるような気持ちでいつもいられるように、自分で心の愛を自分に向けるんだよ
一生懸命。
そして、心の愛が向かってきたら体の愛で受け入れる。これが物質である私たち人間の愛。
これだけなんだよ。