愛知県美術館
『マックス・エルンスト―フィギュア×スケープ』(2012年)

風景写真 カメラ1


こんちわ~、クマ太郎ですくま

愛知県美術館の『マックス・エルンスト―フィギュア×スケープ』を観てきました。

たぶんオイラの中でも、エルンストはサルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、ジョルジョ・デ・キリコ達よりも印象が薄かったのです。

でも、こうして仕事を見てみると、彼の一風変わった「こだわり」は他の作家とは少しばかり違うことに気付きました。


マックス・エルンスト
《海と太陽》
紙にグワッシュ、グラッタージュ
1933年頃 24.5×35.8
筑波大学・石井コレクション
風景写真 レンズ1


マックス・エルンスト
《つかの間の静寂》
キャンバスに油彩 1953-57年 53×62
東京国立近代美術館
風景写真 レンズ2


この時代の巨人と言えば、アンドレ・ブルトン。
評価は難しいですが、好い意味でも悪い意味でも彼の山師的な政治趣味が漂います。
非常に有能なディレクターであると思います。
ブルトンが素晴らしいと言えば、サブカルチャーの世界で確約されたも同然。

しかし

1920年、エルンストは、前年キリコに捧げたコラージュがポルノグラフィー制作の容疑をかけられて起訴され、これによりブルトンらパリのダダイストからの共感を受けるわけです。
そして1954年、「第27回ヴェネツィア・ビエンナーレ」の絵画部門で大賞を受賞。翌年には、受賞を非難してシュルレアリスムからの彼の追放を宣言したブルトンと絶縁します。

エルンストにとっての35年と、ブルトンにとっての35年の密度の違いがもたらした破綻でしょう。

ブルトンはいつしか進化と変化を止め、エルンストは常に変化しメタモルフォーゼした。

さて

マックス・エルンストの驚くべきところは、その一個人の人生の中に、近代から現代までの芸術の進化の過程がプラネタリウムを見るように凝縮されていることです。

ある意味、非常に「無名的=アノニィマス」な態度は、幼少に叩き込まれた敬虔なクリスチャンとしての教育と、ゴッホの絵画に触れ画家を志した直後にギヨーム・アポリネールやロベール・ドローネーとの交流をもつという、一種破綻的な出会いを同じものとして受け入れるという素養にあるのではないでしょうか。


マックス・エルンスト
《クライスト、ブレンターノ、アルニム》
(『カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、海辺の僧侶』のための挿絵)
紙にリトグラフ 1972年 24.7×18.5
ブルスベルク画廊
風景写真 レンズ3


この展覧会でオイラが驚いたのは、晩年の彼の仕事です。
ピカソと似ているのですが、まったくスタイルに対してのこだわりがないというか、いや、全てが「わたしの生み出す手」というのでしょうか…
あるがまま、なのでしょうか。
自由 それこそが。


マックス・エルンスト
『マクシミリアーナ、あるいは天文学の非合法的行使』(7)
紙にエッチング、アクアチント
1964年 41.6×61.1
富士ゼロックス株式会社
風景写真 レンズ4


マックス・エルンスト
『マクシミリアーナ、あるいは天文学の非合法的行使』(28)
紙にエッチング、アクアチント
1964年 41.6×61.1
富士ゼロックス株式会社
風景写真 レンズ5


学位なき天文学者で詩人のエルンスト・ヴィルヘルム・レベレヒト・テンペルを讃えた版画集での彼の仕事は、一種芸術から現代のデザインの領域に下げ渡されたタイポグラフィーの秀逸なひな形と言えないでしょうか。

展覧会を観終わっても釈然としないのは、この作家の内面に立ち入るには作品だけでは困難なのではないか、という想いでした。
それは、同じ芸術の領域でも音楽に似ているということです。

エリック・サティを思い出します。
サティの音楽から、彼の不可思議な人生を思い浮かべることは難しいはずです。

とにもかくにも

この作家は自己主張しない、自然体の作品を作り続けながら、ある意味で全く外界を拒絶してさえいるのではないか?ということです。

一度ご覧下さいくま


『マックス・エルンスト―フィギュア×スケープ』
◆2012年7月13日(金)-8月12日(日)【前期】
 2012年8月14日(火)-9月9日(日)【後期】
 愛知県美術館
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(名古屋市東区東桜1-13-2)

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