ガダルカナル 9月3日 | cat day afternoon

cat day afternoon

子供の成長とガダルカナル航空戦

VMF-224の戦時日誌では、0200に敵潜水艦による砲撃があったことが記録されている。

実際に砲撃したのは、第十一駆逐隊の吹雪、白雲、天霧と思われるが、米軍は潜水艦によるものと判断した。

0800、マングラム中佐指揮の11機のSBDがサンタイサベル島の34隻の上陸艇爆撃に出撃。戦果不明だが成功裏に終わる。1100に帰投。

0810、警報によりVMF-223のモレル少佐(スミス少佐と同時に昇進したと思われる。)指揮の7機が離陸。会敵せず帰投。0820、ゲイラー少佐指揮のVMF-224の12機もパトロールに離陸。会敵せず1005に帰投。(※MAG-23の戦時日誌では0820にアラームによりVMF-223と224の19機が離陸、1005に帰投となっている。)

時刻は不明だがVMF-224のハワード・ウォルター少尉とマシュー・ケネディ少尉がエスピリトゥサントからF4F-4を操縦して到着。納入番号02071と02085の2機のF4FはVMF-223に引き渡された。

1040、TU-62.2.2の貨物輸送艦AK-22フォーマルハウトがククムに投錨。物資を揚陸する。

MAG-23の戦時日誌では1305に2機のSBDと護衛のVMF-223の2機のF4Fがサンタイサベル島の上陸用舟艇とはしけを爆撃と機銃掃射に出撃。戦果は不明。1455に帰還。(※VMF-223の戦時日誌では1500に出撃となっている。)1720、キャルドウェル海軍大尉指揮の5機のSBDがエスぺランス岬のはしけと設備の爆撃任務に出撃。1800に帰還。
なお、前日未明から攻撃しているサンタイサベル島の上陸用舟艇群は、川口支隊舟艇機動部隊では無いようだ。同島北西部のレカタ湾に進出予定の水上機部隊の基地設営隊ではないか?




この写真のキャプションでは、1942年8月か9月にサンタイサベル島レカタ湾爆撃に向かうVS-6のSBDとなっているが、VS-6はミッドウェー海戦後は戦線を離れ、12月にサラトガに搭載されて復帰している。

VMF-224の161人の下士官兵がTU-62.2.2の高速輸送艦APD-1マンレー、APD-5マッキーン、APD-6ストリングハムから下船。マンレーが1310に投錨。ストリングハムが1443に海兵隊員を下船させたと戦時日誌に記録している。ちなみにストリングハムの戦時日誌では、天候は曇、風は南東、風力3から4、視界不良。

第1海兵航空団司令官、ロイ・ガイガー准将と幕僚のルイス・ウッズ大佐、ジョン・マン中佐がR4D(※DC-3の海軍型)でヘンダーソン基地に到着。以後ガダルカナルの航空部隊の指揮を執る。

この日は日本軍はガダルカナルへの航空攻撃を企画しなかった。

第五空襲部隊に於ける戦闘詳報によると、「5AB戦闘概報第一四七號(九月三日)」欄に、「五明日使用可能機数 RRE(※ブナカナウ)一式陸攻十一機RRA(※ラバウル東)零戦一号十五機九八陸偵一機零戦二号十機RZM(※ラエ)零戦二号三機一号二機RAF(※ブナ)零戦二号四機RR(※ラバウル)二式大艇一機九七大艇九機RXE(※ショートランド)九七大艇五機となっている。