外の誰かに対して、


『どんなつもり?』と思うような事


それはどんなつもりでもいい


想定しうる最悪の結果だったとしても


相手はどんなつもりでもそれをしてもいい


もちろんこちらは、ありとあらゆる最悪な結果を想像して妄想してみるけど


『そんなつもりだったら何なの?』という事


相手が悪意の固まりでわざわざわざ故意に悪気があって、意地悪しようとしてこちらを傷付けようとして気持ちを踏みにじろうとしてやっている事だとする


だとしたら?それがそのまんま本当だったら何なの?という話


相手はそれをしたくて、しようと思って、そういうつもりで、わざわざ、自分で選んで、それをしているんだよ


『どんなつもりで?』はおろか、しようとしてそれをしているんだったら


『それが何?それがどうした』って話


自由にさせておやりよ


好きにさせておやり


相手が本当にしたい事をさせておやり


相手が本当にしたい事ってね、やっぱり『心の愛を自分の体に向ける』事なんだと思うよ


それができないから


『どんなつもり?』と思うような事をしでかしてしまう


『心をこっちに向けてよ!』と領域侵犯しでかしてしまう


だから、外の誰かが心の愛を自分の体に向けて


本当にしたい事を好きにさせてやれるように


どんなつもりであれ好きにさせておやりよ


本当の思いやりは


心を相手に向ける事じゃない


心を相手に向けるのは心の愛を自分の体に向けられない事への穴埋め、領域侵犯への手助け、ほう助になってしまうから


そうじゃなくて


どんな時でも心の愛は自分の体に向ける


そして本人が心の愛を自分の体に向けるように


こちらからは心を相手に向けないで


心の愛をひたすら自分の体に向けていれば


相手に『心をこっちに向けてよ!』と領域侵犯しなくてすむ


つまり相手が心の愛を自分の体に向けるのを、妨げなくてすむ。邪魔しなくてすむ。自由に、好き勝手にしたいようにしたいだけ、心の愛を自分の体に向ける事ができる。


つまり相手に自由に一番したい事(本人が心の愛を自分の体に向ける)をさせてあげる、それを邪魔しない、妨げない、領域侵犯しないために、こちらは心の愛を自分の体に向けておく。


これが、真の思いやりや、自分を、相手を尊重するという事じゃないかな?


そして、心の愛が向かってきたら体の愛で受け入れる。


心に心を向けて、相手の心をこっちに向けさせようと領域侵犯しないでおく。領域侵犯しなくていいように心の愛を自分の体に向けておく。

相手は相手の自由にさせておく。それがどんなつもりであれ。心の愛を自分の体に向けられるといいねと祈りながら。


精神が物質に向ける思いを愛というんだよ。


だから、心の愛を自分の体に向けるんだよ。


外の誰かも、体を持った物質なんだよ。物質と物質なんだよ。だから心に心を向けない。


心の愛は、自分の体に向ける。


心の愛が向かってきたら、体の愛で受け入れる


満願成就