義両親が施設に入所して、自由な暮らしが戻ってきた
と言うのに、まだ脳疲労が続いているという‥
いや、自分次第のところはある。
だから、続けてしまっているというのかもしれない。
昨日、何も言わずに出て行った義両親にモヤモヤを残すも、
文句も言わずに出て行ったことに意識を向け、部屋の原状復帰に勤しんでいた。
しかし、夕方、ちょっとしたことで夫と揉めたのを機に、気持ちが落ちた。
まぁ、このちょっとしたことが私の失敗でもあるんだけど‥
そうなると、ずっと抱えてきた負の感情、そして、ついさっき芽生えた、最後に何も言ってもらえない虚無感が頭と心を占める。
なんなら、夫すら、私にかけた言葉は、
「お疲れ様」
まぁ、夫とは力を合わせて乗り越えてきた感があるので、ある意味、互いに「お疲れ様」でもいいかと思った。
しかし、顔を合わせることがない義姉からはもちろん7か月の締めくくりの挨拶があるわけもなく、当の本人たちからは「さよなら」すらないわけで‥。
そんな中、義兄だけは、最後車に乗り込む前に、
「ほんと、長い間、ありがとうございました」
と言ってくれた。
義兄は義兄で、無駄な情報を流されて心を痛めつけられたこともあったけど、最後、この言葉をくれたのは義兄だけ。言われた瞬間は、あなたがそう言えるんだと思った。すごっと思った。義姉の代わりのつもりなのかなぁ‥。
いずれにしても、この言葉の存在はありたがい。
礼なんて催促するもんじゃないって分かってるけど‥。
そして、もう一つ、いつまでも私の心に残るのは、
義姉問題
義両親がいなくなったのだから、もういいでしょって思ってる?夫に聞きたい。
結局、最後まで私の前に姿を現さなかった義姉。
それが、なんと、直接ひとりで施設に来たらしく、3人で施設から説明を受けたと。
そして、「ちょくちょく様子を見に来る」と言ったらしい。
それは、よかった。
これまで介護放棄した分、やる気になってくれたのかしらね。
もう、それでいい。それでいいやん。
もう関わらなければいいだけやん。
これまで、目の前にいる義両親の世話したり、何か問題があると、
「義姉さん?」
って思い出してしまっていたけど、もうそれがないわけだから、思い出さずに済むやん。
きっと時間が解決してくれるよね。
そういう気持ちとさ、
いやいや、うやむやにするつもり?
私があれだけ発狂してても、私は大丈夫やって思ってる?もう平気や思ってる?
あなたが思ってる以上に、心に負荷を負ったんやで??
体重だって、こんなに見事に右肩下がり。
ま、直前にちょっと増加してるってのもあるけど
私は当の本人たちも、受験生の娘もいるから、自制する(いやま、いったんは発狂したりもするのだが‥💦)。
義姉は自制しなきゃいけない環境がないから、気が済むまで病めてしまうんじゃ?
そう考えると、私は自制しなければならない環境のために病まずに済んでると、いい解釈をしてきたけれど、でも、いつまでも病んでる人は「追い詰めないでそっとしといてやって」と言ってもらえる。
自制した私は、大丈夫や思われてる?苦悩を理解してくれてない?
理解しろよ
という気持ちが葛藤している。
今日、このブログをこま切れに書いている。
はざまはざまでずっと考えてる。
ついさっき、義両親の何も言わない問題は、もういいかと思えた。
食事に「美味しい」も言えない人には「ありがとう」「世話になった」も期待せんとくかと。
期待するから裏切られて腹が立つ。
もう「仕方ない」にはだいぶ慣れたはず。
2つも抱えるとしんどいから、1つはいいことにする。(現時点。笑)
義姉問題だけは、まだしばらく引きずりそうだな。
困ったもんだ