I脳神経外科病院には、隣に
通所型リハビリテーション棟
があるため、
- 理学療法士
- 作業療法士
- 言語聴覚士
- 介護支援専門員(ケアマネ=ケアマネジャー)
の先生方の質が高い感じがしました。
といいますのも、父の症状と初期治療後の経過から、幾人からいる先生方の中から、父の症状、父の目標にあった先生方を人選していただけました。
ちなみに、これら専門医について、簡単に説明したいと思います。
- 理学療法士
日常生活の基本となる動作能力(起き上がる・座る・立つ・歩く・車いすをこぐ…など)の改善を目的に、運動療法・物理療法(温熱治療など)を行います。
- 作業療法士
毎日繰り返し行う活動(食事・排泄・更衣・整容・入浴…など)や家事動作訓練を行い、その方に適した方法・道具を検討し、快適な日常生活を送れるように援助します。
- 言語聴覚士
言いたい言葉が出てこない、相手の言葉が理解できない…といったことによるコミュニケーションの問題や飲み込めないといった問題に、適切な訓練・指導を行います。
- ケアマネ=ケアマネージャー
要支援・要介護認定を受けた人からの相談を受け、介護サービスの給付計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整等を取りまとめを行います。
このようなことをする方々なんだそうです。
改めて、先生方の専門分野について調べてみましたが、リハビリの内容によっては、こういった方達がタッグを組んでリハビリにあたられるんですね。
さて、このような専門の先生方に助けていただいて、父の左半身の機能回復に取り組んでいるのですが、最終的な治療における病名は、
高次脳機能障がい
と呼ばれるものでした。
なんか、言葉としては、格好いい!なんて思ってしまったのですが、実のところ、それだけ、脳にダメージのある状態であるというものなんだそうです。
父の場合、たまたま実家の近くに十数年前に開院していたI脳神経外科病院があったので、寝たきりにならずに、リハビリをすることが出来ているのですが、実は、60歳、ちょうど定年退職して間もないときに、1度目の脳梗塞をしているんです。
その時も、私は近くに居なかったので、母に、状況を聞いたんですが、
突然、左目が見えなくなった!
と言い出したので、とっさに、母は、救急でI脳神経外科病院へ飛び込んだんだそうです。
そして、すぐに、検査をしてもらったようなのですが、検査の最中、先生も
あれ?血栓がないぞ?
と言いながら、先生が父に、
今、普通に見えていませんか?
と聞くと、
見えます
と父が答えたんです。
すると、先生が、
軽い血栓だったようで、流れたみたいですね
と説明し、
一応、また血栓があるかもしれないので、経過観察のために、2週間ほど、血をサラサラにする点滴をするために入院してください
とのことで、即日、入院した経緯があるんです。
今回の脳梗塞も、父は父なりに、1回目の脳梗塞のこともあったので、
マイルドセブンを1日2カートン吸っていたタバコをパッタリと辞め毎日、瓶ビール2本と日本酒2合を、350ml缶ビール2本を週2回に控える
という生活に改善することもしてきたのですが、今までの不摂生によるものは、そうそう相殺されるのでもなく、2回目の脳梗塞になってしまったということのようです。
加えて、今回の脳梗塞になる前に、健康診断の機会があったようなのですが、父曰く、
年末年始は不摂生するから年明けに健康診断をするよ
ってことにしていたみたいなんです。
それも無駄になってしまったみたいです。
後日、母から、あのとき、健康診断を受けさせておけば、こうはならなかったのかもしれないね。って言われました。
でも、血栓だから、健康診断で発見できていたのかなぁ?とも思いました。
さて、話が大分それましたが、リハビリの状況ですが、12月31日の段階で、父が、看護師さん含め、専門医の先生に対して、結構わがままを言っているようなんです。
その介もあってか、
寝返りを打ちたいときトイレに行きたいとき
※まだ尿瓶での排泄みたいですが・・・。
その他、もろもろ、しっかりナースコールを鳴らして、呼び出しているみたいです。
それを聞いただけでも、少し、安心したんです。
昭和の頑固親父の面もある父なので、まぁまぁプライドが高いはずなんです、その父が、ナースコールを鳴らしているというからです。
プライドどころじゃないと父も悟ったのかもしれませんが、ナースコールを鳴らすことをするようになったころ、父の心の変化もあったのか、先生たちといろいろと話をするようになったようです。
例えば、今回、展示会に画が入選したこととかです。
父のお見舞いに行ったときに、入選したんですね。と言われ、父が話したんですね。と聞き返しちゃいました。
ちょっと、嬉しかったですね。
やっぱり、入選したことは、相当自慢だったみたいです。
ここでのリハビリの大半は、
寝返りが打てるようになる
とか、
手すりを掴んで起き上がれるようになる
とか、
一番問題のトイレに行けるようにする
とかだったようです。
左半身の麻痺が、やはり相当だったみたいで、これ以上、悪い方向へ進行しないように、最低限のリハビリやマッサージをして
回復期
に向けての準備をしておくというものだったようです。
それでも、父は、その先を望んでいたようだったので、母と話して、介護用品のお店で、ブツブツのボールを買って、父にリハビリ以外の時は、これ「にぎにぎ」してみたらとか、病院のリハビリ以外にも、先生に自分で出来るマッサージやリハビリの方法を聞いて、ベッドの上でやっていたみたいです。
こんな感じで、年末年始は、お見舞いに行くと父のリハビリを見学する。という日々だったんですが、年を明けて、間もなく、先生からリハビリ専門病院への転院の話が出てきました。
いよいよ、リハビリに本腰といった感じです。