革命の闘志ロベスピエールを倒し、マリー・アントワネットにかわり、その伝説的な美しさでパリの美神とよばれ、政治の中心であり、エンパイアドレスという新しいモードを生み出しました。
そしてファッションの世界にも君臨することになったテレジア・カバリュス。
(テレジア・カバリュス本人が流行らせたシュミューズドレスをきています。)
テレジアは、1773年にスペインの銀行家の娘として生まれました。
おりしも1789年バスティーユ牢獄の襲撃により、フランス革命の始まりとなりました。
ボルドーに着いたテレジアは、ロベスピエール派の人物で、ボルドーの最高権力者ジャン=ランベール・タリアンと知り合いになりました。
(テレジアの時代に流行ったファッションは、ラ・メルヴェイユーズ=伊達女と呼ばれました)
タリアンは貴族の私生児で弁護士として働き、政治家になりました。
そしてやがてタリアンとテレジアは熱烈な恋に落ちます。。
(テレジアの愛人、ジャン・ランベール・タリアン)
しかしこの処刑人数を怪しんだロベスピエールは、テレジアを危険視し、フォルス監獄にいれられてしまいます。
(議会で倒されるロベスピエール)
テレジアは出獄し、民衆から7月の出来事だったので、(7月はテルミドールと呼ばれていました。)テレジアはテルミドールの聖母と称えられることになります。
た。
テレジアとタリアンはその後すぐ結婚しますが、タリアンの人気はどんどん下り坂となり、代わりに協力者だったバラスが政治の中心となりました。
その頃テレジアは「藁ぶき屋根の家」というサロンを作り、白いシースルーの古代ローマ風ドレスを流行らせたり、毎日を華やかに暮らしました。
落ち目になったタリアンをあっさり切り捨てフランス一の権力者バラスの恋人となったテレジア。
その頃まだテレジアは20歳をすぎたばかりの美少女で、白いシースルーのドレスに無数のダイヤモンドのネックレス、なんと足の指にもダイヤをつけていました
バラスはテレジアの浪費癖に困り果て〝フランスで最も裕福な男〟と呼ばれたガブリエル・ジュリアン・ウヴラールに譲り、2人は贅沢三昧の暮らしをおくりました
ウヴラールは29歳でテレジアは26歳でした。
(テレジア・カバリュス本人が流行らせたシュミューズドレスをきています。)
これだけ自分の美貌をフルに武器にした女性も珍しいです
おばあちゃんになったテレジアは私の若い頃は小説みたいだった、とよく語っていたそうです
革命期の3女神とも呼ばれています。
テレジアは、1773年にスペインの銀行家の娘として生まれました。
その後14歳頃、フォントネー侯爵と結婚し、侯爵夫人となり貴族社会の一員としてルイ16世の宮廷に出入りするようになり、マリー・アントワネットに紹介されるようになりました。
(生地が薄いので安上がりかと思いきや、とても高いモスリンなどの生地を使用していたようです)
(生地が薄いので安上がりかと思いきや、とても高いモスリンなどの生地を使用していたようです)
おりしも1789年バスティーユ牢獄の襲撃により、フランス革命の始まりとなりました。
ルイ16世とその王妃マリー・アントワネットの処刑を決めたロベスピエールは、親をなくし、たくさんの兄弟をみていかねばならず、貧しさの中努力し弁護士となり、やがて貴族を憎むようになり、過激なフランス革命家となります
(テレジアは、身長168㎝、子供の頃から美人だったそうです)
せっかく〝侯爵夫人″になったテレジアですが、貴族だと民衆に恨まれるので、離婚し、パリを離れてボルドーに逃げます。
(テレジアは、身長168㎝、子供の頃から美人だったそうです)
せっかく〝侯爵夫人″になったテレジアですが、貴族だと民衆に恨まれるので、離婚し、パリを離れてボルドーに逃げます。
しかしテレジアは決して諦めない。
ボルドーに着いたテレジアは、ロベスピエール派の人物で、ボルドーの最高権力者ジャン=ランベール・タリアンと知り合いになりました。
(テレジアの時代に流行ったファッションは、ラ・メルヴェイユーズ=伊達女と呼ばれました)
タリアンは貴族の私生児で弁護士として働き、政治家になりました。
そしてやがてタリアンとテレジアは熱烈な恋に落ちます。。
(テレジアの愛人、ジャン・ランベール・タリアン)
タリアンは熱心な革命家でしたが、あっさりと恋人テレジアに征服され、恋人のいいなりになってしまう弱い部分もあったようです
しかしこの処刑人数を怪しんだロベスピエールは、テレジアを危険視し、フォルス監獄にいれられてしまいます。
監獄にいれられたら最後、ギロチンへの道が待っているだけでしたので、多くの人々はその事実を受け入れいました。
(革命家マクシミリアン・ロベスピエール。タリアンがテレジアを救いたいが為にギロチンにかけられる)
しかしテレジアは1人そこで生きるため努力をしていました。
(革命家マクシミリアン・ロベスピエール。タリアンがテレジアを救いたいが為にギロチンにかけられる)
しかしテレジアは1人そこで生きるため努力をしていました。
恋人タリアンに
〝私を助けたければロベスピエールを倒しなさい。″
という内容の手紙を送り続けていました。
愛するテレジアを救うため、タリアンはバラスという協力者とともに、議会を選挙し、短剣をもちながら、「暴君は排除せよ!」とロベスピエールの行き過ぎた革命行為に対する演説を行い、ロベスピエールは失脚。
〝私を助けたければロベスピエールを倒しなさい。″
という内容の手紙を送り続けていました。
愛するテレジアを救うため、タリアンはバラスという協力者とともに、議会を選挙し、短剣をもちながら、「暴君は排除せよ!」とロベスピエールの行き過ぎた革命行為に対する演説を行い、ロベスピエールは失脚。
そしてロベスピエールは処刑されます。
(議会で倒されるロベスピエール)
テレジアは出獄し、民衆から7月の出来事だったので、(7月はテルミドールと呼ばれていました。)テレジアはテルミドールの聖母と称えられることになります。
た。
テレジアとタリアンはその後すぐ結婚しますが、タリアンの人気はどんどん下り坂となり、代わりに協力者だったバラスが政治の中心となりました。
その頃テレジアは「藁ぶき屋根の家」というサロンを作り、白いシースルーの古代ローマ風ドレスを流行らせたり、毎日を華やかに暮らしました。
落ち目になったタリアンをあっさり切り捨てフランス一の権力者バラスの恋人となったテレジア。
(テレジアに捨てられたタリアンはどんどん落ちぶれ、貧しい晩年を過ごし1820年に亡くなりました)
テレジアは今度は
〝ディレクワトールの王妃″と呼ばれていました。
バラスはもちろん王として、事実上のファーストレディだったのですべての国家行事を取り仕切っていました。
その頃まだテレジアは20歳をすぎたばかりの美少女で、白いシースルーのドレスに無数のダイヤモンドのネックレス、なんと足の指にもダイヤをつけていました
バラスはテレジアの浪費癖に困り果て〝フランスで最も裕福な男〟と呼ばれたガブリエル・ジュリアン・ウヴラールに譲り、2人は贅沢三昧の暮らしをおくりました
ウヴラールは29歳でテレジアは26歳でした。
ヴヴラールには妻がいましたが、魅力的でエレガントで有能でフランス革命を利用し莫大な富を築きました。
ヴヴラールとテレジアの間には5人の子供をもうけました。
この藁ぶき屋根のサロンでテレジアは、未来のフランス皇帝となる、ナポレオンに一目惚れされますが、当時のナポレオンはコルシカ訛りのひどい貧乏軍事でしたのでテレジアは全く相手にせず、親友のジョセフィーヌ(ナポレオンと結婚し、フランス皇妃となる)に譲ります。
この藁ぶき屋根のサロンでテレジアは、未来のフランス皇帝となる、ナポレオンに一目惚れされますが、当時のナポレオンはコルシカ訛りのひどい貧乏軍事でしたのでテレジアは全く相手にせず、親友のジョセフィーヌ(ナポレオンと結婚し、フランス皇妃となる)に譲ります。
しかしこの事が後にテレジアのフランス社交界追放の火種となります。
『テレジアは輝ける太陽。ジョセフィーヌはそのそばにある星にすぎない』
と言われていました
この時代にテレジアが流行らせたファッションは
メルヴェイユーズ(伊達女)と呼ばれました
ちなみに今大人気の日本のコスメブランド、レ・メルヴェイユーズ・ラデュレはテレジアの時代からインスピレーションを得ています
革命後の政治恐怖下にあった不安と厳格な道徳を脱ぎ捨て、自由と開放を求めたテレジアたち
そんな危険な時代であってもフランスを愛し、困難な時代を生き抜いたテレジアたちの生き方が日本でも愛されています
(フランスブランドかと思っていたら日本のアルビオンという会社が作っています。ちなみに本国フランスへの出店は2016年です)
(皇帝ナポレオン)
しかしなんと冴えないナポレオンがイタリア遠征を機にフランスの英雄となり、ナポレオンが皇帝の座につくと、昔振られた腹いせか、妻ジョセフィーヌの浮気癖はテレジアのせいだと思いこみました。
(皇帝ナポレオン)
しかしなんと冴えないナポレオンがイタリア遠征を機にフランスの英雄となり、ナポレオンが皇帝の座につくと、昔振られた腹いせか、妻ジョセフィーヌの浮気癖はテレジアのせいだと思いこみました。
さらに1827年にはシメイ公妃の称号をもらい、前半生とはうってかわって落ちついた田舎で30年の余生を過ごします。
テレジアはカラマン伯爵との子を3人もうけました。
テレジアはシメイで貧困層のために540のホスピスを設立し寄付や慈善活動を行った
ため、村人から
“シメイの聖母”と呼ばれるまでになり、穏やかな余生を送りました。
テレジアは慈善活動について、
『他人のために善を行うことは、天が与えてくれる苦痛と混じり合わない唯一の幸福』
と語っていました。
こちらの美しい女性は、マリー=テレーズ・カバリュス。
テレジアのお孫さんです。本人はこの肖像画をとても気に入り、生涯持っていたそう
美人ですね〜
画家はテオドール・シャセリオー。おそらく有名クルティザンヌのアリス・オジーの恋人?だと思います。