カッサーラの街にようこそ!(^^)
今日の横浜は曇り空です
今日3月11日、東日本大震災から6年が経ちました。
今回は以前のブログ”ケニーGブログ”でUPした記事を一部加筆修正して再掲します。
<再掲する理由>
最近のTV新聞は東日本大震災当時の地震や津波のことは報じても福島原発事故のその後は殆ど流しません。また政治家や行政も放射能については遠い過去の出来事のように殆ど触れませんので敢えて再掲します。
<再掲開始>
”一滴(ひとしずく)の水”
僕(一滴の水)は、2011年3月に発生した福島原発事故により高濃度放射能汚染水になりました。
先ず始めに、僕達ここに居る水は、放射能汚染水になりたくてなったわけではありません。
今は真っ暗な粗悪な材質で出来た仮設保管容器の中にいます。
仲間の一部は劣化した容器の繋ぎ目から少しずつ漏れ出しています。
また僅かな隙間から蒸発して大気に逃げ出した仲間もいます。
僕たちは、同じ所でずっと留まることは教えられていません。
自然の神様からは地球を常に循環するように教えられてきました。僕達の年齢は、人間が作った時間で言えば数十億年経ちます。
今まで雲になり雨になり山の渓流として川を走り、地下水になり、時には湖の水になり、海に辿り着いてきました。
そして蒸発し再び雲になり雨になることを何度も何度も繰り返してきました。
僕たちは地上に降りた後、地上にいる動物や虫や植物や大地からとても喜ばれてきました。
時には木や草に吸い込まれ植物と一緒に仲良く暮らしてきました。
昔は恐竜やマンモスの大きな身体の中にも入り血管や細胞の中で穏やかに暮らしてきました。
もちろん人間とも長い間仲良く付き合ってきたつもりです。
2011年3月12日
僕は福島県の地下を流れていた頃、あと少しで海に辿りつくところで突然吸水ポンプのホースで吸い取られました。
その時『原子炉の冷却水として早く注入しろ!』と叫ぶ声が聴こえました。
僕たち近くに居た仲間は訳が判らないまま原子炉の中に注ぎ込まれました。
原子炉の中には熱い燃料棒というものがあり僕たち水は、その熱い燃料棒の冷却水として使われました。
その中はもう熱いのなんのって言葉になりません。
僕たちの仲間は、ずっと高熱の中を循環し今まで頑張ってきました。
高熱の中をずっと耐えてきたのに僕たちは、誰からも感謝の言葉を掛けて貰えません。
熱い燃料棒近くに居た時『高濃度になってきた。そろそろ冷却水を入れ替えて仮設保管施設に移せ!』と言う叫び声が聴こえました。
僕たちは、周りで何が起こっているのか判りません。
僕たちの仲間は、人間が作った原子力発電所の燃料棒を冷やすために冷却水として、このように利用されてきたのです。
そして気付いてみたら部屋は真っ暗な仮設容器の中です。
僕たちを時々計測する人たちから『何ベクレル』とか『何ミリシーベルト』とかの声が聞こえ記録用紙に記載されています。
暗くてとても不安な気持ちです。
この仮設保管施設に貯蔵されている僕たちは”汚染水”と呼ばれ日本や世界の人々から一番嫌われた存在ではないかと言う噂が拡がっています。
僕たちがこの場所から外に出ると地上の人達は”汚染水”と呼び地球上で最も酷い悪魔の水のように取り扱います。
僕たちは地球上で一番の嫌われものになり本当に悲しい気持ちになります。
今まで数十億年、地球の血液と呼ばれ自然界で活動してきた中で、人間からこのような酷い仕打ちを受けるとは思いませんでした。
聞くところによると僕たちが普通の水に戻るまでに何千年も何万年も時間が掛かるようです。
場合によっては普通の水に戻るには何億年も掛かる汚染水もあるそうです。
僕たち”一滴(ひとしずく)の水”は地球のため自然のために産まれてきました。しかし今ではこの地球上で一番の嫌われものです。
心ある地球上の皆さん
僕たち”一滴(ひとしずく)の水”は、長い間自然と共に地球を循環して暮らしてきました。
好きで汚染水になったわけではありません。
今のように放射能による高濃度な汚染水と呼ばれ地球上で一番の嫌われ物になった僕たち仲間を地上の動物や植物や大地と過ごせる水に早く戻して下さい。
僕たちが産まれた故郷は皆さんと同じこの地球です。
僕たち”一滴(ひとしずく)の水”は、地球の血液として自然の中で普通に暮らしたいのです。
僕たち”一滴(ひとしずく)の水”のささやかな気持ちを少しでも多くの皆さん判って下さい。
最後までお読み頂きありがとうございました。
<再掲終了>
ケニーGブログ
汚染水になって下さった水、そして全ての水に感謝です。