コリント人への第二の手紙 3:6 JA1955 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

2 Corinthians 3:6 NIV He has made us competent as ministers of a new covenantnot of the letter but of the Spirit; for the letter kills, but the Spirit gives life.

子供の頃よく
規則正しい生活を!
と学校のスローガンにあげられていたのを覚えている
規則ってなんの為にあるのか??
秩序を乱さない為である
「どうして○○してはいけないの?」
「規則だから!!」
この一言で片付けられてしまい
なにかわだかまりが残ったまま後ずさりした記憶が多々ある

どうして?どうして?
と問いただそうとしても「仕方ないの!そういう決まりなんだから!」

の一辺倒…

それ故に
いつしか僕は我慢を覚えるようになり

決まりの根元を追究しなくなった

そして社会人になり
規則の為に生きる習慣ができた

これはこれでいいのかもしれない
もともと自由人すぎたからバランスよくなったのかも…


でも時に規則を主張して人の心を平気で踏みにじる輩にもでくわす


いうよりも

大なり小なり殆どの人が規則だからといって相手を拒絶する傾向にある


あくまでも規則は人々の為にあって
規則の為に人々があるわけではない(なんか聞いたことあるセリフ?)


人々は成長するが規則は成長しない

即ち規則とは過去に捕らわれている頭の固い状態である

もっと柔軟に生きていくためには

やはり霊的なものにフォーカスを当て

霊的レベルアップを計っていきたい

それには人とのコミュニケーションが必要不可欠!!


リーダーがよく口にするセリフ
「タスクより人を重視しよう」

やるべきタスクがあっても人とのコミュニケーションを優先すること

そこで失敗してまた何かを学ぶ

そしてその時に自分なりの文字(規則)が生まれる

教訓というやつだ

もしかしたら教訓をデジタル化し
皆にシェアする事を

規則というのかもしれない

そして
規則は歴史を刻むインデックスみたいなものなのかもしれない

バカとハサミは使いようっていうけど

規則も正しい使い方であれば素晴らしいものなんだなぁと思った


*規則をけなしている訳ではなく
規則にしばられすぎて人を無視してしまう傾向にある状態を問題としている

〓♪KAI☆〓
コリント人への第二の手紙 2:3 JA1955 このような事を書いたのは、わたしが行く時、わたしを喜ばせてくれるはずの人々から、悲しい思いをさせられたくないためである。わたし自身の喜びはあなたがた全体の喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからである。

2 Corinthians 2:3 NIV I wrote as I did, so that when I came I would not be distressed by those who should have made me rejoice. I had confidence in all of you, that you would all share my joy.


前回とは逆のようなニュアンスになるが

僕は昔から人をわざと困らせたりする事がある
なぜそうしたくなるのかわからないが
人がAっていうっているなら僕はBっていう風に答えてしまう

ようは困らせたがり屋なんだ

でも困らせた後って
決まって心にシコリが残る事が多い

対照に

いつもは困らせてしまっていだろうなって時に

困らせないで喜ばせた時って周りも僕もハッピーになる

考えてみたら簡単な事だ

�喜ばせる
�困らせる

この二択しかないんだから


いつでも�を選択していきたい

少し
内からでも感情にフタをするだけ

一瞬でいい

フタをするんだ

すると
相手が次第に笑顔になる
フタをあけてみると
気づいたら僕も笑顔になっている

きっとそれだけの事なんだ

簡単な事
今日から出来る

いや
今からできる

やっていこう


〓♪KAI☆〓

コリント人への第二の手紙 1:6 JA1955 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。

2 Corinthians 1:6 NIV If we are distressed, it is for your comfort and salvation; if we are comforted, it is for your comfort, which produces in you patient endurance of the same sufferings we suffer.


辛く悩ましい日々など体験したくない
誰もがこう思った事があると思う
この辛かった日々というのは何のメリットがあるんだろう
気持ちはダークになるし、そればかり考えて前に進まないし、負のオーラ出して周りに迷惑かけかねないし…
神様はどうして辛いことを経験させようとするのか

多くの人は辛い日々を味わうのが嫌で
そこから逃れようと心に麻酔を打つ

心の麻酔はドラッグの服用、暴食、性の乱用、酒など
人それぞれである

辛いと思う人を多くすればするほど世の秩序は乱れる一方なのになぜ神様はそれを経験させる?


僕自身
毎日ハッピーであれば周りもハッピーになりハッピーの連鎖で世の中が一つになるのになぁ

なんで辛いことがあるんだろう
って
考えていた時期があった
でも最近少しわかった気がする

この辛いことっていうのは
リアルタイムでは不要なものかもしれない

でも後で
辛いことの経験が活かされる場面に出くわすようになり
その時初めて「辛いことを経験してきて良かった」
と言えるんだと思う

そして
その時に辛いことを味わっている仲間がいたら
その仲間に「辛いよね、わかるよ。でも僕は今それを乗り越えてこうなんだ」
って言える


辛いことは後に生きる

もし辛い日々にさしかかったら

来るべき日の仕込み期間だと
割り切って生きていこう
そうすれば
心の麻酔は
もはや必要ない


〓♪KAI☆〓