4-2-2 ハーゼル説の批判的検討 (ⅱ)中華民国政府は亡命政府なのか | 中国について調べたことを書いています

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()中華民国政府は亡命政府なのか

 

まず亡命政府とはどういうものかを見ていこう。

  これも、仮の要件として以下のような要件を考えてみた。

 

a.戦争や革命などにより政権の存続が不可能になったこと

b.国家の首脳が国外に政府を移したこと

c.受け入れ先に正統政府と認められること

d.政府組織としての実体があること

 

a.戦争や革命などにより政権の存続が不可能になったこと

これは国共内戦に敗れたことで、1949年に中華民国国民政府が大陸で政権を存続させることができなくなったということはできるだろう。

 

b.国家の首脳が国外に政府を移したこと

1949年に国民党の蒋介石政権の首脳が重慶から台北に政府を移したのは事実である。しかし、軍事政権のところで書いた通り、1949年の時点で中華民国にとって台北が国外であったとは言いにくい。国民党にとっては、これは亡命ではなく遷都であった。国外に移したという意識はなかっただろう。ハーゼルはこの時点で台湾はアメリカの軍事占領下にあったというから、もしそれが事実ならば、少なくとも国内ではないといえるかもしれない。しかし、ハーゼルの言うように、蒋介石がアメリカ軍を代行する形で台湾を占領していたとするなら、蒋介石は台湾を国外と考えていたということになるが、果たしてそんなことがありうるだろうか。

 

c.受け入れ先に正統政府と認められること

これは、「受け入れ先」がどこなのかという点が問題になるだろう。ハーゼルの考えによれば、台湾を軍事占領していたアメリカが、中華民国国民政府の亡命を受け入れたということになるのだろう。しかし、それを示すような事実はないだろう。そもそもハーゼルの主張するアメリカ軍事政府というのが現実には存在しない架空の存在である以上、そこが亡命政権を正統の政権だと認めることは不可能である。また、ハーゼルは1949年10月1日の時点で中華民国は消滅したと考えているようだが、消滅した国家の政権を正統政府であると認めるというのは矛盾しているように思えるがどうだろうか。

 

d.政府組織としての実体があること

これは問題なく認められるだろう。中華民国国民党政権は大陸でも機能していたもので、それがそのまま台北に移っただけだからである。

 

いずれにしても、ここではbの「国外」という部分と、cの受け入れ先に正統政府だと認められるという要件を満たしていないため、中華民国政府を亡命政権だとする意見は受け入れられないという結論に達する

 

なお、要件には加えなかったが、亡命政権が正統政権として祖国に戻る意志と能力を持っているかどうかも重要な点であると思う。蒋介石は台湾に移ってからも「大陸反攻」を政策として掲げ、大陸に戻る意志を示していた。また、外蒙古を含めた大陸地区が中華民国の領土だと主張してきた。それがいかに能力の伴わない現実離れした考えであったにしても、1960年代から1970年代ごろまでは、少なくとも「大陸反攻」の意思は持っていたといえよう。しかし、台湾に移って70年以上が経過した現在、「大陸反攻」は現在の国民党も考えていないだろう。ましてや台湾独立を志向する民進党が大陸に戻る意志を持っているとは到底思えない。

 

こうしたことを考えても、やはり亡命政府論は受け入れにくい。

 

ただ、ここでも要件をもう少し広く緩くした場合のことも考えておこう。

まず、bの「国外」という要件だが、台湾は戦争中は日本の植民地であり、カイロ宣言が無効であるという立場をとるならば、1945年8月15日以降も日本の植民地という地位が継続していたと考えることもできそうである。日本が正式に台湾を放棄したのはサンフランシスコ講和条約だからである。このように考えるならば、国民党政権が「国外」である台北に首都を移したのは亡命であると考えてもいいのかもしれない。

そうなると1945年に中華民国政権の亡命を受け入れたのは日本であるということになる。かなり無理があるが、1945年10月25日の降伏式典を「亡命政府の受け入れ」と考えることができるならば、cの要件も満たすということになるかもしれない。

ただ、ハーゼルの主張するところによれば、1945年8月15日以降台湾を支配していたのはアメリカ軍政府なのである。日本ではない。繰り返しになるが、架空の存在が亡命政権を受け入れることはできない。

 

ハーゼルの亡命政権論は、アメリカ軍事占領論よりは多少の道理があるようではあるが、やはり受け入れられない。