愛知県美術館
『ゴッホ展』(2005年)



世界最大のゴッホ・コレクションを誇る、オランダのファン・ゴッホ美術館クレラー=ミュラー美術館キラキラ
そのコレクションを中心に、ファン・ゴッホの芸術を生んだ時代背景や文化的環境を紹介しつつ、画家としての彼の素顔に迫ろうという展覧会です。
(全5章、展示作品約60点+資料約60点)


目玉がいくつも来てたんですが、
名古屋ではまずお目にかかれないのがこちら。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《ひまわり》
キャンバスに油彩 1888年 100.5×76.5
SOMPO美術館

1987年、ロンドンのオークションにて53億円ポーンで競り落とされた作品。
「愛・地球博」(日本国際博覧会 : 2005年)の開催に合わせ、期間限定で展示されました!目

ただ、愛知万博も、この《ひまわり》も見てないワタシは、
こちら↓をイチ押ししますケド……


フィンセント・ファン・ゴッホ
《夜のカフェテラス》
キャンバスに油彩 1888年 81×65.5
クレラー=ミュラー美術館

夜空の「青」に惹かれるわ~ピンクハート

展覧会の内容は、ゴッホの生涯に沿って5つのセクションに分けられます。
(以下の文章は展覧会のパンフレットより抜粋)


◆ Ⅰ 宗教から芸術へ

ゴッホは16歳の時から美術商として働いていましたが、宗教への強い関心から23歳で仕事を辞め、聖職者になるための努力を試みます。
が、その努力は報われず、彼は絶望ののち1880年に画家になる決意をするのでした。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《開かれた聖書のある静物》
キャンバスに油彩 1885年 65.7×78.5
ファン・ゴッホ美術館

画家になっても宗教への思いは失われていないことを示す一枚です。


◆ Ⅱ 農民の労働 芸術のメタファー

画家に転身して最初の数年間、ゴッホはオランダの各地を移り住みながら、さまざまな労働者を描きました。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《織工―窓のある部屋》
キャンバスに油彩 1884年
クレラー=ミュラー美術館

労働者に対する彼の関心は、敬愛するミレーの作品や当時の社会情勢、宗教や文学の影響を受けています。
貧困に苦しみながらも黙々と働く彼らの姿を、ゴッホは共感のまなざしをもって描いています。


◆ Ⅲ パリー闇から光へ

1886年3月、ゴッホは弟テオを頼って芸術の都パリにやって来ます。
それまで彼が親しんでいたのはレンブラントやミレーなど暗く沈んだ色彩の絵画でしたが、パリでの2年間のうちに、移ろう光と大気を明るい色彩で描く印象派絵画への関心を深めました。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《グラジオラスとエゾギクをいけた花瓶》
キャンバスに油彩 1886年
ファン・ゴッホ美術館


フィンセント・ファン・ゴッホ
《レストランの内部》
キャンバスに油彩 1887年 45.5×56.5
クレラー=ミュラー美術館

また、前衛的な画家たちとの交流も始まり、ゴッホはこれらの仲間たちによるグループ展を組織して新しい絵画のための共同体をつくることを夢想します。


◆ Ⅳ アルルーユートピア

1888年、ゴッホは芸術家たちが共同生活を送り、互いに支え合いながら新しい芸術の創造を目指すアトリエを南仏のアルルに作ろうと考えました。
このユートピア的共同体の拠点として「黄色い家」を借り、仲間の画家たちを迎えるために家具を揃え、自身の作品で室内を飾ろうと計画します。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《黄色い家》
キャンバスに油彩 1888年 72×91.5
ファン・ゴッホ美術館

ゴッホの熱心な誘いに折れたゴーギャンが10月下旬にアルルを訪れ、「黄色い家」での共同生活が始まりました。
しかし、芸術に対する考え方の違いから、二人の間には次第に緊張が高まります。12月23日、ゴッホが自分の耳たぶを切り落とす事件を起こし、ゴーギャンはパリへ戻ってしまいます。

悲劇的な事件によってユートピアの夢は破れたとはいえ、ゴッホはアルルで真に独創的な画家へと成長しました。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《芸術家としての自画像》
キャンバスに油彩 1888年 65.5×50.5
ファン・ゴッホ美術館

彼は色彩の表現力をますます重視し、
「僕は目の前にあるものを正確に写そうと努める代わりに、自分の気持ちを強く表現するため、色彩をもっと自由に使っているのだ」
とさえ語るようになります。


◆ Ⅴ サン=レミ、オーヴェール=シュル=オワーズ

アルルでの生活に自信をなくしたゴッホは、1889年5月、自分の意思でサン=レミ郊外の療養院に移りました。
快復に向かう間、彼はドラクロワやミレーなど、かねてから敬愛していた画家たちの複製版画の模写に取り組みます。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《ピエタ》(ドラクロワの模写)
キャンバスに油彩 1889年 73×60.5
ファン・ゴッホ美術館

彼は模写する作品を計画的に選びました。一連の模写にひとつのまとまりを与え、室内装飾にすることも考えます。
それぞれの作品は、「嘆き」「慰め」「幸福」「絶望」などを表しています。

ゴッホの念願は優れた人物画家になることでしたが、実際に晩年の作品の大半を占めるのは風景画です。
彼は宗教に代わるものを自然の中に求め、果てしなく広がる風景の前で「永遠」や「無限」を感じる一方、制作のためには自然と「格闘」しなくてはならないとも考えていました。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《糸杉と星の見える道》
キャンバスに油彩 1890年 92×73
クレラー=ミュラー美術館

アルル、サン=レミと2年にわたる南仏滞在を終えたゴッホは、再び北へと向かい、パリの北にあるオーヴェール=シュル=オワーズの村にたどり着きます。
風景画家ドービニーやセザンヌなど多くの芸術家が暮らした美しく穏やかな村は、彼に安息をもたらしました。


フィンセント・ファン・ゴッホ
《夕暮れの風景》
キャンバスに油彩 1890年 50×101
ファン・ゴッホ美術館

生涯最後の2か月、ほぼ1日1枚という驚異的なスピードで描かれたオーヴェールの風景は、静けさと平穏に包まれ、ときに孤独と悲しみが込められています。


『ゴッホ展』
◆2005年7月26日(火)-9月25日(日)
 愛知県美術館
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(名古屋市東区東桜1-13-2)

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