他人の機嫌をうかがうような性格を、優しいというんだろうしそれは一つの美徳かもしれないけど、


心は他人の機嫌をとるためにあるのではない。


自分の体に向けるためにこそある。


これはもちろん、生まれて赤ちゃんの時から、必ず誰かとは一緒に生活してきた中で、人の間で生きていくわけだから、


ハッ!自分は、誰かの機嫌をうかがってばかりいて、そこに合わせてばかりで、全然、自分の体の欲とか望みとかに合わせて生活してないし主張もしてなかったんだな。


 という事にずーっと気付かない。


ずっと、誰かの機嫌をとるために誰かに合わせて生きてきてしまったから。


もちろんその外の誰かというのも自分の思った通りによかれと思って機嫌を主張してきたのだろうけど、


そもそも心の愛は自分の体にこそ向けるもの。


そこを、境界線を越えてきたら越権行為。領海侵犯。あともう根深くて気付いてない位に、人の人生や生き方に口を出してしまう人というのはその人自身の心の愛を自分の体に向けてない


そこの軸が立ってないし廻ってないし自分の心の愛が自分の体を見てくれないから振り向いてくれないから、せめて外の誰かをどうにかしたくてコンセントにコンセント向けてしまう。


そういう仕組み。


でね、こういう、自分の外の誰かが自分に向けてくるものは、いったんおいておいて、


まず気付く事は


それなしでも今、生きてるという事。そして、それなしでは生きていけないと思って依存行為を続ける事が他人にコンセント向ける事だから

それをしちゃいけないんじゃなくて、心の愛を自分の体にこそ向けていれば、他人の機嫌より自分の体の機嫌をとっていれば、一切外の誰かにコンセント向けなくてよくなるという事。


しちゃいけないんじゃなくてしなくてよくなる


依存行為を続ける必要がなくなる。


心の愛は自分の体にこそ向ける。


それだけで生きていける。