ドラマ「366日」見てますか?

 

眞栄田郷敦演じる遥斗の症状は、記憶障害に、右腕・左足の麻痺・・・。

 

うちの父は、言語障害、左腕・右足の麻痺。

 

症状は違えど、高次脳機能障がいという同じ病名。

 

ドラマを見ていると、父のリハビリ当初のことを思い出します。

 

広瀬アリス演じる明日香が離れたところからリハビリを見守っている姿は、うちの母の姿と重なるところがありました。

 

リハビリを進めていくと少しずつ動かなかった体が動くようになっていく。

 

これは、家族にとって、希望であり、嬉しい姿です。

 

さて、今回のテーマのリハビリ専門病院の選定とリハビリの状況についてですが、ようやく年が明けました。

 

この年は、私は、正月三が日後、すぐに仕事が始まり、バタバタし始めた頃に、母から電話がかかってきたんです。

 

なんだか、最近の、お正月は、曜日の並びが悪いと正月三が日を休んだだけで仕事になることが多くなりましたね。

もう少し前は、7日くらいまで正月休みを過ごすことが出来ていたと思うのですが、世の中がせっかちになってきているんでしょうかねぇ。

7日くらいまで休みが取れる仕事スタイルになると心にゆとりが出てくるのに。と思うところです。

 

また、脱線してしまいました。

 

母から電話がかかってきたんですが、病院から、

 

転院先の選定を始めてください。と言われた

 

と言ってきたんです。

 

で、選定は、どうしていけばいいのか聞き返したところ、

 

基本的には、自分で探してください

 

なんだそうです。

 

えっ!?マジで?

 

って言ってしまいました。

 

一応、候補は病院側から出してくれるみたいですが、どこに転院させるかは家族次第なんだそうです。

 

さすがに、リストアップされた転院先の病院が、どんなところかわからないので、母が老後のために介護施設で働いていたこともあったので、介護施設にいた知り合いのケアマネの方に聞いてみたんです。

 

そうしたところ、うちから通える距離のリハビリ専門病院となると、

 

A病院 〇〇△△リハビリテーションセンター

B病院 〇〇△△リハビリテーションセンター

C病院

 

の3つが候補かなぁ・・・とのことでした。

 

そのうち、

 

B病院 〇〇△△リハビリテーションセンター

C病院

 

は、あまりオススメできない病院かなぁって、ケアマネの方に言われたので、

 

A病院 〇〇△△リハビリテーションセンター

 

一択になるんだけど、今の病院が掲げる転院期日までに転院先の病院に空きが出来るのかが問題でした。

 

回復期のリハビリは、とっても大切なんだそうで、ここで、しっかりリハビリをしてもらえるかしてもらえないかで、その後の状態が変わってくるんだそうです。

 

そんなこともあり、転院期日までの空き状況の不安はありつつも、

 

A病院 〇〇△△リハビリテーションセンター

 

で、要望書を出そうということになりました。

 

一応、要望書は出すけど、この病院が、どんな感じのところか、ネットで調べてもらえるかな?ということで、電話口ではあったんですが、そのまま、仕事を中断して、リストアップした3つの病院のホームページを開いて、施設の紹介やリハビリの説明など、比較できそうな内容を調べて、母に伝えました。

 

まぁ、母の中では、すでに、

 

A病院 〇〇△△リハビリテーションセンター

 

で決めちゃっていたので、心変わりはなかったのですが、最後の一押しが欲しかったみたいで、比較をしながら、やっぱり、A病院が良さそうだよ。と最後のひと押しをしました。

 

このA病院。お風呂やプールが温泉になっていて、温泉に通って湯治をしている感じでリハビリが出来るので、温泉でリフレッシュができていいんじゃないってこともあったんです。

しかも、お風呂が広いんです。

 

やっぱり、キツいリハビリのあとに温泉でリフレッシュできるのはいいんじゃないかなぁってこともありました。

 

で、翌日、母は、早速、お見舞いのときに、ナースステーションへ要望書を出してきたそうです。

 

要望書を出したあとに、リハビリの先生方や看護師さんに聞いたんですが、転院先候補にした「A病院」は、病院のお風呂が温泉でもあるんですが、温泉街の一角に病院があるので、病院の近くに温泉施設があるんだそうです。

そんな病院なので、病院名にも温泉名が付いていることから、結構、人気のリハビリ病院なんだそうです。

 

母も、この病院に転院ってことになれば、リハビリで母が通うにしても、病院まで昔に比べれば道は良くなったとはいえ、峠道ってことは変わりはないので、片道30分から40分かかるし、雪の日だと1時間ちょっとはかかる道のりになるので、お見舞いついでに温泉に浸かって疲れを取ってこようって言っていました。

 

まぁ、なれない運転をして病院へ行き、リハに付き合って、張り詰めた状態で、そのまま帰ってくるのは良くないから、温泉で少しでも休憩しながら、ゆっくりしてから帰ってくるようにしてね。といいました。

 

さて、父のリハビリですが、転院先の要望書をA病院として出したことで、転院先の病院に合わせてリハビリの内容も変わってきました。

 

この頃から、トイレは、尿瓶をやめて、普通にトイレに行って、便器に腰掛けてするようにしていく訓練が始まりました。

 

でも、トイレ訓練を始めたところ、思っていたよりもトイレが使えなくて、父は困り果て、尿瓶でしか用をたさない状況に陥ってしまったんです。

 

先生方も、

 

ちょっと長いこと(長いと言っても2週間程度なんですがね)尿瓶に頼ってしまったのが、悪かったのかもしれませんね

 

と言っていました。

 

人間って怖いって思いました。

 

人間って、楽な方、楽な方へ順応してしまうものなのかと、つくづく思った次第です。

 

改めて、父に、なんでトイレで用をたせないのか聞いてみたところ、驚く回答が返ってきました。

 

寝て用をたすことはできるんだけど、起き上がって座った状態で、用をたすことができなくなっちゃったみたい

 

とのことでした。

 

これには、人間の体って、ホント不思議って思ったんですが、このままではいけないので、それからが父の苦悩の始まりだったんです。

 

やることは、幼児のトイレ訓練と同じ方法で、トイレに行きたくなくても、数時間おきにトイレに行って、便座に腰掛けさせるという訓練を始めたんです。

 

大体2時間おきにトイレに行くって感じですかねぇ。

 

最初は、もよおすタイミングで、ナースコールをして、ベッドから車椅子に乗せてもらって、トイレに行き、便座に座らせてもらい、もよおしているにも関わらず、用をたそうとすると全く出なくなってしまうんだそうです。

 

それでも、この行動を何度も繰り返していたんですが、さすがに父も嫌気がさしちゃったのか、

 

尿瓶で取ってくれ!

 

と、ナースコールをして用をたしていました。

 

先生たちも、このままでは、転院できないと感じ、母と相談し、母といるときには、母が父と一緒にトイレに入って、用をたすという訓練方法に変えたんです。

 

そうしたところ、父も次第にトイレで用をたすことができるようになってきて、そのうち、母が一緒にトイレにいかなくても用をたせるようになったんです。

 

これを見て、気を許せる人がいるだけで、どれだけ、ストレスが軽減され、リハビリがスムーズに進めることが出来るんだ。と思いました。

 

トイレトレーニングは、こんな感じで進めることができ、ようやく尿便を卒業することができました。

I脳神経外科病院には、隣に

 

通所型リハビリテーション棟

 

があるため、

 

  • 理学療法士
  • 作業療法士
  • 言語聴覚士
  • 介護支援専門員(ケアマネ=ケアマネジャー)

 

の先生方の質が高い感じがしました。

 

といいますのも、父の症状と初期治療後の経過から、幾人からいる先生方の中から、父の症状、父の目標にあった先生方を人選していただけました。

 

ちなみに、これら専門医について、簡単に説明したいと思います。

 

  • 理学療法士
    日常生活の基本となる動作能力(起き上がる・座る・立つ・歩く・車いすをこぐ…など)の改善を目的に、運動療法・物理療法(温熱治療など)を行います。
     
  • 作業療法士
    毎日繰り返し行う活動(食事・排泄・更衣・整容・入浴…など)や家事動作訓練を行い、その方に適した方法・道具を検討し、快適な日常生活を送れるように援助します。
     
  • 言語聴覚士
    言いたい言葉が出てこない、相手の言葉が理解できない…といったことによるコミュニケーションの問題や飲み込めないといった問題に、適切な訓練・指導を行います。
     
  • ケアマネ=ケアマネージャー
    要支援・要介護認定を受けた人からの相談を受け、介護サービスの給付計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整等を取りまとめを行います。
 
このようなことをする方々なんだそうです。
 
改めて、先生方の専門分野について調べてみましたが、リハビリの内容によっては、こういった方達がタッグを組んでリハビリにあたられるんですね。
 
さて、このような専門の先生方に助けていただいて、父の左半身の機能回復に取り組んでいるのですが、最終的な治療における病名は、
 
高次脳機能障がい
 
と呼ばれるものでした。
 
なんか、言葉としては、格好いい!なんて思ってしまったのですが、実のところ、それだけ、脳にダメージのある状態であるというものなんだそうです。
 
父の場合、たまたま実家の近くに十数年前に開院していたI脳神経外科病院があったので、寝たきりにならずに、リハビリをすることが出来ているのですが、実は、60歳、ちょうど定年退職して間もないときに、1度目の脳梗塞をしているんです。
 
その時も、私は近くに居なかったので、母に、状況を聞いたんですが、
 
突然、左目が見えなくなった!
 
と言い出したので、とっさに、母は、救急でI脳神経外科病院へ飛び込んだんだそうです。
 
そして、すぐに、検査をしてもらったようなのですが、検査の最中、先生も
 
あれ?血栓がないぞ?
 
と言いながら、先生が父に、
 
今、普通に見えていませんか?
 
と聞くと、
 
見えます
 
と父が答えたんです。
 
すると、先生が、
 
軽い血栓だったようで、流れたみたいですね
 
と説明し、
 
一応、また血栓があるかもしれないので、経過観察のために、2週間ほど、血をサラサラにする点滴をするために入院してください
 
とのことで、即日、入院した経緯があるんです。
 
今回の脳梗塞も、父は父なりに、1回目の脳梗塞のこともあったので、
 
マイルドセブンを1日2カートン吸っていたタバコをパッタリと辞め
毎日、瓶ビール2本と日本酒2合を、350ml缶ビール2本を週2回に控える
 
という生活に改善することもしてきたのですが、今までの不摂生によるものは、そうそう相殺されるのでもなく、2回目の脳梗塞になってしまったということのようです。
 
加えて、今回の脳梗塞になる前に、健康診断の機会があったようなのですが、父曰く、
 
年末年始は不摂生するから年明けに健康診断をするよ
 
ってことにしていたみたいなんです。
 
それも無駄になってしまったみたいです。
 
後日、母から、あのとき、健康診断を受けさせておけば、こうはならなかったのかもしれないね。って言われました。
 
でも、血栓だから、健康診断で発見できていたのかなぁ?とも思いました。
 
さて、話が大分それましたが、リハビリの状況ですが、12月31日の段階で、父が、看護師さん含め、専門医の先生に対して、結構わがままを言っているようなんです。
その介もあってか、
 
寝返りを打ちたいとき
トイレに行きたいとき
※まだ尿瓶での排泄みたいですが・・・。
 
その他、もろもろ、しっかりナースコールを鳴らして、呼び出しているみたいです。
 
それを聞いただけでも、少し、安心したんです。
 
昭和の頑固親父の面もある父なので、まぁまぁプライドが高いはずなんです、その父が、ナースコールを鳴らしているというからです。
 
プライドどころじゃないと父も悟ったのかもしれませんが、ナースコールを鳴らすことをするようになったころ、父の心の変化もあったのか、先生たちといろいろと話をするようになったようです。
 
例えば、今回、展示会に画が入選したこととかです。
 
父のお見舞いに行ったときに、入選したんですね。と言われ、父が話したんですね。と聞き返しちゃいました。
ちょっと、嬉しかったですね。
 
やっぱり、入選したことは、相当自慢だったみたいです。
 

ここでのリハビリの大半は、

 

寝返りが打てるようになる

 

とか、

 

手すりを掴んで起き上がれるようになる

 

とか、

 

一番問題のトイレに行けるようにする

 

とかだったようです。

 

左半身の麻痺が、やはり相当だったみたいで、これ以上、悪い方向へ進行しないように、最低限のリハビリやマッサージをして

 

回復期

 

に向けての準備をしておくというものだったようです。

 

それでも、父は、その先を望んでいたようだったので、母と話して、介護用品のお店で、ブツブツのボールを買って、父にリハビリ以外の時は、これ「にぎにぎ」してみたらとか、病院のリハビリ以外にも、先生に自分で出来るマッサージやリハビリの方法を聞いて、ベッドの上でやっていたみたいです。

 

こんな感じで、年末年始は、お見舞いに行くと父のリハビリを見学する。という日々だったんですが、年を明けて、間もなく、先生からリハビリ専門病院への転院の話が出てきました。

 

いよいよ、リハビリに本腰といった感じです。

担当医からの説明を聞くために、実家へ帰ってきていたので、仕事は自営業であっても、予定はシッカリこなさいといけない状況だったため、担当医の説明を聞いて、病室で父と軽く会話をして帰ることにしていました。

 

この日は、子供が学校終わりに、インフルエンザの予防接種があったので、それほど、ゆっくりしていることも出来ず、とんぼ返りだったのですが、病室で父と話をしている中で、父からの頼まれ事がありました。

 

それが、倒れる前に、描いていた画が、応募していた展示会に入選していたようで、額縁の取り付けや作品名などを書いた紙を絵画の裏面に貼るなどの準備が必要だったみたいです。

 

その展示会へ出品するための準備を頼まれたんです。

 

父からは、

 

2階に画があるから、額縁を付けて、ネームプレートを付けて、展示会に出せるようにして、搬入日に展示会場へ運んどいてくれ。

 

というものでした。

 

どうも、これまでも幾つか描いていたんですが、なかなか展示会に落選していて、久々の入選だったようなのです。

 

そして、それが、倒れる前の陶芸や絵画をやっているときの作業着姿の自画像を描いたものだったので、それもあったみたいです。

 

このとき、母と私は、この画を見ながら、

 

こういう画は、今度いつ描けるかねぇ

 

と話しました。

 

当然、右利きなので、今回患った脳梗塞によって不自由にはなっていないので、描くことには問題は無いと思うのですが、やっぱり、描いているときに左手もシッカリ使っているようでして、そこで、画がどの程度描けるかってことになるみたいなんです。

 

しかも、病名としては、

 

高次脳機能障がい

 

というものになるようですから、右手が動くからと言って、脳が、当人の思ったとおりに、どこまで画を描くときに機能するのかが問題にもなるようです。

 

そういえば、この記事を書いているときに、今期のドラマ「366日」で眞栄田郷敦演じる水野遥斗が「高次脳機能障がい」と診断され、まさに目を覚ました回をやっていました。

 

これを見たときに、「高次脳機能障がい」を患っている家族がいる故なのか、さらにドラマが気になってしまいました。

さて、父がクリスマスイブ前日に倒れたということもあり、例年だと、私は、年始早々、私の住んでいる区では、新年会が1月1日の元旦からあるので、実家で年末年始を迎えるということは皆無だったのですが、今年は、突然父が倒れ、母は、怒涛のように、いろいろなことに振り回され、振り回されている今はいいのですが、少し落ち着く年末年始になると実家には母一人となり、心細くなりそうだったので、新年会は欠席とさせてもらい、仕事納めが終わって、自宅の年末年始の準備が整う、31日午前中に実家へ向かうことにしました。

 

31日は、実家に着いて早々、母から「やってほしいことリスト」が用意されていて、これが山のようにあり、それらを私と妻が手分けをして片付け、年越しの準備をしてから、父のお見舞いに行ってきました。

 

実は、このとき、まだ、父からの頼まれごとは、手を付けておらず、お見舞いのときに父から、やってくれたか?と聞かれたのですが、搬入日まで、もう少しあるから、この年末年始の間にやっておくよ。と伝えることにしました。

 

ただ、年末年始ということもあり、病院のお見舞いは、通常のお見舞いの状況とは違っていました。

 

通常のお見舞いのときは、一親等まででも、子どもの配偶者は、お見舞いが出来ない条件になっていたんですが、年末年始ということもあり、特例で、通常のお見舞い手続きとは違った形で、通用門を通らせてもらって、お見舞いをしてきました。

 

孫は、年齢制限もあるみたいで、お見舞いに入ることは出来ない状況だったので、妻がお見舞いに行ってから交代でお見舞いに行ってきました。

 

病室に入り、父の顔を見ると、緊急入院3日後の顔より、左顔面の垂れ下がりが元に戻っている感じでした。

 

たった、1週間あまりですが、

 

  • 顔のマッサージ
  • 言語聴覚士のリハビリ

 

といったケアのおかげで、顔の歪みが、ほぼほぼ戻った感じでした。

 

それを見たとき、ホッとしたのを覚えています。

 

でも、まだまだ、呂律が回っていない状態で、話をしていると

 

「えっ!?なに!?」

 

と聞き返してしまうところもあって、ちょっと父は喋るのに疲れた感が出ている状態でした。

 

さて、父と喋ったときのことですが、二の一番で聞いてきたのが、案の定、

 

額縁付けてくれたか!?

 

でしたショボーン

 

先程も書きましたが、まだ、額縁を付けていなかったんですが、

 

今帰ってきたばかりだから、家に戻ったら、直ぐに付けるよ。

 

といって、安心してもらうよりも納得してもらいました。

 

やっぱり、右脳に障がいを受けているためか、喋ることはできるんですが、高次脳機能障がい特有の症状のようでして、「何事にもせっかちになっている」という状況のようで、それが、まざまざと出ている状態です。

 

これについては、先生に、先日説明を受けたときに聞いてみたんですが、右脳に障害を受けると、大抵の患者さんは「せっかちな性格」になってしまうそうなんです。

 

それから、朝昼晩の病院での食事のことや、何かやって欲しいことを聞いて、帰ってきたんですが、食事については、やっぱり左頬が麻痺しているせいもあって、パンが出てくると租借しずらいと同時にツバが出ずらいみたいです。

 

それについては、パン粥を出して貰って食べているみたいです。

緊急手術から初期治療までの状況を先生から説明を受けたあと、これからの治療とリハビリについて、父専用のリハビリ専門チームが組まれるということで、待合室で少しの時間待つことになりました。

 

待合室で待っている間、先生からの説明を、もう一度、思い出しながら、これからのことを、あれやこれや。と考えさせられました。

そんな時間を過ごしていると、待合室に、

 

ケアマネの方が1名

ケアマネ見習いの方が1名

 

が来られて、転院までの1ヶ月間の治療とリハビリについて、大まかでしたがスケジュールを説明されました。

 

まず、驚いたのが、つい先日、緊急手術と初期治療が済んだにも関わらず、

 

転院まで1ヶ月しか無い!

 

ということでした。

 

さらに、もっとビックリしたのが、

 

今から10日後くらいで、転院先を見つけないといけない!

 

ということなんだそうです。

 

転院先の候補先は、ある程度、ケアマネさんの方から幾つか出してくれるんだそうですが、それでも、10日後。というのにはビックリしました。

 

 

なぜ、10日後くらいで決めないといけないのか。ですが、どうも、緊急搬送され、緊急手術した、この脳神経外科病院は、あくまで、

 

治療

 

が目的であり、リハビリについては、リハビリ専門病院で行っていくのが普通なんだそうです。

 

ただ、転院までの間、リハビリをしないというわけではないのですが、今まで、行ってきた、

 

t-PA 血栓溶解療法

 

は続けていくのですが、これに加えて、

 

理学療法士や作業療法士によるリハビリ

 

も行っていくとのことなんだそうです。

 

これらの治療とリハビリを行いながら、これから10日以内にリハビリ専門病院を決めるんだそうですが、本当にリハビリ専門病院に転院が必要なのかを評価していくんだそうです。

 

これを聞いて、感じたんですが、人間というのは、怠けることは容易で、怠けてしまうと脳神経もそれなりになっていってしまうんだなぁって思ったんです。

 

幸いにして、父の場合は、

 

絶対に歩けるようになって、

製図で図面を書いたり、

趣味の陶芸や絵画が出来るようになる!

 

と豪語していので、その思いが先生たちに通じたのかもしれませんね。

 

このころの父は、入院から3日目で、車椅子に座り、まだ、顔面の左側に麻痺が残っていて完全には目費が取れていないこともあり、喋るときに、呂律が回らない時もあったんですが、こちらが言うことは、一呼吸置く感じでの理解をして受け答えをしていたのですが、それでも、会話が成り立っていたので、それだけでも嬉しかったです。

 

そんなこんなで、ケアマネからの説明が終わり、一旦病室へ戻り、一休みすることになりました。

 

病室で一休みしていると、

 

理学療法士

作業療法士

言語聴覚士

 

の先生らが来られて、今の父の状況と、これからのリハビリについて、説明がありました。

 

先生たちからは、父が積極的に、

 

動こうとする!

喋ろうとする!

 

という意欲がヒシヒシと感じられるので、リハビリも思っているよりもスムーズに進んでいる状況であるとのことでした。

 

先生たちからのお願いのようでしたが、

 

ただ、意欲とは裏腹に、今の身体の不自由さをプライドが邪魔しているように感じられます。

正直なところ、いろいろとワガママを言って欲しいのですが、なかなか言葉に出してくれず、例えば、こちらからトイレにいきましょうか。など、聞いて差し上げないといけない状態にあります。

なかなか、吹っ切れない部分があるとは思うのですが、そこは病人なのですから、左半身が麻痺しているのですから、私達を信じて、ワガママを言ってくれるようにしてください。

 

とのことでした。

 

これを聞いて、

 

確かに!

 

と思ったのですが、いざ、自分が父の立場になったとしたら、たった三日程度で、そこまで吹っ切ることが出来るのかなぁ?と思い、なかなか難しいって思っちゃいました。

 

少しずつ、父には、先生たちにワガママを言ってもらうように促していこうって思っています。

 

さて、リハビリの内容についてですが、理学療法士の先生からは、

 

退院までに、ベッドから車椅子に移動ができるようになり、リハビリルームでは、車椅子から立って、少しでも足が前に出せるようになりましょう。

 

というものでした。

 

次に、作業療法士の先生からは、

 

退院までに、モノをつかめるようにしましょう。

 

というものでした。

 

次に、言語聴覚士の先生からは、

 

退院までに、呂律が回るようになって、普通に会話が出来、食事の際に咀嚼が出来るようになりましょう。

 

という3つの目標をかかげられました。

 

それに沿って、翌日からは、投薬治療とリハビリ治療が始まりました。

 

既に、3日目にして、父からは、

 

身体が動かなくて、もどかしい!

倒れる前に完成していた絵画の展示会が年明けにある!

 

といった心配ばかりで、少しは落胆しているのかと思っていたのですが、父からは、

 

絶対に、やってやる!

 

という気持ちがヒシヒシと伝わってきていました。

 

倒れる前は、定年して、趣味の絵画や陶芸をやっている程度で、あとは、テレビをザッピングしているだけで、ちょっと魂が抜けたような感じがしていたのですが、今の父からは、これが本来の父なのかなという感じもしました。

 

2014年12月26日

2014年12月23日に救急搬送され、一番最初に行ってもらった治療が

 

t-PA(組織型プラスミノゲンアクチベーター)

 

と呼ばれるものでした。

 

一応、説明はされたんですが、詳しいことはよくわかりませんでしたが、先生は解りやすく説明をしてくださいました。

 

このt-PAと呼ばれる脳梗塞の治療ですが、先生の説明いわく、

 

脳梗塞は、動脈硬化で脳の動脈が狭くなったり、心臓などから血栓が剥がれて流れて来たりして、脳の血管が詰まる病気です。

脳細胞に栄養や酸素が送られないと細胞が死に、半身麻痺などの後遺症や死亡に繋がります。

 

とのことです。これは、理解できました。

 

ここからが少々専門的な説明だったのですが、この治療において、

 

血栓溶解剤 t-PA は、組織型プラスミノゲンアクチベーターの略で、血管を詰めた血栓に付着して、効率よく血栓を溶かす働きがあります。

血栓に親和性が高く、手足の静脈から通常の点滴で十分な効果が得られるとされています。

この t-PA は、

 

効果が強い分、副作用も大きい、両刃の剣

 

でして、

 

施設基準が厳しく制限されているようでして、基本的には、治療講習を受けないと使うことが出来ません。

そして、血栓が溶けたときに、もろくなっていた閉塞血管から出血することが多いので、出血がひどくなった場合に、手術対応が出来る脳外科設備のある施設で、脳卒中専門医が用いることが原則です。

 

とのことでした。更に続けて、

 

ここで、特に出血をきたしやすい重症脳梗塞患者として、

 

  • 神経症状が重篤な方
  • 75歳以上の高齢者
  • CT上広範囲の早期虚血性変化
  • 高血糖
  • 抗血栓薬使用
  • 低血小板数
 

などでは、十分な注意が必要で、 t-PA の有効性と重篤な出血の危険性についても、治療開始前に患者および家族と話し合うことが必要とされています。

脳出血を起こしても、脳梗塞で壊れた部分に、にじむ程度に出血するだけなら症状の悪化はないので、心配いりません。

逆に言えば、血行が再開すれば、脳が痛んだ脳梗塞巣に出血するのは、ある程度やむを得ないことでもあるのです。

これを最小限にし、助ける虚血部位を最大限にすることが、治療のゴールになります。

時間が経って、梗塞が完成してしまった部位に再開通すれば大きな出血を引き起こすことになります。

危険をよく見極めつつ早い投与が望まれます。

 

このような説明を受け、この治療ができる施設で、且つ、専門医が在籍している、この病院に搬送されたことは非常に良かったのだと、この時点で感じました。

 

とにかく今の現状は、

 

  • 左半身不随状態
 
である状況ですので、投薬治療を進めていただくことにしました。
 
ここで、さらに先生から、 t-PA にて治療を行う際の詳細スケジュールについての説明を受けました。
 
先生からの説明では、
 
t-PA 使用基準として、CTだけで治療を開始できますが、当院では、さらに診断を確実にし、危険を評価するため、病院に搬入後、CTで梗塞の診断がついたら、MRI 特にDiffusion(脳のむくんでいる範囲:助けられない部分)とMRA(詰まっている太い血管が判る)を20分程度で撮り、この間に患者家族に十分にインフォームドコンセントをした後、可能なら患者自身の了解も得て、3時間以内に t-PA を静脈投与することにしています。
また、脳梗塞で増える毒素の吸着剤(ラジカット)を直ちに使用し、 t-PA 投与後は、高気圧酸素療法(HBO)を実施して、脳浮腫を防ぎ、再開通まで脳細胞の死を先延ばしにするようにしています。
治療は、脳梗塞発症後、出来れば1時間以内に開始したいものであり、早期の判断が必要です。
しかし、落ち着いて判断するようにしてください。
また、心臓に近い太い血管ほど、再開通せずに広い範囲の脳梗塞になって命の危険が24時間前後で発生してきます。
この時には、開頭手術も必要になる場合があります。
 
とのことでした。
 
先の説明から、この治療を早急に行ってもらったほうが、後遺症になる率が低くなる可能性があるということは理解していましたので、母は、この t-PA を行えるのが、病院に搬送後、40分以内が有効とされているとのことで、父が倒れ、母が脳神経外科病院に連絡をして、搬送されるまでに20分程度だったこともあり、この説明を受けた後、母は、寝たきりになるより、望みがあるならということで、同意書に署名をし、投薬治療をしてもらったそうです。
 

その後、治療予定について説明を受けたのですが、怒涛の1週間になる予定でした。

 

一般的な治療予定としては、

入院 CTやMRI 血液検査 診断確定・治療方針説明
脳梗塞確定 30分 ラジカット開始
脳梗塞による毒素の軽減
高齢者・腎不全注意
t-PA の実施 60分
一部静注
その後、1時間かけて点滴
危険と効果のバランスの説明を受け、本人家族の了解
高気圧酸素療法の実施 90分
加圧15分2気圧
100%酸素1時間減圧15分
危険と効果のバランスの説明を受け、本人家族の了解
3時間後のMRI 血栓溶解再開通〜変化無し・出血まで判断 経過説明 状況により追加の治療、血圧管理
24時間後のMRI 血栓溶解再開通〜変化無し・出血まで判断 経過説明 抗血小板剤や抗凝固剤など開始の判断
24時間から3日 CTなど脳浮腫判定、リハビリ本格化
広範囲梗塞では脳ヘルニアの危険
時に手術が必要
7日から10日目 リハビリ治療経過
説明
リハビリ病院の選定

 

この治療予定の中には、

 

高気圧酸素治療

 

も含まれており、酸素カプセルに入って行う治療なんだそうです。

 

この頃には、スポーツ選手が怪我をしたときなどに、酸素カプセルで療養することで、自然治癒力を向上させるものと同様の考えの元、この治療が行われているとのことです。

 

ただし、 t-PA と高気圧酸素治療を同時に行う場合、リスクもあり、血管が弱い人の場合、高気圧酸素治療中に出血をして、手術に移行する場合があるそうです。

 

ここで、出血をした場合、他の後遺症が発症してしまうこともあるとのことです。

 

たまたま、父の場合、血管が強かったようでして、 t-PA も高気圧酸素治療も上手くいき、後遺症が最小限に抑えることが出来たという運もあったようです。

 

この投薬治療ですが、結果が見えてくるのが3日程度かかるようで、その間、母共々、ドキドキしながらの数日を過ごしました。

 

3日後、主治医の先生からの説明とのことで、父・母・私が呼ばれ、治療経過を伺いました。

 

その結果、父のMRI画像を見ながら説明を受けたのですが、投薬・高気圧酸素療法を併用し、本来2本ある血管のうち1本が再開通しましたとのことでした。

 

これにより、完全に左半身麻痺になることはなく、これからのリハビリに励んでくださいとのことでした。

 

先生からの説明の後、一旦、待合室に通され、これからのリハビリの治療計画を専門チームから伺うことになりました。

 

2014年12月26日

2014年のクリスマスイブの前日、デスクワークをしている最中に、母からの一本の電話。

リーン♪リーン♪

受話器を取ると、いつものように母から、いつものような声のトーンで、

こんにちは。
今日は、○○へ行ってる日?

と聞かれ、私は、

○○じゃないよ。
事務所でデスクワーク。

と答えると、

お父さん、倒れた。

と言うではありませんか。私は、

えっ!なに?どうしたの?

と聞くと、母から

さっき、お昼を食べた後、

 

お茶を入れようか?

 

と、お父さんに聞くと、様子が変で、


お父さん、大丈夫?
 

と肩を押すと、

 

バタッと倒れたのよ。
 

その時、全く反応もないし、目もうつろだったから、これは、いけない!

 

って思って、以前、片目が突然見えなくなったときに、お世話になった脳神経外科に連絡したら、

 

救急搬送

 

って事になって、今、初期治療しているところ。

と言うんです。

 

母からは、

先生が言うには、MRIを撮って説明してくれたんだけど、右脳の脳梗塞だって。


今からやる投薬が効けば後遺症は残っても、最終的には、その人のやる気次第だけど、寝たきりにはならないところまで回復するってことみたい。

ということなので、とにかく今できる可能な限りの治療を始めてもらいました。

 

実をいうと、今回の脳梗塞から数年前に、一度、脳梗塞をしているんです。

 

その時の症状は、踏み台に立ったときに、右目が見えなくなって、数分後には、普通に見えるようになったんだそうです。

 

一応、何が起こったのか調べてもらおうと、近くに脳神経外科があったので、そちらに、かかりつけ医に紹介状を書いてもらって連絡を入れ、直ぐに検査をしてもらったんですが、血栓もなく、先生曰く、軽い血栓で、詰まったときに見えなくなって、その後、血栓が流れて、見えるようになったんだと思います。とのこと。

 

一応、3日ほど、血液をサラサラにする点滴をして退院するようにしましょうか。

 

ということで、即入院!即治療!をして、このときには、生活習慣などを指導され、退院したんです。

 

父は、この入院時までは、

 

タバコを1日3箱

瓶ビール(大)2本

 

といった感じの生活をしていたんです。

 

それを改めることになったんです。

 

病気にかかると本人も自覚があったのか、タバコにお酒をパタリと止めたんですから。

 

それでも、長年の蓄積があるためか、病院の先生からは、また詰まることがあるかもしれないので、気をつけてくださいね。

 

とのことでした。

 

それが、気をつけていたけど、今回のような自体になってしまったんです。

 

2014年12月23日
 

2014年冬。

クリスマスイブ前日に、父が、脳梗塞で救急搬送され、緊急手術、後遺症をなるべく残さないための治療方針、リハビリ方法、などなどについて、ノートにしたためていた内容をアメブロで振り返りながら加筆をしながら、皆様にお伝えしていきたいと思います。