両親が生きていた頃の飴 | 一人っ子がする介護ってこんなもん?

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親の介護が始まって約10年・・・要介護3だった母が心不全で急逝してからは、独居老人の父のもとに1時間かけて通い介護を6年、母の七回忌直後に父は脳出血!施設介護を経て2017年8月12日父は急逝。悲しい・・・なのに義父母介護・・・

きょうの東京晴れ

洗濯機を2回まわし、

その後は美容室にいきカット。

午後は介護職。

 

今日のブログは泣き言です。

 

先日キッチンのパントリーを点検しました。

奥の方に入ってしまった物の中から

出てきたものは、これ。

 

 

裏を見ると

 

 

賞味期限2010年8月・・・

 

そうこれは両親ともに生きていた2009年9月

両親が住んでいた地区の敬老の日の

お祝いなのです。

両親の区では町会ごとに

敬老のお祝いがあって、

毎年かならずお赤飯とこの榮太樓飴が

高齢者ごとに配られていたのです。

 

2009年の敬老の日は

両親が生きていて

飴とお赤飯が2つずつ配られていました。

私が両親のもとをたずねると、

ふたつもあってもしょうがないからと

一つずつ持っていってくれといわれ

持ち帰ったのです。

よく覚えているんです。

 

お赤飯はたべて

その後飴も少し食べて

しまったっきり・・・

 

その年の12月母は急逝。

わたしは、思い出の飴を

しまいこんだまま

介護に明け暮れる中

すっかりわすれていたのです。

途中私自身の引っ越しもありましたが

とても捨てられず、

もってきてしまいこんでいたのです。

 

 

中を見ると

 

 

父の介護では

苦しい事だらけだったのに、

本当にあの頃にもどりたいです。