青年と欲 | Jさんブログ

Jさんブログ

ケアマネジャー受験対策講師育成ブログ (さくら福祉カレッジ )

きょうは神戸にいるよ。

キッチンカウンターとエアコンが
家に届くということで妻と一緒に
行ってきたんだ。

新しい家に。

4ヶ月前に借りた家なんだけど、
わたしたち、まだ住んでなくて。

(笑)

赤ちゃんも生後2ヶ月になるから
そろそろかなと思ってさ。

準備を進めているんだ。

さっき、事務所に寄ったらK先生が
一人で仕事をされていて。

中に入るとあまりに暑かったからさ。

扇風機を買いに行ったよ。

K先生とわたしたち家族で。

2台買ったよ。

すでに1台あるから、3台だね。

10畳ほどの事務所に3台。

(笑)

お盆明けに、事務所にもエアコンが
設置されるらしいから、それまでは
なんとかこれで乗り切ってほしいね。

ところで、昨日はさ。

みんなで食事会をしたんだ。

東京にいる顕也先生という、古株の
仲間が訪ねてきてくれてね。

一緒にワイワイとやっていたんだ。

顕也先生とK先生は年が2つ差ほどで
なんだか妙に気が合うようで。

わたしの知らないところで、勝手に
仲良くなっててさ。

(笑)

なんだか、わたしも嬉しくなったよ。

二人は同じ信仰者であり、同じ世代
であり、まだ同じ男であるからさ。

考えていることや悩んでいることも
同じようなところがあるようで。

そのうちの1つについてさ。

わたしの思うところを昨日少しだけ
アドバイスさせてもらったんだ。

今日はあなたの参考のために、二人
には、犠牲になってもらおうかな。

(笑)

若い信仰家、宗教家のぶつかりやすい
テーマとしてさ。

物欲、色欲。

あるいは、食欲。

こういった欲との付き合い方がある
わけだね。

一般の青年男子は、こうしたものを
一生懸命求める。

そのためにがんばる。

だけど、宗教というのはさ。

心の教えになるわけだね。

心というのは物ではない。

だから、肉体という物質に起因する
ところの物欲、色欲、食欲といった
ものに惑わされてはいけないと。

こういう基本的な考え方があって。

これを宗教家、信仰家は学んでいる
からさ。

そうした欲や思いが出てきてしまっ
たときに苦しみを感じるわけだね。

自分はダメだ、いけない、と。

そうした、ある意味での牽制球の
ようなものを自分で投げることは
油断を生まないためにとても重要
であると思うけどさ。

あまり固執しすぎるのも良くないと
わたしは思っていて。

物欲はダメ、物欲はダメ、物欲は
ダメ、って思っているとさ。

宗教を学んでいない普通のひとより
悪い心境にすらなることがある。

だから、適度に牽制していくといい
わけだね。

自分の肉体に起因する欲については。

実際、むかし、男を知らずに死んだ
尼さんが、色情系の地獄に落ちたと
いうことを学んだことがあって。

実際に男に抱かれはしないもののさ。

ダメと分かっているからこそなのか、
心の中で異性、男のことを考えすぎ
ちゃったようで。

あの世というのは心の世界だからさ。

自分の心と同じ心の世界に行く。

生前、異性との絡みばかりを考える
心であったなら、そうした地獄に行く
ことになるということだね。

だけど、尼さんではなく普通の女性
であればさ。

男は禁断の対象ではない。

だから、好きなら好きで構わない。

家庭を持っても構わない。

こういう状況であったなら、そこまで
渇望、熱望するということはない。

適度に欲を満たしているからさ。

そこに執われることもないわけだね。

これもまた、あんまり相手が多すぎる
と色々な不都合も出てくるだろうけど。

適当に、ドロドロしない範囲で異性と
関わる分にはさ。

それだけで地獄に落ちるということは
ない。

人生を通して複数人の異性と関係を
持った一般女性と一切なかった尼さん。

一般の人が天国に還り、尼さんが地獄に
落ちる。

これって、ある意味での悲劇だよね。

しかし、現実にはそうしたこともある。

信仰家、宗教家は心を学ぶプロだから、
今の尼さんのようなケースになることは
実際には稀だけどさ。

もっと高い段階まで悟りが及べば、そう
した事態にはならないわけだけど。

ただ、信仰初期であったり、浅い教えの
宗教しか学んでいなかったりということ
であれば、そうしたことが起きる可能性
もある。

それで二人にはアドバイスしたんだ。

正しい信仰を持って、二人のようにしっ
かり精進していれば、自然とそうした欲
に翻弄されなくなるときが来る。

そして、何よりまだ二人は年齢が若い。

二人とも独身。

バツイチだけど。

(笑)

年齢相応の思考傾向やエネルギーという
ものがあるから、ダメだダメだ、という
ふうに固執する必要はない。

そうしたことを伝えたんだ。

女性を求めるなら、求めるでいい。

パートナーが欲しいと思うことは決して
地獄行きの考えではない。

時計が欲しい、車が欲しい。

これも自然に出てくる欲の一つ。

年齢相応に強かったり、弱かったり。

若いときに強いのは当たり前。

だけどそれを、悪いことしてまで得よう
としているわけじゃない。

誰かを傷つけて、得ようとしているわけ
じゃない。

仕事をしてそのお金で買おうとしている
なら、それは悪いことではない。

物欲や異性欲というのは、それ自体が
悪というものではない。

その欲の扱い方、接し方を間違えたとき、
悪になる可能性があるというもの。

だから、欲が出てくることをもって即、
悪というふうに判定してはいけない。

その必要はない。

それはむしろ良くないということを伝え
たんだ。

それと、もう一つ伝えたのはさ。

潔癖でいたいという心を持っているんじゃ
ないかということ。

信仰において、心を清くするということは
当然、必要で重要なことなんだけどさ。

この地上において、ユートピア活動をする
ということは、それなりの力仕事だったり
汚れ仕事だったりが出てくることもある。

仕事をしていればさ。

いろんな人と関わるわけだよね。

いい状態の人もいれば、そうでない状態の
人もいる。

その中でわたしたちが望んでいない影響を
受けることだってある。

つまり、傷を負うことだってある。

この傷を代償として覚悟しているかという
ことだね。

自らは理想のために、散る覚悟があるかと
いうこと。

自分の行き先は、天国でも地獄でもいい。

それは自分の計るところではない。

「地獄上等」くらいの気持ちで、第一線で
戦っていく。

理想、使命のために戦っていく。

こういう気概も大事だとわたしは思うんだ。

お利口さんで使命を果たせると思っていたら
甘いですよと。

大いなる使命のために散っていった坂本龍馬、
吉田松陰ではないけどさ。

何かを成すためには、ある種の犠牲を払うと
いうこともあるからね。

それを恐れたり、逃げたり、避けたりしては
いけないということだね。

「上等」というくらいの気概を、宗教家は
持っていたいものだとわたしは思う。

覚悟を決めること、大事だね。

そんな話を昨日、あっさりとしていたんだ。

こってりではなく。

(笑)

悩むこともまた、大いなる悟りへの第一歩。

順調に歩んでいる証明と見ることができる。

だから、わたしは嬉しさも感じてね。

これからも見守っていけたらなと思ったよ。

少しくらいなら役立つヒントを示すことも
できるだろうから。

欲を牽制することは確かに大事。

ただ、そのことに執われすぎないことも
大事。

また、潔癖でいようとすることが弱さと
なって、理想や使命から自分を遠ざけて
しまうことがある。

大いなる使命に生きると覚悟したとき、
自然と自己執着が薄れ、これまで滅そう
と努力していたものが自然と消えていく
ことがある。

そういう事実も掴んでおくといいかも
しれない。

そう思うね。

何かあなたにもヒントになるところが
あったなら嬉しいね。

J