ガダルカナル 9月2日 | cat day afternoon

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子供の成長とガダルカナル航空戦

0110、17機のSBD-3が離陸。SBD-3は夜間任務が可能なように設計されていなかったが、ガダルカナルでは常態化しつつあった。
SBDはサンタイサベル島とガダルカナル島北西端の上陸艇群攻撃に向かった。戦果は不明。

 
1日2330(0130)、駆逐艦浦風、谷風、浦波、敷波が川口支隊465名をタイボ岬に揚陸。

VMF-224の戦時日誌では、0400に空襲があったと記録されている。

第3防御大隊は0450に針路225で進入してきた機種、機数不明機を報告している。
 
第五空襲部隊の戦闘詳報と四空の行動調書では、
江川康平(※廉平かもしれない。四空陸攻搭乗員の関根精次氏の著書、「炎の翼」では康平となっていた。)大尉指揮の四空の一式陸攻4機が2機ずつ二波に分かれて攻撃したようだ。第一次攻撃は0255(0455)に高度5,200から爆撃、一か所に火災。第二次攻撃は0320(0520)に高度5,500メートルから爆撃、「引込線附近に弾着」。六番陸用爆弾32発を投下。それぞれ0555(0755)と0630(0830)にブナカナウ基地に帰着。


南太平洋軍司令部の戦時日誌によると、爆撃の被害は、「1人戦死1人負傷、機材に損害無し。」となっている。
 
0620、ドビン少佐指揮のVMF-224の5機が上空警戒に離陸。会敵なし。0835に帰投。

0450(0650)、木更津空の陸攻9機が「グァダルカナル攻撃」にブナカナウ基地を離陸。指揮官は鍋田大尉。武装は60キロ爆弾87発。気象は晴としている。
0527(0727)、三澤空の陸攻9機「ガダルカナル飛行場攻撃」にブナカナウ基地を離陸。指揮官は野中勇三郎大尉。武装は60キロ爆弾90発。

0530(0730)、台南空零戦9機がラバウル基地を発進する。「内1機引返す」とあるが、「何れの機か不明」
指揮官は河合大尉。任務は「グァダルカナル攻撃陸攻隊援護」

木更津空の行動調書によれば、0530(0730)、台南空零戦7機と合同。

いっぽう、ヘンダーソン基地では、0815にVMF-224の4機が上空警戒に離陸。会敵なく0915に帰投。

翔鶴飛行機隊の行動調書によれば、零戦5機が0635(0835)にブカ基地を離陸。任務は「敵機攻撃」、指揮官は指宿大尉。瑞鶴隊は資料がなく不明。

木更津空の行動調書によれば、0645(0845)、第三艦隊零戦13機と合同。

三澤空の行動調書では、0732(0932)にアレクサンダー岬(※チョイセル島の北西端)を通過。

VMF-223の戦時日誌では、1010、アラートによりスミス少佐、リンドレー少尉(※昇進?)トロウブリッジ少尉、リード少尉、フレイザー少尉、ウィンター少尉、ケンドリック少尉の7機のF4Fが離陸となっている。

木更津空の行動調書
に、
0830(1030)に「戦斗」という記述がある。他の陸攻隊や零戦隊には該当する記述はなかった。0850(1050)、警戒。

VMF-224は1050に4機ずつ3ディビジョンの合計12機が離陸。第1ディビジョンはゲイラー少佐が、第2ディビジョンはドビン少佐が、第3ディビジョンはミッドウェー海戦時のVMF-221では大尉だったアーミステッド少佐が指揮官だった。第3ディビジョンは接敵できなかったが、第1、第2ディビジョンとVMF-223は基地上空約22,000フィートで18機の双発爆撃機と22機のゼロファイターと遭遇した。VMF-224はこれが初空戦だった。

翔鶴行動調書によると、0910(1110)に攻撃隊と分離先行としている。しかし0915(1115)に「敵上空突入敵戦闘機四機発見之れを追撃せしも雲中に逸す」

陸攻隊と合同進撃していた台南空零戦隊も、ガダルカナル上空突入時刻を0915(1115)としている。「敵グラマンfc約10数機と交戦」。この空戦で第一小隊三番機の國分武一三飛曹と第三小隊三番機の山本健一郎一飛が行方不明となる。

MAG-23の戦時日誌では、1130に空襲、VMF-223とVMF-224の16機のF4F-4が
、18機の三菱97双発爆撃機と22機のナゴヤゼロからなる敵爆撃隊迎撃に離陸。

木更津空行動調書では、0935(1135)、「爆撃針路に入る 全弾飛行場に命中、小型機約10機及高角砲陣地(約8門)弾幕にて覆い六ヵ所炎上せしむ」。0943(1143)「爆撃終了 グラマン戦闘機約7機と空戦」損害は木更津空1機と三澤空2機が被弾。軽傷者1名。被弾機と負傷者氏名はわからなかった。

海兵隊第3防御大隊は、1138に高度24,000フィートで針路225で進入してくる21機の戦闘機と18機の双発機に90ミリを発射。双発機1機を撃墜としている。

翔鶴零戦隊は0945(1145)「敵上空を30分制空後帰途に就く」

いっぽうラバウルでは、第六空襲部隊の戦闘概報によると千歳航空隊の陸攻10機が1200にブナカナウ基地に進出している。

爆撃と空戦後の三澤空と木更津空の陸攻は、三澤空行動調書によると、その後1030(1230)にヴィスヴィス島、1106(1306)にショートランド島、1235(1435)に基地帰着となっている。木更津空では1255(1455)にブナカナウ基地に帰着としている。

台南空零戦隊の6機は1230(1430)にラバウル基地に帰着。

翔鶴飛行機隊の行動調書では、単に1300(1500)に全機帰着と書かれているのみであるが、第六空襲部隊の戦闘概報第一三号によると、「二、3F零戦隊は攻撃終了後RRA(※ラバウル東)に帰着明三日零戦十五機艦攻六機母艦帰投の予定」となっている。また、ガダルカナル守備隊からの連絡で、新郷大尉の無事がこの日確認されている。

VMF-223はスミス少佐とトロウブリッジ少尉とフレイザー少尉がゼロ1機の撃墜を報告。
初空戦のVMF-224は隊長のゲイラー少佐が爆撃機1機と戦闘機1機、ジョン・ジョーンズ少尉とジョージ・ホロウェル少尉が爆撃機1機を撃墜、副官のドビン少佐とディーン・ハートレイ少尉が爆撃機1機を不確実撃墜と報告。1300に全機無事帰還。
MAG-23の戦時日誌では、1315に全機が無事帰還。
何故かドビン少佐とハートレイ少尉の不確実撃墜は書かれていない。

日本側の撃墜報告は、台南空の大木一飛曹のグラマン2機撃墜のみだった。

陸攻隊の爆撃はVMF-223の野営エリアにもおよび、テントと装備の一部が損傷した。
南太平洋軍司令部の戦時日誌によると、爆撃の被害は、「1人戦死5人負傷、機材はSBD1機が破壊され、また、ガソリンと弾薬にもいくらか損害があった。」となっているが、破壊されたSBDの納入番号等は確認できなかった。

第六空襲部隊の戦闘概報第一三号によると、「四、千空陸攻十機一二〇〇RRE(※ブナカナウ)着6AB第二部隊指揮官指揮下に入る」「五、明日使用可能機数 陸攻木空十二、澤空九、千空十、」「六RX?(※?)守備隊長より 3F零戦隊指揮官新郷大尉は無事収容の電ありたり」
 
この日、第一航空隊の零戦10機が、特設空母春日丸から名称が変わったばかりの空母大鷹に搭載されてラバウルに到着しているが、その後第一部隊(※台南空)の指揮下に入ったようだ。