心を外に向けてしまって、それが社会的に是とされる立派なやり甲斐のある活動であっても、その間、自分の体はかえりみられず放置されて少しも心の愛を向けられず忘れ去られている。


そうすると当然、その反動は自分に返ってくる


何で外の誰かばかり見て心を向けたんだ!


と、不機嫌極まりなく怒り狂い、それが体調に出てしまう。


これは、もし外の誰かが領域侵犯してきていたとしても、そっちに心を向けなければよかったのだから、心の愛を自分の体に向けなかった、自分の責任。


そして、気付けば戻れるから、一度、心を外に向けてしまったとしてもそれでものすごい反動がきて体調を崩してしまったとしてもそこから心の愛を自分の体に向け直す事はできる。


そこに立ち戻れるための経過、経験なら決して無駄ではないし、むしろそこに立ち戻るための試練だったともいえる。


そして自分としては領域侵犯してきた相手にもうらみがあって、よくも私を!となり反発する意味でもバリアを成しているともいえる。


心の愛を自分の体に向ける事。その領域は神聖不可侵。誰にも領域侵犯できないし、されてもなお心の愛は自分の体に向けたままにする事。