自分がこう思い込んでるからそうなるんだよ!他人からもそう扱われるんだよ!という考え方に疑問を持っていて。


いやいや、物理的に、例えばだけど、自分は人に大切にされない存在だ!皆に嫌われるんだ!と思い込んでたとして(それは自分で思ったというより他人に領域侵犯されてそう思わされた場合が多いと思うんだけど)だからってね本人の思惑通りに、外の世界の全員が、綺麗に統一してその人を絶対に大切にしないとか、その人を嫌うとか、そうは問屋がおろしますかって!


そんな他人が一律思い通りになると思ったら、大間違い


その人を大切にするもしないも嫌うも嫌わないも他人の自由勝手気ままな自由意志による決定であって、こちらがそう思い込んでるから世界中の誰もがそうなるなんて事、ありっこない。


だいたい、その人が『自分は大切にされない、皆に嫌われる』なんて思ってる事すらエスパーじゃないんだから他人にはわかりっこないし、わかったところで、その人がそう思ってるからって自分もそうするの?どんだけ自分の意志がないんだよ!その人が持ってる本人の思い込みや考えに合わせて、何でこちら側の対応を本人の思い込み(期待)通りに変えなきゃならない


私の考えはこうで、本人が『人に大切にさるない存在だ、皆に嫌われる』と思い込んでたところで、こちら側(他人)がその人をどう扱うかはこっちが決める事!こっちの勝手!だから、思い込み(期待)通りにその人を大切にしないとか嫌う人もいれば、大切にする人や嫌わない人もいるだろうし、最初から興味を持たない人もいるだろう。その人がどう思ってどんな思い込みがあろうが、他人がその人にどうするかは人それぞれ!に一票!


だから、自分の思い込みとかは、どう思ってるかは一端置いておく事として。


例えばだけどさっきのような自分に対する思い込みがあってもなくても関係なく心の愛を自分の体に向けて外の世界がどうでも関係なく自分だけは自分の事ちゃんと誰よりも大切に扱う!これだけなんだよ。自分で出来る事は。心の愛を自分の体に向ける事だけは自分で決められるし、自分で自分を大切に扱うという自分からの対応だけは、もしそれまで大切にしてないなら自分で大切にするように変えられる!ここよ!私の言いたい論は。


自分の中の思い込みなんてどうでもいい。自分を好きか嫌いかとか自己肯定感とかさえあまり当てにはならない。そんな思い込みとかで自分を支えられると思ったら大間違い。


そんな思いとかはどうでもいいから、というかどう思ってどんな思い込みがあったとしても、心の愛を自分の体に向けるんだよ。精神を物質に向けるんだよ。素粒子を観測するつもりで、自分の体を観測するんだよ。ただボーッと見てるんじゃなくて、自分の体が物質として熱くはないか、寒くはないか、湿度はどうか、快適か


何か食べたいか、飲みたいか、快を抽出し不快をなくし快適環境を選び取る事!これが心の愛を自分の体に向けて自分を大切にするって事よ


具体的な方法よ。そこに、自分を好きか嫌いかとか自己肯定感とかの入る筋合いはないでしょ


好きだろうが嫌いだろうが自己肯定感があろうがなかろうが、徹底的に、心の愛を自分の体に向けて自分の体を物質として大切にするんだよ


そこに他人が自分を大切にするか嫌うかどうかの介入の余地もない


ただひたすら心の愛を自分の体に向けて自分で自分の体を大切にするだけ


どちらかと言えば他人は本人が心の愛を本人の体に向けるのを尊重してあげる。邪魔しないで自由にさせてあげる。それが優しさや思いやり


さっきの思い込みを持つとしたら、たとえもし世界中の全員に大切にされなかったとしても、(そんな事は確率的にもあり得ないんだけど、 そう思い込んでたとしても)関係なく心の愛を自分の体に向けて自分を大切にする。そうしてれば世界中の全員に大切にされなかったとしても、自分は自分に大切にされている存在だ、という既成事実が残る。これは、思い込みでも何でもない、実際の、本当にあった事実。これによって自分という存在は支えられ、自分を大切にしてくれる自分、その責任を全うする自分、という自分との信頼関係が生まれ、心の愛と、自分の体という精神と物質の循環が生まれ、心の愛を自分の体に向けるという自己の存在への肯定感も出てくるんじゃないかな。思い込みや外の世界から大切にされるためとか嫌われないための手段としてじゃなくて。外の世界の誰かがどうだっていいから心の愛を自分の体に向けて自分を大切にする。


それが大事だと思うのです。