こんにちは
前回の記事に
ニッコーキスゲ
と
書いていましたね
このままを
このブログの検索爛に入れたら
自分の過去記事に行けませんでした
このようなとき
なごみは
こんなお顔になります
↓
結局
です
よくよく見たら
他の記事は
ニッコウキスゲ
と
書いていたんですね
ニッコの後に続く文字
が
横棒 ー ではなく ウ ね
ワタシ ほんとに
なにを
記憶してイルのでしょう…
おっ♡
いる
という文字が
カタカナで出た!
カタカナは
モ
宗家なごみリュウでは
右からも読む
別文字にも変換できる
それなりに!
を
適宜お考えください
を
推奨しています
ですから今回は重ねて強調して
イル
は
こうなりました
↓
ルイルイ♪
ついでに
お歌が脳内に流れる~ぅ
Lui-Lui
という曲
知ってます?
♬ めをサマセよ さあ めを サマセ
アカ イクつ は うミにスてたヨ♪
1977年7月5日に発売された
1+9+7+7+7+5=36 3+6=9
句?
太川陽介さんの曲です
諸事情により文字を変更しています
2眼の歌詞です
こちらのレコード発売日は
kin3の日 なんですね まあ
わかる方はわかる
で
お願いします
再生時間2:34の動画も
ありました
さっき から
脳内リフレイン
法螺
コんナに カワ(・∀・)イイ!! キミに アエタ もの
まるで ゴ キゲン さ
ルイルイさ
イル入ル
この方
トークが上手ですね
最初は話すのが苦手だったそうです
ただいまは歌手よりも
その方向でお仕事をされておられます
ご本人が
ヒット曲が1曲だったから…
そのおかげです
みたいなことをおっしゃっておられるようです
なごみからすると
この方が
トークが上手な 今の空間場に いらっしゃるのは
この方にとって
その時点で
未来確定事項だったんだ
と
そう思います
過去という時空間において は
スんバラスゐヒット曲を1曲にするしかなかった
でもありますね
ある時点では
残念なこと
それこそが
必要で大切である
ということも
ありますね
そして事象が起こるのは
あれをしたからこうなった
だけで解釈できる
そのようなものでは
ナイ
と
わたしは思います
なごみ人生の
あれやこれやの喜劇!の歴史から
これを得ました
なごみが
ぼーとして イキ て いる
そのおかげでもあります
へっ?
ワタシ
しっかりしているように
みられているんだけど…
それ!
イイカンジの
サッカク!思い込み!!キノセイです!!!
このヒト
なにかをなんとしてもこうしたい!
とか
ほとんど思ったりしない
ある意味
箱入りのおジョウちゃま
なんですよ
今回の 直線過去→未来人生
だけで
あれをしたからこうなった
が
そのまま当てはまるのであれば
あのなごみさん
ほとんど
可もなく不可もない
面白くもない人生になった
そう ヨソウします
終わらない喜劇
を
毎フン!体験している このなごみさん
は
役割を為すことなど
出来るはずもなく
みなさまに還元させていただくという
頭書の目的など
見事に忘却の彼方へ行っちまった…
という
わけわんない
寸劇を上映する
ことになる
かと存じます
前回の記事の
ニッコーキスゲ
は
訂正せず
そのまま記載してあります
なんだかよくわからないんですが
其の儘にしておいた方がいい
そう思いました
Ikko Nikko Sanko
↑
なんでここにアルファベットが?
人の名前?会社名?土地名?
それとも
なんも意味がないけど
アンゴウと見せかけて
ただ
遊んでみました!
でしょうか…
きっとそうね♥
チームなごみのやることだから…
*
前回の記事投稿後に
YouTubeの検索爛に
「浜辺の歌」
と
入力してみたら
一番上に上がってきたのは
3:13
という表示のある
この歌の作品でした
こっちは なごみ そのまま…誕生日
童謡 ですから同様に
ドウヨウ
動揺
それって ドウヨ!
で
ございます(笑)
それとですね
前回の記事で
ご紹介した動画
の
作品下に書かれている文字を
なごみは
キチンと読んでいなかったことも判明しました
そこには
1918年(大正7年)10月に
セノオ楽譜出版社から出版された楽曲です
(藤色くおん♬思い出の名歌さんの動画です)
と
書いてありました
1918年(大正7年)…って
「赤い鳥」
の
創刊の年と同じなんですね
なごみが
「浜辺の歌」
という語彙に注目したのは
あの記事の中の
亀さんの件の内容が出た番組(午前8時から)が始まる
その少し前に
なごみ家テレビでは
火野正平さんの番組が流されており
番組内で
読者さんからのお手紙を読み上げておられました
その中にあった語彙が
「浜辺の歌」
でした
実は
その番組で
その曲のお話しをされている最中 に
なごみが記事を綴っていたとき に
ふとしたはずみで
手が滑り
同時に開いていた別窓だと思い 間違って閉じてしまいました
そのため
その日に書いていた記事 が
保存していなかった内容 が
途中から
消えました…
これね
実は
予定通りに
なんですよ♡
のちほどわかります
このなごみさん
記憶がーどこ行ったーあ
に
すぐになります
ですから
時空間が歪んだ?
みたいな時系列で書くしかなくなりました
いつも!ですけど…
もしかしたら
朝番組内のタイトルにも
正確ではない語彙がある
かもしれません
その際は
ほんとうに申し訳ないです
ひとさまの出された情報は
取り扱い注意
と
考えております
今回も
カメ なのか 亀 なのかわからなくなり
両方の語彙で
書きました
些細なことかもしれませんが
間違えて書くことで
ニュアンスが おひとによっては
違って伝わってしまう
ということも起こる
ということを
知っております
とくに発信する場をもった
ということは
影響が大きく拡がります
己ひとりではまかなえない
そんなことも
起こり得ますね
ですから
どこかで出された情報で
その内容を語彙を
書くことが必要になった場合は
ですが
提供元を表示する際に
その文節枠の中に
自分解釈などは
なるべくさしはさまぬようにと
考えております
複数のニュースサイトなどでも
同じ件を扱っていても
細かい情報が微妙にちがっている
というときもあります
同サイトであっても
そのとき以降に
修正変更削除になっている場合も
あります
わたしは
公になっていることは特に
そのままをそのままに書くことを
最優先にしております
ですが
それが叶わない場合もありますね
記憶あっちこっちと標榜している
そのなごみが
地球プレーヤーですので…
いずれにしても
責任は己にあります
わたしたちは
どなたかのおっしゃったことを
受け手のわたしたちが
その事象を
自己都合感覚で
勝手に解釈することがあります
すべての事は
層になって其処に存在しています
わたしたちが
目に出来るものは
そのほんの一部です
そして
隠されているものが
その事象を支えています
いつでも
ひっくり返るもの
でもありますね
*
で
「浜辺の歌」
の
件に戻ります
投稿した 当日に ヨルに
その番組の再放送を見ました
なんと
そこでは
火野正平さんが
その曲を歌っていらっしゃいました
他の作業をしながら
横目で見た 耳に入ってきた
ですので
正確かどうかわかりませんが
山口県の綾羅木
という音が見え聴こえてきました
詳しい内容はよく分からずじまいでした
ですので
この語彙で検索しましたら
綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)
北緯34度0分46.0秒
東経130度55分28.3秒
という
国の史跡があるということを
知りました
どっかでこの遺跡について
調べてみてね♡
それと
記事を書いていた週は
火野正平さんが回られている場所は
山口県
日本の都市公園100選でもある
「維新百年記念公園」
の名前
と
”冬の鶴”
というフレーズも
聴こえてきました
”冬の鶴”
という言葉が
”夜の鶴”
に
なごみの中で自動的に変換になって
感慨深い…
そう感じました
*
また
昨年に
とある遺跡について
調べております
それは
あやめづかこふん
菖蒲塚古墳
です
こちらに関わる和歌?があります
なかき世の 眠りを覚ます 金仙池
あやめひらく 南無観世音
また これとは別に
なかきよの とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの おとのよきかな
という和歌があります
こちらは
回文歌
です
逆から読んでも同じ音になる
という歌です
回文については
過去記事にすこし書いた
と
思います
お調べしました
「まさか さかさま」
です
先ほどの
どちらの句も
はじめの部分に音として
なかきよの
と
ありますね
なかきよ
は
長き夜
と
書いているところもありました
この二つの句についても
すこし思うことがありました
先の和歌
なかき世の…
は
弘法大師に関りがあるようです
また
菖蒲塚古墳
の
お隣には
隼人塚古墳
が
あります
新潟県で起こった
昨年11月の
原因不明の
赤くなった川
について調べていた時に
その付近であろう場所を地図で確認した時に
白根 という語彙を見つけました
この付近には
チューリップの産地があるんですよ
子供たちが
まだまだ幼き頃
(ひとりはふにゃふにゃ赤ちゃん)
家族で
伺った場所があります
写真が残っていましたので
見出し部分に載せました
その付近が
いまの
新潟市南区になっている
を
このときにはじめて知りました
昨年に
新潟市南区の赤くなった川
その川と思われる場付近の
そちらのニシ側には 何があるのだろう
と
思って辿って行った先に
その古墳がありました
どうして
ニシ方向へ?
と
思った方は
前回登場した
とら
という音で発する
虎
の
タイトルが入っている
過去記事をご覧ください
古墳についての記載があるかと思います
追記
1月30日放送の”じゅん散歩”(テレビ朝日)
なんと
2023年10月開業
の
虎ノ門ヒルズ ステーションタワー
タイムリーですね!
また
数字そのままが
そのままに現れて
なごみに関係しているよ
と
伝えてくれた川は
新潟県を流れる川だけではありません
他にもある
ということは
過去記事をお読みになっていらっしゃる
みなさんは
ご存知ですね
そうです…
京都を流れる
赤くなった
”鴨川”
や
奈良県の
緑になった
”竜田川”
どちらもです
その付近のことが
とても気になりました
京都は
夫が 勉学以外のものにも
ご執心だった場所でもあり
わたしたちが
挙式をとりおこなった場
でもあります
こちらの会場は
昨年春までは建物が
残っていたようですが
名前は変わっていました
そして
昨年3月に
営業終了されたようです
その後については
よくわかりません
こちらのことに関わることについては
別機会に
お伝えできるかと思います
今回は
ここまでだけ
となります
で
ここから
奈良県の
”竜田川”
の
お話しになります
こちらを調べていたときに
紅葉に鹿
の
(過去記事に載せていた)花札のお写真を
また
思い出しました
そして同時に
百人一首の和歌
も…
過去記事に書いた(とオモウ)
百人一首17番
在原業平
ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ
からくれなゐに みずくくるとは
と
百人一首69番
能因法師
あらしふく みむろのやまの もみぢばは
たつたのかわの にしきなりけり
17番と69番
という数字が意味深!
17
という数字は
生父の誕生日の日の数字でもあります
13の月の暦で
kin17
は
なごみ古代キンkin173
が
ガイドキンであり
kin69
は
なごみ古代キンkin173
の
ガイドキンです
あれま!
でございます
古歌に詠まれた
たつたがわ(竜田川)
は
大和川の下流をさす
と
書かれている文献を読みました
其処から
斑鳩 三室山(神奈備山) 龍田大社
石舞台古墳 酒船石遺跡
などが
気になりました
特にその内容の中にあった
いろんな数字が気になったのは
石舞台古墳
です
こちらは
1952年3月29日に
国の特別史跡に指定されたそうです
この日は
13の月の暦でkin140
こちらのガイドキンはkin88
kin88
は
なごみ古代キンkin173の神秘キン
です
こちらも
88
という数字に包囲されている
空間場での
知ること
のようです
そして
古墳のある場所の
座標
特に緯度が気になりました
石舞台古墳の座標
は
北緯34度28分0.44秒
東経135度49分34.14秒
ーWikipedia参照ー
だそうです
広島で原爆投下
(1945年8月6日)
の
爆心地の座標
は
北緯34度23分40.5秒
東経132度27分17.3秒
↑
この情報は
2020年10月11日の中国新聞デジタルに
載っておりました
このそれぞれの座標は
単体の数字をそれぞれ
足し算してみました
石舞台古墳の座標は
北緯 3+4+2+8+0+4+4=25 2+5=7
東経 1+3+5+4+9+3+4+1+4=34 3+4=7
W7
ですね
古墳の
天井石は77トンなのだそうです
広島の方は
北緯 3+4+2+3+4+0+5=21 2+1=3
東経 1+3+2+2+7+1+7+3=26 2+6=8
ふたつで
38 もしくは 83
年月日は
1+9+4+5+8+6=33 3+3=6
です
ちなみに
長崎の原爆投下
(1945年8月9日)の
座標は
北緯32度46分13秒
東経129度51分57秒
です
式はゴメンナサイ…
北緯は 1
東経は 3
ふたつで
13 もしくは 31
年月日は 9
となります
広島と長崎
で
69
また
酒船石遺跡
は
座標は
北緯34度28分31.59秒
東経135度49分23.62秒
共に8
88
でした
字数制限になりました
詳しくは
次回にお伝えします
昨年の3月から
ブログに登場している
カミの数字
↓
そのままが
なごみ母の生年月日なんですよ♡
ご参集
ありがとうございます