ヴェルサイユ宮殿を舞台に繰り広げられた華やかなフランス宮廷の歴史の中でも王妃マリー・アントワネットはひときわ強く人々の記憶に刻まれている。
その王妃マリー・アントワネットのドレスや髪型をほぼ一手に引き受け空前絶後の輝きを見せた宮廷ファッションを40年に渡り、索引し続けたのが、一介の平民に過ぎないモード商ローズ・ベルタンである。
彼女は生涯結婚せずに仕事に邁進した、強い意志を持ったビジネスウーマンだった。
1742年7月2日の夜9時、フランスのピカルディナー地方の小さなアブヴィルの町にローズ・ベルタンは生まれた。
この少女には様々な美に対する才能があった。
ローズ・ベルタンが最初に得意としたのはファッションではなく実は髪結いだった
『ベルタン嬢はご婦人方の髪を巻いたり、結ったりすることについてはプロ中プロだ』
と絶賛された。
なのでローズ・ベルタンは生まれ故郷アブヴィルを後にし、髪結いの才能でもっと稼ごうとパリへと旅立った。
ローズ・ベルタンは24歳だった。
ローズ・ベルタンですが、顔立ちはあまり可愛らしい娘ではなかった
ごくごく平凡な顔立ちに青白い顔色で頬骨が高く、リンゴのような赤いホッペで二重あごのベルタンはどちらかというと冴えない器量のよくない娘だった。
しかし器量がよくないという事実はローズ・ベルタンにとってたくさんの仕事上の利益をもたらした。
パリについたベルタンはまずサン=トノレ通りにある18世紀の名店「トレ・ギャラン」で修行することになった。
修行中のベルタンは勤勉で器用、裁縫の仕上がりも完璧、自分の才能を自覚しており、職業意識も高かった。
1774年ルイ15世が死去し、マリー・アントワネットが王妃になったころ、ベルタンは念願だった自分の店『オ・グラン・モゴル』をパリに開店していた。
ベルタンはまず華々しいウィンドウで道行く人々の興味を引き、購買意欲を掻き立てた。
さらにベルタンは室内装飾に濃緑色を好んで使い、同じ濃緑色に金の紋章のついた制服をまとったドアボーイが魅惑の世界への扉を開ける。
さらに彫刻が施された天井は金メッキでガラス窓から入る光はボヘミアンガラスに反射し、すべてが洗練され、きらきらと輝いていた。
ベルタンに店、『オ・グラン・モゴル』の近くにはパレ・ロワイヤルがありその向かいにはシャルトル公爵夫人が住んでおり、シャルトル公爵夫人はベルタンを大変気に入った。
そしてシャルトル公爵夫人はヴェルサイユにいる王妃マリー・アントワネットに紹介し、『オ・グラン・モゴル』はフランス王妃御用達となったのだった。
王妃マリー・アントワネットとローズ・ベルタンはそれから15年間毎日ほとんど二人っきりで顔を合わせ、新たに生み出したファッションについてあれこれ話し続けた。
アデマール伯爵夫人は、
『マドモワゼル・ベルタンは妃殿下を狂信的といっていいほどにとらえました。妃殿下がベルタン嬢を寵愛したのは事実です。』
と述べた。
ベルタンは王妃との親密さがどれだけ自分のキャリアに役に立つか熟知していた
マリー・アントワネットに気に入られたおかげで王国随一のモード商という評判が確立し、彼女には貴族社会への扉が大きく開かれた。
ベルタンはマリー・アントワネットの衣装だけでなく、プロヴァンス伯爵夫人、アルトワ伯爵夫人、エリザベート王女など他の王族をも虜にした
さらに演劇や舞踊のスターたちもベルタンの店、『オ・グラン・モゴル』の顧客だった。
さらには外国の貴族たちも虜にした。パリを訪れた際には、『オ・グラン・モゴル』で大量の服飾品を買い込んだ。
マリー・アントワネットの寵愛を受け、マリー・アントワネットの心を支配してからというものローズ・ベルタンは尊大な態度をとるようになっていった。
1782年以降のファッション、美に対する浪費は悪徳にまで至った。
『数えきれないほどの美しい女性たちが我が世の春を謳歌している。マザラン夫人などは耳まで着飾っている』
気が遠くなるようなファッションの流行を追い求める宮廷の女性たちはついに莫大な借金を抱える貴婦人まで出てくるようになってしまった。
マリー・アントワネットがベルタンの作った〝縁なし帽子〟を絶賛すると、その日から誰も彼もベルタンの作った〝縁なし帽子〟を被った。
さらには髪型に影響が
有名なのはマリー・アントワネットのお抱えの結髪師で奇抜な髪型生み出した、レオナール・オーティエ。
〝貴婦人の頭の上には、そのとき関心のある、ありとあらゆるものが乗っています。そこには、花壇があったり、小川が流れていたり、羊や羊飼いの少年少女がいたり、パレ=ロワイヤル公園だったり、並木道であったり、カフェであったり。〟
ローズ・ベルタンは一度も結婚せず、子供もいなかった。
ファッションに身を捧げ、すべての時間を仕事と親族のために使ったのだった。
興味深いことに18世紀は恋愛に対して自由奔放な時代だったのにも関わらずローズ・ベルタンの私生活に恋愛の影はない
フランス革命が勃発し、マリー・アントワネットたちがタンプル塔に幽閉されても、王妃か『オ・グラン・モゴル』への注文は届いた。
ベルタンは、フランス革命時、一時的に社交界の女王、ファッションリーダーとして君臨したテレジア・カバリュスが10代の頃から親しく、結婚式にも参席したりと親密だったのにも関わらず、ベルタンがかつての栄光と輝き、名声を失っていくのを止めることは誰にもできなかった
ローズ・ベルタンは縁なし帽子4つとスカーフ一枚をマリー・アントワネットへ自ら届けた。
処刑の運命に向かっていくマリー・アントワネットに、他の業者が保身のため身を引いていく中、ベルタンは利益を無視してでも王妃にドレスを渡した。
ベルタンは危険を承知でギリギリまでマリー・アントワネットに衣類を届けた。
そして1793年、ベルタンはイギリスへと亡命し、なんとかロンドンに落ち着いた。
財政を立て直すため1795年、ベルタンは『オ・グラン・モゴル』の建物の一部を貸し出しすることに決めた。
『オ・グラン・モゴル』に置いてあるような服はいまや時代遅れになり、代わりに軽やかなシュミューズドレスが流行した
ローズ・ベルタンは50代に入り、その輝きと栄光を失っていくのを止めることはもうできなかった。
時が過ぎ、ナポレオンが皇帝になっても、全く『オ・グラン・モゴル』を誰も訪れなくなったわけではない。
年配の女性たちが昔の思い出を求めて来店し、かつての常連客として誇り高きベルタンを悲しませないように何かしら買って帰るのだ。
ナポレオン宮廷の御用達モード商は、ベルタンからルノワへと完全に移行した。
ベルタンは人生を仕切り直し、エピネーにこもり近づきつつある死を待った。
エピネーの邸宅はどこも絵画が所狭しと飾ってあった。
そのほとんどは昔の宮廷の肖像画でベルタンの作ったドレスを身につけた千人近くの人間が、金メッキが黒ずんでいる額縁の中で訪れる者を見つめている。
66歳になった独身の老女ベルタンは心臓発作で亡くなった。
ローズ・ベルタンは、身分制度が厳然として存在した当時、才能一つで、階段を駆け上がり、フランス革命によって断頭台に消えたマリー・アントワネットの悲劇の死に呼応するかのように、最期の王妃の衣装を作った後、過去の人に成り果て、失意と貧困のうちに世を去った。
ローズ・ベルタン ─ マリー・アントワネットのモード大臣 Amazon |
マリー・アントワネット (通常版) [DVD] 4,104円 Amazon |
傾国の仕立て屋 ローズ・ベルタン 1巻: バンチコミックス 614円 Amazon |
傾国の仕立て屋 ローズ・ベルタン 2巻: バンチコミックス 614円 Amazon |