人為の壁は、幾重にも厳重に張り巡らされている。
社会の壁、文化の壁、政治の壁、経済の壁、産業の壁、学問の壁、法の壁、人種の壁、国家の壁、言葉の壁・・・ これらの人為的に構築された壁の種類は、数え上げればきりがない。
しかし、自然環境下に生きる動植物は、これらの壁に関係なく、生を自由に謳歌している。つまり、自然環境には壁は存在しないということだ。もし自然環境に壁があるのであれば、水も大気も循環しなくなってしまう。
ムー師匠の野人理論、協生理論に触れれば触れるほど、却って人為的な壁の厚みや高さ、複雑さを目の当たりにする。
無力感に浸るのか、茫然自失・意気消沈・無気力の日々を送るのか、壊そうとするのか、跨ごうとするのか、穴を掘って抜けようとするのか、翼を付けて颯爽と飛び越えるのか、壁の色を塗り替えてしまうのか、壁をつたって移動するのか・・・いろいろ選択肢はあるだろう。
ただ、人為的なものは、人為的にいかようにもすることができることは心に留めておきたい。人為的なものには、絶対や無限というものはない。
途方もない人為の壁の存在に怯え、嘆くのではなく、人間以外の動植物のように、壁の存在がない自然環境の中に意識・身体をセットして、壁を優しく(時にはガツンと厳しく)包みこむように
生きるという方法もありだろう。