何が言いたいってね、自分の領域でできるよという事。
外の誰かの領域を侵犯しなくても心の愛を自分の体に向けていれば、それは自分でできる。
人はほっとくとそのままでは領域侵犯するもの
良い悪いじゃなくて、
それだけ精神を向けてほしいと願う物質であるという事
これには技があって、
『心を自分に向けてほしい』という願いを、
外の誰かに投げるから領域侵犯であって、
それほどの強い願いを、承認欲求を、
自分の体に宿った心の愛に投げていれば、ぶちまけていれば、満願成就していれば、外の誰かに領域侵犯しなくてよくなるのです。
もちろん、わかっていても強烈に、外の誰かの体も心もほしくなる時はあります。自分のものにしたくなる。
お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの、ってね。
これもちゃんと心の愛を自分の体に向けてないから、自分の体とそこに宿った心が自分の領域という認識をはっきり持てない、自分の心と体が自分のものとして所有意識を持てないと、外の誰かに所有意識や所有欲が向いてしまう。
それが領域侵犯だと気付いてればまだいいけど完全に『外の誰かの(領域に侵犯して)心と体を自分のものにするために支配やコントロールや強要をする心理』になっている事になかなか気付きにくい。
それは、心の愛を自分の体に向けて自分の領域である心と体がすっかり自分のものという意識が持てていると、外の誰かの領域に侵犯して、心や体をほしがらなくてよくなるのになぁと。
物質に精神を向けてほしいという欲求、それが『愛されたい』という渇望なので心の愛を自分の体に向けてどこまでも満たしてあげたいなぁと思います。