今一度、安楽死の議論を切に願う | 幸せの条件

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筋萎縮性側索硬化症(ALS)の妻と二人の子供(小学生)の事を綴ります。

昨日のブログでALS新薬の話題を記載したにもかかわらず、突然ネガティブな話題になった思われる方もいるかもしれません。

しかし、現状の我家に関しては、進行抑制薬の承認より切実な願いです。

安楽死に関して、国会で議論する事をとにかく早急に開始して頂きたいのです。


ことALSにおいては、現状は気管切開をして呼吸器をつけても、その後の病気の経過はその時点では誰にもわかりません。

その後に、TLS(又は人によってはそこまでならずとも、全身がほとんど動かず、意思表示がかなり困難となった場合)となった場合の絶望感・恐怖感は死より勝ると考えます。

TDP-43蛋白凝縮タイプALS(即ちSOD1タイプ以外)の場合は、前頭側頭型認知症(FTD)を併発している方も少なくありません。


ALS嘱託殺人の被害者の方は、生前、とにかく早くこの安楽死に関する議論を切に望んでいました。

自らの死をもって問題提起したにもかかわらず、実行した医師が悪人寄りだったために、すべてそれに話題が完全にすり替えらえてしまいました。本質は医師の殺人の問題ではありません。


日本の世論的にも安楽死はタブー視して議論したがらない傾向が見受けられます。制度をつくると「症状が進んだ際に、無理やり同意させるなどの圧力が働く可能性があるから」など言う方がいますがその考察も含め、まずは正式の場で議論をしたうえで判断すべきだと思います。

制度がある諸外国が既にあるわけですから。メリット・デメリットも既に明らかになっているはずです。


一方、気管切開していない場合、呼吸機能が低下した状態では痰がからんだり、風邪をひいたりといった、ちょっとしたことで呼吸困難で死亡するリスクがあります。

今年初旬、コロナにかかった妻も一度これで心停止しています。後から本人に聞くと、文字通り「死ぬほど苦しかった」との事です。誰でもこのような死に方はしたくないはずです。

にもかかわらず、「気管切開して、基本一生外せない呼吸器をつけるか」 or 「つけないならそのまま苦しんで窒息して死ね」という二者択一を患者及び家族に迫っているのが今の日本という非情な国です。これは安楽死を迫る圧力と比較にならない位、耐え難い人権侵害だと考えます。


ALSは呼吸苦を訴えてからも、通常状態で呼吸困難で窒息死亡するほどになるまでは長い日数がかかる場合も多いです。

一方、昨日までそこまでの悪い症状でなかったにもかかわらず、ちょっとした風邪や痰などで息が吸えない症状になることもままあります。在宅であればその際に医師がそばにいたり、モルヒネが常備されているとは限りません。窒息死なんて、ものの5分とかかりませんので、呼吸苦を和らげる緩和処置が間に合わない事も多いはずです。


そういった意味でも、安楽死制度(積極的安楽死制度)があれば早めに気管切開しても、その後もう終わりにしたいという本人の意思表示があった場合に適用できれば、患者本人が安心できますし、周り(家族)も安心して気管切開に同意できます。


安楽死制度はネガティブなものでなくて、ALS患者・家族にとってポジティブどころか希望となりえます。幸いにして、日本は宗教的な障壁はほぼ無いので、本来、諸外国の手本となることが出来る国であるはずと個人的には考えています。