Pamela Colman Smith 3年表「カトリックへの改宗と没年まで」
Source)https://afterellen.com/pamela-coleman-smith-the-artist-behind-rider-waite-smith-tarot-deck/,“Pamela Colman Smith, “Sea Creatures” (undated), watercolor on paper, Alfred Stieglitz / Georgia O’Keeffe Archive, Yale Collection of American Literature, Beinecke Rare Book and Manuscript Library (courtesy Yale University)” via Hyperallergic.
これは「海の生き物」というタイトルでパメラが描いた水彩画。残念ながら制作年など詳しいことがわかりません。
海の妖精のような不思議な存在が、背後から女性に忍び寄っています。ミステリアスでとても美しいイラストですね。
スピリチュアリストでもあるパメラの才能が発揮されている神秘的なイラストじゃ。左下に、ウェイト・スミス版デッキにもあるパメラのサインがある。
さあ今日はパメラの残りの人生、晩年までの年表を一気に見てみようか。
1909年にウェイト・スミス版デッキのイラストを31歳でてがけたパメラ、その2年後の1911年にカトリックに改宗します。プロテスタントが主流の当時のイギリスで、カトリックに改宗することはかなり珍しいことだったようです。
しかし、このことがパメラの交友関係をせばめてしまう原因の一つになってしまったかもしれないのです。
彼女の同時代人のうち少なくとも一人は、彼女の決断に失望した。スミスの回心について、イェイツの妹リリーは父親に宛てて次のように書いている。「彼女は現在、熱心で敬虔なローマカトリック教徒であり、それは彼女の幸福を増しましたが、彼女の友人を奪いました。
Source:The woman behind tarot’s strange beauty,The Christian Century
イェイツというのはパメラが家族ぐるみで親交していた、ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)、当時有名な詩人でもあり劇作家でもあった人です。そして、パメラが黄金の夜明け団に入りウェイト博士と知り合うきっかけを作った人物でもあります。
いくつかの文献で、「カトリックに改宗したことがきっかけで、創作活動をやめてしまった」のような記述がみられましたが、年表を見ると40歳ごろまで著名な作家の小説の挿絵を描くなどイラストレータとしての活動は続けているよう・・・
しかし、1917年、39歳の時のイラストレーターとしての仕事はポール・クローデルの『十字架の道』の版画。やはり、かなりカトリックに傾倒していたと思われます。
ポール・クローデル(フランス語: Paul Claudel, 1868年8月6日 - 1955年2月23日)は、フランスの劇作家、詩人、外交官。外交官としては駐日・駐米フランス大使などを歴任。日本では「詩人大使」と呼ばれた。カトリック信仰に根ざした諸作品で「20世紀前半におけるフランス文学の最も重要な存在の一人」と評される。
出所)Wikipedia ポール・クローデル - Wikipedia
そして、1919年、41歳でコーンウォールのパークガーランドと言うところに移住します。そもそもコーンウォールってどこ?ということで探してみましたが、パークガーランドという地名は見つけられませんでした。
source)https://www.google.co.jp/
上の地図の赤矢印で示されたところがコーンウォール州。海辺の美しい地域のようですが、GoogleMapで調べてみたところ、現代でもロンドンからは車で5時間20分かかるようでした。
出版業界の中心であるロンドンから距離的に離れてしまったことが、創作活動に影響したのかもしれないです。
パメラ・・・なんでこんなド田舎に!?って思って調べたら海辺のめっちゃ綺麗なところでした! アーサー王伝説の地でもあり美しい古城の遺跡もあるようです。都落ちしたというよりは、あえてこの美しい土地を選んで移住したのだと思いましたよ。
コーンウォール州 2024: 行く前に!見どころをチェック - トリップアドバイザー (tripadvisor.jp)
source)Discover Cornwall - Things to do in Cornwall - Sykes Cottages
のちにパメラは叔父からの遺産を受けて、コーンウォールのバッドというところに小さな家を持ちます。バッドに移住後は小さな礼拝堂の管理人になり、ますますカトリック信者としての奉仕活動に専念していきます。
1920年、42歳の時に彼女の作品がオーストラリアやロンドンの雑誌で取り上げられて、画家として注目されることもあったみたいだけれど、結局そのころは創作活動をあまりしていなかったのかも。
でも63歳のときには、王立芸術・製造・商業奨励協会として認められていた。画家として公式に認められていました。
パメラの死については角谷由美子先生の書評(書評by Elizabeth Foley O’Connor “Pamela Colman Smith: Artist, Feminist and Mystic)によると、「埋葬料もないほどであったために残った財産は全てオークションにかけられた」そう。ちょっと寂しいですね。
ですがパメラの晩年については、第8話でもっと詳しいことを調べてみるつもりです。
ここまで、第1話、第2話と今回の第3話で、超駆け足でパメラの一生を追ってきました。
それにしても、年表をざっと眺めるだけでも、「なんで突然カトリックに改宗したの?」、「どうして人気イラストレータだったのに、田舎に引っ込んで創作活動をやめちゃったの?」と次々疑問が湧いてきてしまいます。
他に興味を引くキーワードとしては「共感覚の持ち主だった」、「女性運動をしていた」がありますね。そして、いくつかの文献で、パメラ・コールマン・スミスはレズビアンだったのではという憶測も見かけました(そうではない、としている文献もあります)。
そして最も気になるのはウェイト博士との関係ですよね。パメラがどうして少ない報酬しかもらえなかったのか、そういったことにも今後触れていきたいと思います。
とっても個性的で濃い人生を歩んだパメラ・コールマン・スミス。2,3回ではその人生は語りつくせないので、以降テーマごとにお話ししていきたいと思います。気長にお付き合いください。
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