4-1-2 ハーゼルのアメリカ軍事占領論/亡命政府論 | 中国について調べたことを書いています

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ハーゼルの主張のもととなるアメリカ軍事占領論/亡命政府論について、以下の論文を中心にその内容を見てゆこう。筆者の林志昇は、台湾民政府という団体の人物である。何瑞元はハーゼルの中国語名であり、ハーゼルは台湾民政府に加わっていた。二人はしばしば共同で論文を書いている。

 

林志昇・何瑞元「戰爭法之下的台灣立場」

2005930日自由新報

https://talk.ltn.com.tw/article/paper/36548

 

林志昇・何瑞元「戰爭法下的台灣歷史」

https://www.taiwanbasic.com/key/dc/taiwan/taihistwr.htm

 

 論文は独自の言葉遣いなどが多くわかりにくいのだが、適宜説明を加えながら年代順に整理してみると、以下のようになる。

 

・1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏した。アメリカは「主な戦勝国」であり、台湾の「主な占領権国」となる。

 

・1945年10月25日、降伏式で日本の台湾総督府の安藤利吉は、中華民国代表の陳儀に台湾の権限を委譲した。しかし、これは無効である。マッカーサーは蒋介石を台湾に派遣して台湾地区の「軍事占領」を始めたのであり、この日アメリカの軍事占領が始まった。

 

・1949年10月1日、中華人民共和国が建国を宣言した。これは中華人民共和国によるクーデターである。つまり、中国を代表する政権は中華民国から中華人民共和国に変更され、中華民国政権は権力を失った。この時点で中華民国という国家は消滅したことになる。

 

・1949年12月、中華民国の高級官僚が台湾へ亡命。国際法上これは「中華民国亡命政府」にあたる。合法的な政権ではない。

 

・1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約で日本は台湾を放棄したが、引き受け国を指定しなかった。中華民国には台湾の所有権がないからこれを引き受けることはできない。ほかに引き受けることができる国はないので、台湾は引き続きアメリカの軍事占領下にある。

 

このなかでカイロ宣言、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約がどのように扱われているかを見てみると、以下のようになる。

 

・カイロ宣言:有効だが、「台湾の主権の中国への移転」という法的な効力は持っていない。

・ポツダム宣言:有効だが、カイロ宣言を履行しても、台湾の主権は中国に移転しない

・サンフランシスコ講和条約:有効。日本が放棄した台湾は中華民国の領土ではなくアメリカの軍事占領下にある。