吉備巡礼② 「宗 形 神 社」 | かいぞうのブログ

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宗形神社 (岡山県赤磐市是里3235)

 創立年代は定かではないが、人皇十代崇神天皇の勧請による社であると昭和二十七年の神社明細書には書かれていて延喜式神名帳にも記される旧社である。[式内小社・旧懸社]

 

 人皇十六代仁徳天皇が吉備国の海部直(あまべのあたい)の娘の

「黒姫」を追って本国山方に幸行された際、黒姫を当社に奉迎して敬饗したとされる。

 

 

仁徳帝が黒姫を追って吉備国へ往かれたという話は古事記に記されてはいるが、その比定地は、他に岡山県総社市や津山市などにいくつかある。

 

総社市に伝わる伝承の地は、近辺の古墳調査で、古代の地域の豪族である丹羽氏関係のものとの推定がなされている。

 

また津山市の伝承は、是里の伝承と同じく吉井川水系に含まれているので、私感では吉井川水系の伝承の方に分がある気がする。ただ、

いずれにしても、吉備を北から南へ下り瀬戸内海へと繋がる水系に属する場所であり、水運を担う海部族の影響下にある領域であることに違いはない。

 

主祭神は、宗像三女神(神田心姫、湍津姫、市杵嶋姫)の他、

明治四十三年に合祀された

大己貴命(大国主命)、大日孁貴命(天照大神)、

豊受大御神、須佐之男命、

菅原道真(天神)、速玉男之命、

事解男命、伊邪那美命、大山咋命。

 

 境内社には、稲荷神社、香椎神社、武内宿禰神社、新田神社(清和天皇)他、宗形神社に合祀された近隣古社三社の石座と瀧神社の石座などが鎮座している。

 

是里と久米郡の堺にある神丿峰山(高丿峰)~剣山に、

神峰神社 (大穴牟遅命)、

神峰伊勢神社 (天照大神・豊受大神)、

剣抜神社 (須佐之男命) の古社が三つあり、

備前国神明帳(1343)には備前国式内外古社として名があがっていて、大きい方の石座に、この三社が祭られている。

 

小さい石座には「瀧神社」(須佐之男命)と刻まれているが、ここから3kmほど離れた場所にある“血洗いの滝”の「血洗瀧神社」なのではないかと思われる。

 

 和銅六年(713)に、宗形神社は是里村の氏神とされた。

 

  宗形神社の鳥居
宗形神社の鳥居は、銘によって建立時期を知ることのできる鳥居の中でも随分古く、岡山市葦守八幡宮、倉敷市本荘八幡宮のものに次いで、県下で三番目の古さになる。

 

これほどの古さになると、一部の部材が欠損して補修されていることが多いが、ここまで完全な形で状態を保っていることは貴重である。
これにより、鳥居が平成二十年度岡山県指定重要文化財の指定を受けた。

一般に鳥居には花崗岩(御影石)が用いられることが多いが、この鳥居は凝灰岩製とみられ、産地は兵庫県の播磨地方の可能性が考えられている。

鳥居は、明神鳥居形式で、高さ3.7m , 柱間隔2.9m

上側の二本の水平な石材の間の、額の裏側に位置する額束の石材に、「享徳二年癸酉八月建立」の銘文が刻まれている。
享徳二年は西暦では1453年であるから、

今から564年も前の建立である。

 

 

また、境内内には先の境内社と並んで仁徳天皇の歌碑が立っている。

 

  《 仁徳天皇大御歌 》

   「やまかたに、まけるあをなもきひひとゝ、

                 ともにしつめはたぬしくもあるか
     
 仁徳天皇は、吉備の黒姫が美人だと聞いて呼び寄せ宮中へ住まわせた。しかし黒姫は皇后-磐之媛の異様なまでの嫉妬に恐れをなして吉備に帰ってしまった。

 黒姫を忘れられない仁徳は『天皇の仕事で国見しなければならない、淡路島を見てくる』と皇后に嘘をついて出かけ、そして島伝いに吉備の国の黒姫に逢いに行った。

 喜んだ黒姫は天皇に食事を差し上げる為、自ら畑の野菜を採りに出かけた。それを見た仁徳も嬉しく思い、その気持を歌にした。

   『山方に蒔ける青菜も吉備人と 
                共にし摘めば楽しくもあるか』
                     [古事記 下つ巻 仁徳天皇]より要旨抜粋

 

 

ところで、宗形神社の鳥居をくぐり、拝殿へと続く参道に足を踏み入れるとすぐ、左方に大きな歌碑が立っているのに気が付く。


この歌碑は、江戸末期~明治初期にかけて活動した地元吉備出身の歌人「平賀元義」が、先の仁徳天皇の歌に対して歌った短歌を歌碑にしたものである。

     『大君の 春は来れども 青菜摘む
                  わが山方は 雪は降りける


    (殿下の春は来たようで喜ばしいことですが、
          私の里の山方の地には雪が降っております

             

 

平賀元義については、次回の吉備巡礼③の記事にまとめます。

 

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《雑感》

宗形神社神爾

 

・宗形神社本殿の後ろの地に、すり鉢状の穴がいくつか点在しています。現在は草木に覆われ見えにくいですが、穴の大きさは直径数十メートル、深さは五メートルほど。宮司さんの話では、昔に隕石が落下した場所との言い伝えがあるそうだが、近所の地名に「梶谷(かじや)」とか「物理(もろとい)」とかの製鉄に関係する地名もあることから、それ関係の遺跡とも思える。隕石に含まれる隕鉄は古来から相当に貴重なものであったとも聞くので、どちらも正解かもしれませんね。

 

・実は、ここへ参拝して都度に写真を撮っているのですが、時々不思議な光や像が写りこむことがあります。一瞬、風のような横切る気配を感じることもあったりして、何かあるなぁ…とは思っていたのですが、宮司さんにそのことを話すと、『あぁ、時々ですが、参拝された方の中には虹のような降り注ぐ光とか、龍のような形のものが写真に写ったとか言われる人があります。私は感じたことはないのですが…』って答えられました。やっぱりね。