自分のやっている事が、領域侵犯だと意識して『それをしたくない』と思ったら人はしません


領域侵犯だろうが、相手にどう思われようが、自分がしたくてしている。


同じ剛速球でも、キャッチャーミットに向ければストライクで、バッターに当てれば、デッドボール


バッターに当てたくて当ててるピッチャーは、いないしもしそうならそれはもう野球じゃなくてルールを逸脱していて何か他の理由があるだろうし


だから、領域侵犯して暴言を吐く人も、それを言いたくて言ってるし、ひどい態度をとる人もしたくてしている。本当に、それをしたくないなら言わないししないはずなのです。だから、相手に嫌われようとして、領域侵犯してるわけじゃない。


領域侵犯して暴言を吐く、ひどい態度をとる、それをしたくてしているなら、なぜその暴言を言いたいのか?なぜそのひどい態度をとりたいのか?その理由があるはずなのです。わざわざ人に嫌われるリスクをとってまで、そのリスクを考えられない位、そうまでして言いたい暴言やひどい態度をとりたいのは何故なのか。


それは、心の愛を自分の体に向けてないから、外の誰かに心を向けてもらおうとして、相手が思う(期待した)通りに心を向けてくれないと文句を言いたい、抗議したい、だから領域侵犯して暴言を吐きたいし、ひどい態度をとりたいのです。嫌われるためではなく相手に心を向けてほしい、思い通りに心を向けてもらいたい、それをしてくれない相手に対して暴言を吐き、ひどい態度をとる領域侵犯。それによって自分が嫌われるかとか相手がどう思うかなんてかやの外。心の愛を自分に向けない欠落や空虚さや劣等感を、外の誰かに埋めてほしい、心を向けてもらう事で補ってほしい、それを思う通りにしてくれない相手に対して怒りが出て、暴言やひどい態度になる。だから、暴言を言いたくて言っているし、ひどい態度をとりたくてとってる。


この世の全ての領域侵犯は、これです。


外の誰かに領域侵犯しなくてよくなるのは、心の愛を自分の体に向けていれば、欠落や空虚さや劣等感を感じなくてよくなるから、満たされ充足感や優越感が得られるから、外の誰かに、それを埋めてもらう必要がなくなるからです。だから相手が思う通りに心を向けてくれないとしても自分がないがしろにされた!とか大切にされてない!とか心を向けてくれない事に怒りを感じなくてよくなるからそれに抗議するために暴言を吐いたりひどい態度をとらなくてよくなります。それをしたいと思う必要や、理由がなくなる。心の愛を自分の体に向けていれば、そもそも外の誰かに心を向けてほしいと思わなくてよくなる。


どんな態度をとってもいいし、暴言を吐きたいなら吐いてもいいし、それをしたくてしている


したくてしているなら何故そうしたいのか


何故わざわざ領域侵犯したくなるのか


嫌われるリスクをおかしてまで暴言吐きたいのか


 そこにはそうしたいなりの理由があって


本人はそうしたくてしているという事。


だからその理由や根本原因そのものが解消してしまえば、外の誰かを思い通りに動かそうと人を操作しなくてよくなる事。相手が思い通りに心を向けてくれない事に怒りを感じなくてよくなる事。それに対して抗議しなくてもよくなる事。


だから、外の誰かがもう暴言吐いたり、ひどい態度をとって領域侵犯しなくてよくなるようにどうか世界人類が平和でありますように、心の愛を自分の体に向けられますようにと祈りつつ自分ができるのは心の愛を自分の体に向ける事だから、充分に安心できる位に心の愛を自分の体に向けて、自分が領域侵犯しなくてよくなるように。外の誰かに心を向けてもらおうとしなくてよくなるように。心を向けてくれない事に怒りを感じて抗議するために暴言を吐いたり、ひどい態度をとらなくてすむように。心の愛を自分の体に向ける事に尽力して生きていきます