逆算の結果、私は20代をどう過ごしたのか | 櫂(kai)の知ること綴り帳

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私がやっている事業や趣味について綴っています。
事業は主に広告代理店、ライブ配信代理店、芸能案件キャスティング、映像・動画制作、音楽制作プロデュース、コミュニティサイト運営、グッズ制作販売、PRコンサルティングです。

こんばんは。

今日は外出先からブログの更新をしている櫂(kai)です。

 

先日書いた「必見!誰でもできる!人生を豊かにする方法」という記事の中で

「人生を逆算してみるんだよ!」ということを書かせていただきました。

今日はその記事に関連し自分のことを書こうと思っていますが

まずはじめにこんなお話から始めさせてください。

 

突然ですが皆さんニュースやワイドショーって見られますか?

事故が起きた、事件が起きた、誰かが結婚した、誰かが不倫した。

いろんな情報が毎日毎日記者さんの取材により放映されていますが

ただそんなニュース達

起こった瞬間やしばらくの間は繰り返し繰り返し放映されますが

数か月経った時、進捗や結果について報じている番組はあるでしょうか?

大半のニュースがその後の追加報道を行っていないように感じます。

 

いつも「あれどうなったんだろう?」と思いながら見たりするのですが

一向に追加情報は流れてこない。

結局は情報の内容よりも起こった瞬間の「新鮮味」を優先するのが報道なんだなと感じます。

 

そんなことを思いながらパソコンに向かっていたのですが

ふと自分のことを考えました。

毎日記事を書き連ねてはいるものの

翌々考えると報道と同じく

実際にはどうなったのかという結果を書いていない。

報道のことを言えたもんじゃないなと思いました。

 

ということで今日は先日の記事から

「逆算の結果、私は20代をどう過ごしたのか」

について包み隠さずに真実を書いていきたいと思います。

長文になりますが読んでくださる方がいらっしゃれば誉れです。

 

 

 

24歳で人生の逆算を行った私。

「間に合わない」と感じはしましたが、しばらくは生活のために軽貨物運送業を継続していました。

その2年後26歳になった私は

このまま続けていても何も変わらないと

当時勤めていた会社の社長に直談判します。

 

「新しい部署を立ち上げて、この会社で広告の仕事をやらせてくれ!」

絶対断られるだろうなと思って直談判したのですが

案外これがすんなり了承を取り付けます。

 

「よっしゃこれで予算も出るし自分が思い描く事業を始められる!」

と呑気に構えて取引先探しを始めたわけですが

数日後、社長から呼び出されてこんなことを言われます。

「業務中にはやらないで、終わってからで。」

 

え… 業務中にはやらないでって…

新しい部署を作って業務にしてくれるんじゃないの!?

広告の仕事に集中させてくれるんじゃないの!?

 

今考えればそんな都合の良い話あるわけないですよね 汗

そりゃそうだよねと思います。

でも26歳の私にはそんなことを考える頭がなく

とにかく了承を得たんだから時間と運用のための経費を準備してくれると

バカみたいに都合よく考えたわけです。

 

今の私ならそれでも業務外で必死に取り組んでいるとは思いますが

当時の私は「これじゃ自分のやりたい事業ができない」と思い

その4か月後に賛同する仲間と共に独立することを決意するわけです。

社長も協力してくれることとなり、いよいよ自分の思い描く事業が始まりました。

 

毎日営業三昧、お仕事をいただければ寝る時間を捨てて現場作業へ。

繰り返し繰り返し、1カ月が過ぎ2カ月が過ぎ

運も良く、みるみるうちに会社は成長していきます。

 

1年後には年商5,000万円に到達するほどまでに成長。

私の年収も1,000万円を超えるまでになり

そんな額を見たことがなかった私は有頂天になっていきます。

このままうまくいくはず!と胸を躍らせた私ではありましたが

やはりこの当時の私は甘すぎました。怠惰でした。

案の定、ここからが良くなかった。

 

若くバカな私は自惚れが過ぎ、すでに成功者であるかのような浮かれ方をし始めるのです。

 

「やっぱり人生の逆算をして良かったな」

とかほざきながらやることなすことが緩んでくる。

年商5,000万円に到達するほどまでに成長した会社も

私のバカ度合いと共に2年目でズルズル後退。

3年目に入るときには年商が1,500万円規模まで落ち

もはや後戻りもできない状態まで追い込まれていきます。

 

当時は強い言葉も言えない自惚れ人間で知恵も知識も無い状態でしたから

従業員が望むままに給料を与え、業績が落ちても下げることはできない。

1円にもならないプライドを抱えて頭を下げてお願いすることもできない。

 

結果、ご想像通りです。

その補填のために作った借金を支払えなくなりあえなく倒産。

生活費もないので家財道具も何もかもを売りさばき

15万円だけを持ってアパートに引っ越し。

洗濯機も無いので自分の服や妻の服や子供の服を洗面器手洗いで洗濯する生活となります。

 

人って都合がいいものですね。

そういう事態に陥ると「逆算して良かったのか?」

「生き急いだだけじゃないのか?」と

そんなことを毎晩毎晩考えながら過ごすようになりました。

 

そんな生活が半年ほど続き

私はその間、知り合いの仕事を手伝いながら生計を立てていたわけですが

やっぱりバカなんでしょうね。

あれだけ苦しい思いをしたにもかかわらず

人生をチャレンジしたいという気持ちは消えることはありませんでした。

 

ただ信用なんてもうありません。

私を受け入れてくださる方もいるはずもありません。

やっぱりこのまま静かに

今いてくれる人たち意外とは誰とも関わりあうことなく生きていこう。

そう思って諦めていた時

一緒に働いていた仲間からこんな一言を言われます。

 

「あなたが社長でいる姿を見たい。」

泣けてきました。

こんな信用も何も無い今の私に対して

そんな言葉を投げかけてくれる人がいるなんて。

そしてさらにこんな言葉を投げかけられます。

 

「あなたがもう1度立ち上げるなら私はその仕事を人生をかけてやる。」

嬉しかったです。

本当に嬉しかった。

ただそうは言っても今更私を信用して仕事をくださる方などいるはずもありません。

言葉は素直に受け取りましたが

やはり立ち上がろうとまでは考えが及びませんでした。

 

そんな日々の中、何日か経ったある日。

突然電話が鳴ります。

通知を見ると以前取引をしていた会社の社長さんからでした。

 

出るか悩みました。

なんと言えば良いのだろう。

ただこんな私にも電話をかけてきてくれる人がいる。

何を言われてもひたすら謝ろう、そう思った私は電話に出ることにします。

 

「久しぶりだな、ちょっと事務所に顔を出してもらえるか。」

恐怖でした。

何を言われるのだろう、何をされるのだろう。

このまま逃げて消えてしまおうかとも思いましたが

ただやはりわざわざ関係を持たなくてもよい私に電話をかけてきてくださった方。

今まで私は頭も下げられなかったのだから

連絡をくださった以上ちゃんと頭を下げに伺おう。

そう思い社長さんの元を訪れることにします。

 

事務所につき、玄関で頭を下げ、椅子に促され

座ってすぐに言われた一言

「まだやりたいだろ、諦めるな、誰もお前を信用しなくても俺が仕事を出してやる。」

 

一緒に働いている方に言われた言葉。

社長さんに言われた言葉。

信じられませんでした。

何もうまく回せもしなかった私を知っているにも関わらず

まだチャンスをくださろうとしている。

こんなことがあって良いのだろうか。

 

それでも私は前回の恐怖心が拭いきれず

有難いご提案をいただいたにもかかわらずそのお話は一旦保留にさせていただきます。

毎日毎日考える日々。

もう1度チャレンジして良いものか、それは都合良いだけではないのか。

 

考えるだけでただただ過ぎていく日々。

ただそんな時、もう1本の電話が鳴ります。

以前取引のあった別の会社の本部長さんからでした。

電話に出ると先ほどの社長さんと同じく

「ちょっと事務所に来ていただけませんか。」

 

さすがに同じことは起こらない。

でもやはりご迷惑をおかけしたわけですから心底謝罪をしようと

本部長さんの会社に向かいます。

 

玄関に入り頭を下げ、椅子に促され着席した後言われた一言。

「もう一回チャレンジしませんか? 私が仕事を出します。」

さすがにそんなはずは無いと思い

ここでは聞き返します。

 

「なぜ私のような失敗した人間にそんな話をくださるのですか。」

返ってきた言葉は

「確かに君は失敗した、上手にできなかった。だけどね、君が一生懸命働いてる姿を僕たちは見てきた。たくさんの人に迷惑をかけたかもしれない。だけど君は決して仕事に対して不真面目ではなかったし、僕たちに何とかしてあげたいと思わせる行動を取り続けていた。だからね、正直このまま終わらせるのはもったいない人だと思うんだよ。なら僕らもある程度覚悟して、世間様からは多少批判されるかもしれないけど、君にもう一回頑張ってもらおうと思ったんだよ。大丈夫、何かあっても跳ねのけるし、ちゃんと君が立ち上がるまでしっかり守るから。頑張ってみないかい?」

 

私みたいな人間にこんな言葉を投げかけてくれる人が3人もいる。

また苦しむかもしれない。

頭が狂うほどつらいことがあるかもしれない。

何もかも無くすかもしれない。

二度と戻れないかもしれない。

 

でも。

自分の気持ち、そして私を推してくださる方々がいる。

「わかりました。ご迷惑をおかけしないよう精進します。よろしくお願いいたします。」

 

そして30歳の秋。

私は新たにチャレンジを開始することとなりました。

その会社こそが

今も継続している3社7事業のうちの1つ

広告事業を展開する会社です。

 

ちなみに声をかけてくださった社長さんと本部長さんの会社。

15年経った今でも変わることなく取引を継続してくださっています。

たまにお話をしに事務所に伺うこともあります。

 

 

 

長くなりましたが

私は人生の逆算をしてから大きな失敗をしました。

30代になっても失敗の連続で

またそれについては後日書けるときに書こうと思いますが

とにかく逆算をしたからといってすべてがうまくいくものではありませんし

失敗は必ずします。

 

ただ、やはり逆算をしていなければチャンスにも気づきにくいですし道も描けない。

運を手繰り寄せることすらもできないと思います。

「99%の失敗の上に1%の成功がある」

偉大なる先輩経営者さんの言葉を胸に刻みながら

またここから先もさらに描いた未来像を追い求めてチャレンジを続けていきます。

 

以上、逆算の結果、私は20代をどう過ごしたのかを書かせていただきました。

30代の追加記事についてはまた改めて書かせていただこうと思います。

長文をお読みいただき誠にありがとうございました。

また次の記事でお会いしましょう。

では。