これね、どこで誰といて何をしてても。
今いる空間でたったひとりで目の前に誰もいなくても。
自分が生きていくために、自分という生を全うするためには。
とにかく、誰が心を向けてくれようと、向けてくれなかろうと。
自分だけは、心の愛を自分の体に向けて生きていく。
もう本当にこれだけなんだよ。
自分の体が、生命として、物質としてこの世界に存在するために。できるだけ快適にいやすくしてあげるために。
自分だけは、心の愛を自分の体に向ける。自分の体の快を抽出し、不快をなくし、快適環境を選び取る。
これだけなんだよ。
コミュニケーションだとしても同じ。
パートナーシップだとしても同じ。
心を外に向けるよりも、ただひたすら、心の愛を自分の体に向ける練習させてもらう。
この一択。
誰かが気になっても、外に心を向けるより心の愛を自分の体に向ける練習させてもらう。
外に心を向けるよりも、心の愛が向かってきたら体の愛で受け入れる。
外に心がもっていかれる時は、自分の体は放置されて置いてけぼり。ほっとかれっぱなし。何の体のケアもしてない状態。心の愛を向けないでどうするの。外の誰かの体はその本人の心が面倒見る。担当して心を向ける役割がそれぞれにあるから。私が外に心を向けるのは、本人の仕事や役目や心が活躍する機会を奪ってしまうんだよ。外の誰かは本人の自由にさせておやりよ。好きにさせておやり。
だから自分だけは精一杯、外の誰にも目もくれず、心の愛を自分の体に向ける。