これね、外の誰かが心を向けて寂しい!と感じるのは、それなしでは生きていけないと思って依存行為を続けてるからなのね。


だから、ふと立ち止まって、その状態、つまり外の誰かが心を向けてくれない今の状態のままで今生きてる、それなしでも今生きてることにはたと気付く事。


そうしたら、その寂しさは、実は心の愛を自分の体に向けてなかった寂しさであるという事。


そりゃ嬉しいよ、人間、外の誰かに心を向けてもらったら飛び上がるほど嬉しい。

それなしでは生きていけないと思って依存行為を続けてしまうほどかもしれない。


でもちょっと待って。それなしでも今生きてるよね。


それにね、それなしでは生きていけないと、外の誰かに心をこっちに向けてよ!って強要支配コントロールするのは領域侵犯だからね。でも自分の心にはいくらでも叫んでいいのよ。心をこっちに向けてよ!って自分の体に宿った心にだけはいくらでも叫んでいい。自分の体に宿る心にはそれをする義務と責任と役割がありそれを担当するためにわざわざ物質である自分の体に宿っているのだから。


だから自分の心には寂しいよ!こっち向いてよっていくらでもやっていいんだけど本当はそうなる前に1秒たりとも自分の体に寂しい思いをさせない位、心の愛を自分の体に向けないと。そうじゃないと、外の誰かに気をとられて自分の体は 仲間外れにされて寂しいよ!心をこっちに向けてよ!となってしまうから。


それなしでも今生きてる。


心の愛を自分の体に向けていれば、自分の体に二度と寂しい思いさせなくてすむんだよ。