普通はね、誰かに話しかけるの、いいじゃないですか!となるところですが、心の愛を自分の体に向けてない場合は、
本来の任務(心の愛を自分の体に向けて働く)を遂行していないので、何か手持ち無沙汰。何かしたくなる。自分の体に心の愛を向けて話しかけてないので外の誰かとコミュニケーションとりたくなる。その分外の誰かに話しかけたくなる。
でも、これはさ、その話しかけたい気持ちを、またぐいっと自分の体に向けたらいいのよ。
自分の体に向けてないから手持ち無沙汰で外の誰かに向かってしまうと、ちょっかいかけてるような、かまってほしい、話してほしいオーラになる。つまり手持ち無沙汰の暇つぶしのようになってしまう。
それは、心の愛が本来話しかけたいのは自分の体だから。それをしたいのに、しないで外の誰かに話しかけても、それこそ相手の時間や関心を奪おうとする領域侵犯になってしまう。そう心の愛を自分の体に向けてないから自分の体に落ち着いて安心していられないから、そわそわして外の誰かに居場所を求めてしまうから。
それに、心の愛を自分の体に向けないで外の誰かに話しかけてしまったら、自分の体はお留守で置いてけぼり、ほったらかし、無視、度外視されてるわけだからそれはそれはもうご立腹で寂しくて悲しいと思う。
その『外の誰かに話しかけたい衝動』は、まず自分の体に向けて!『どうしたい?何が不快? どうしたら快になる?そのままで何も不快な事ない?』とかこれは常に常にやっとく事だから
心には体がないから、体には宿ってるけど体が物質として存在しているってどんな感じか体に聞かないとわかんないんだよ。どれが快でどれが不快なのかも。だからいちいち体に聞いて、体の言う事を聞く。快を抽出して不快をなくして快適環境を選び取る。情報収集し、取捨選択する。だから心の愛を自分の体に向ければ向けるほど、どうすれば快になるかどうしたら不快になるかをより細かく分析して処理できるようになる。
それを、心の愛を自分の体に向けずにただ漫然とボーッと過ごしていたら、ボーッと生きてんじゃねえよ!と
自分の快不快が何かも、どうしたらどうすればそうなるかも、自分が誰でどんな人かもわからず、
『何のために生まれて何をして生きるのか答えられないなんてそんなのは嫌だ!』だし、『何が君の幸せ?何をして喜ぶ?わからないまま終わるそんなのは嫌だ!』なんだよ。
自分が自分の事さえもわからないなら、外の誰かから見たら自分が誰かなんてもっとわからないよ。何をして喜ぶのか、何が不快でどうしたら快で、ってまず自分こそが、心の愛を自分の体に向けて、物質である体の事わかってあげないと。誰よりも。通じ合っておかないと。自分で自分の不快をなくし快にする方法がわからないのに、それでずっと不機嫌や不快や怒り等をまきちらしても、投げつけても、外の誰かからなんてもっとどうしていいかわからないよ。
それに自分の体を担当してるのは持ち主本人の心だけなんだから、いくら外の誰かの体に自分の不快をどうにかしてほしいとまきちらしても投げつけても無理だよ。それは本人の心の愛を自分の体に向けてどうにかするもの。外の誰かの体を担当してる本人以外の心なんてないしもしそういう状態(自分の体より外の誰かを優先している)ならそれなしでは生きていけないと思って依存行為を続けているという事。
でもね、それなしでも今、生きてるんだよ。
もうすでに受精する時に精子と卵子で完全なる依存を果たしてその成功体験を持って生まれてきて、ハイパーな完全体として今、生きてる。
だから、もう外の誰かの体は担当しない!
心の愛は自分の体に向けて。わざわざ、あえて物質である体に心の愛を向けて大切にするんだよ。心はどこまでいっても精神、体はどこまでいっても物質、心はいつまでもなくならない、体はいつかなくなる。
体がある間だけ、体に宿ってる間だけ、心と体は一緒に生きていられるんだよ。
心はいつまでもなくならないから、体に宿ってなければ、最初から死んでるのと同じ。自分の体に宿って、心の愛を自分の体に向けて働いてはじめて、イキイキと存在していられるんだよ
心には体はないけど体に宿って体と一緒にいるから三次元物質世界に体が物質として存在するってどんな感じか、体と一緒に体感を味わう事ができるんだよ。
体がなければ心は最初から死んでるのと同じだから、いつか体がなくなったら、もう生きてはいられない。だって最初から 体に宿らなければもともと死んでるんだもの。いつまでもなくならないって事は、最初から実存としては、少なくとも物質としては、いないのと同じだよね。
なくならないのは、元々最初からいないから。
でも、自分の体に宿ってるからいつか体がなくなるまでは、体と一緒に生きて存在していられるんだよ!超めちゃめちゃ期間限定の特別待遇なんだよ。
物質として体を持って、生きて存在してるってどんな感じか体があるから味わえるんだよ。体に宿ってるから体と一緒に体感できるんだよ。
体がなかったら、いつか体がなくなったら、心はいつまでもなくならないけど、最初から元々いなかった、体のない、物質のない世界に還るだけだね。
体があるから心は体と一緒に生きていられる。三次元物質世界に体を持って物質として生きてる体に宿ってるからここに存在していられる。
だから、心の愛を自分の体に向けて責任持って自分の体を大切に扱わなきゃいけない。大切に守らないといけない。何が幸せて何をして喜ぶか、体の不快をなくして快を抽出し快適環境を選び取るための超膨大で精密な自分の体のための取扱説明書を、自分で作っていかなきゃいけないし、自分で持っとかなきゃいけない。 外の誰かに見せる前にまず自分がわかっとかないと
心の愛を自分の体に向けて、自分の体の一番の専門家になる事。一度やれば終わるんじゃない
ずっと情報収集してずっと更新していくんだよ
いつか体がなくなるまで。