あさる いさる すなどる | かぐわし 東北

また

お会いできましたね

 

とっても

うれしいですクローバー

 

そんなつもりがなかったのに…

というお方も

大歓迎ですラブラブ

 

 

 

今回も

難問題が

出されております汗

 

記事が書き終わるころには

 

どんなもんだい

エッヘングッ

 

となる

予定

です…たぶん

 

ニコニコ

 

 

 

 

今回のタイトル

あさ(る) いさ(る) すなど(る)

ですが

 

 

これは

ひとつの漢字の

訓読みした場合の読み方を

平仮名でかきました

 

 

 

(る)の前の漢字は

 

 

 

という文字になります

 

 

 

もしかして

あなたさまは

 

この

なごみさんの日常の発想に

缶か?

いえ

感化されまして

 

括弧書きした部分

はやくも

反応されて

 

下矢印

浅いさ砂土

 

とか

理屈などない

語呂合わせをなされて

いらっしゃりしていたとしたら

 

わたしの

思う壺!!

でございます

 

思う壺とは

意図したとおり期待したとおりに

なること

 

壺 は 壺皿

(竹とか籐で編んだものにサイコロをいれて振るもの)

熟練したサイコロ師は

思った目を出せることがその由来

 

だそうです

 

 

でもって

あなたさまは

 

 

このひと

どこかに仕込みを入れていると

どこかの記事に書いてたし

 

 

変なところに

カタカナ

とか

平仮名

とか

出たら

注意しなくては…

 

 

 

うっかり

思い始めておりましたでしょ?

 

 

 

ただブログ記事を読むだけの

おつもりだった

 

あなたさまは

 

実は

 

もう

この世界に

 

知らないうちに

 

アクターのおひとりとして

劇団イッキ生ビールのお仲間として

(この語彙が登場している過去記事もあります)

参加されておられることに

なっております

 

 

最近の記事に

生ビール(ビール)とか日本酒(日本酒)も

登場してましたでしょう?

グラサンOK

小道具バッチリです!

 

 

はい。

筋書き通り

でございます

 

 

 

 

 

 

読者も劇中に参加してしまうという

筋書の

有名な作品があります

 

 

” ネバーエンディングストーリー ”

【はてしない物語】

 

この作品を

観た 聞いた 読んだ

とかいう

いずれかの鑑賞の方法で味わったという

体験をされた方は

多いと思います

 

映画で 音楽で 書籍で

とかでね

 

 

ワタクシの

可愛らしい愛らしい麗しい時期に

巷の皆様が萌え萌えラブラブしていた作品です

 

原作者は

ミヒャエル縁で

これは勝手に変換されました

あらまラブ

でございます

 

ミヒャエル・エンデ

ですね

 

 

 

 

ワタクシもあなたさまも

ご自分特製の脚本に

それぞれが

それぞれに

ただいま

ご出演中です

 

 

 

あなたさまの世界では

ワタクシが

登場している

 

です

 

 

 

わっ!

なんの因果か…

 

思いましたか?

 

 

その通りを

ただいま

あなたさまは申されましたね

 

 

 

わっ!

 

と…

 

 

 とか 

になっている円(縁)

 

となった

 

ということです

 

 

でもって

となり

目印となり

こちらにもそちらにも

イン

した

ということです

 

 

拍手

 

 

はい

ここから

あなたさまは 例のセリフを

どうぞ!

 

 

ちょっと

何言ってるんだか

わかりません

まあドキドキ

 

このたびも

 

適切な

いえ

 

のたまっていただき

ありがとうございます

 

 

 

これも

 

ワタクシに

朝に夕に

 

たっぷりと

サン〇ウイッチマンのコントを

拝見できる環境を作っていただき

 

その結果

どなたからも反応がないという

磨いたコントを

(あらーキラキラ 滑るぅ~滑ったぁ~)

脚本に反映することが可能となったのは

 

わたくしとあなたさまの知らない

 

背後にいらっしゃる方々の

ご配慮の賜物でございますね

 

 

もっと

何言ってるんだか

わかりませんプンプン

ですか?

 

 

 

 

そのようなおかたは

 

 

 

ほっといて

続けます

てへぺろ

 

 

 

 

先ほど書きました

 

浅いさ砂土

 

こちらの  つながりということで

思い出がありますのよ

ワタクシ

 

 

 

浅い⇔深い

こちらも関係してるの♡

 

 

 

今回は

これを

お伝えしますね

 

 

 

ワタクシが

とても可愛らしいときに

たぶん

小学校低学年のトキ

です

 

 

家族と親戚かご近所の方々と

海水浴に行きました

 

小さい時は

あちこち近隣の

海や山に

連れて行ってもらったんだと思いますが

父はわたしには

苦手な存在で

怖い

という気持ちの方が強かった

こともあり

父との思い出は薄いです

 

 

 


そのときに

 

父がね

スコップ持参で行きましたの

海水浴なのに…

 

 

これね

父は

海水浴が目的ではなく

浜辺の砂を掘るつもりで

持参したことは

その後の状況を見てわかりました

 

 

どなたかとご一緒に

されていたのかもしれませんし

ご自分の希望だったのかは

わかりませんが

 

掘って掘って

いろいろ工夫して

 

できあがったものは

ヒノキ風呂の浴槽のような

きっちり長方形のものでした

 

 

砂浜から下方向に

深さがね

結構ありました

 

 

そのなかに段差をつけて

こどもたちが座れるようにも

してありました

 

 

 

大人になってから

海浜で砂を掘ってみたことがありますが

とてもむずかしい

ことを

していたんだな

思いました

 

 

砂が

どんどん崩れますし…

あっという間に元の砂浜の位置と

かわらなくなります

 

 

 

 

 

 

 

そのときに

出来上がったときに

その中に子供たちが座り

写真も撮ったようにも思いましたが

 

写真は

あったかもしれませんが

あいにく

生家は火災で焼失しましたので

残ってはおりません

 

 

 

ただね

父の

表情は

うっすら ほんとうにうっすらですが

覚えております

 

 

いずれトキが来れば

崩れてしまう

跡形もなくなくなってしまうものだと

わかっている

 

砂で出来た創作物

見下ろしながら

 

 

やり遂げた

ということに満足した

表情に見えました

 

 

このお風呂のような形の砂の創作物は

中に段差が設けられているところなど

生家のお風呂と形が同じ

でしたんですよ

 

 

 

 

父は

この数年後

自宅の

浴槽のなかで病死しました

 

 

思いっきり

満面の笑みを浮かべた状態で…

(過去記事にあります)

 

なんかね

この海水浴のときの状況と

想うことが

かぶったりします

 

 

わたしは常々

人生の数式 と言う言葉

持ち出しながら

 

数式にあることが起こる

記事に書いておりますね

 

 

ワタクシにとっては

父の存命期間は

 

それであった

 

いうことです

 

 

 

 

そういうことを

 

こだわりなく ひっかかりなく

思えるようになるのには

一定期間が

 

わたしには必要でした

 

まだ

途中かもしれませんけどね

 

 

わたしたちは

つねになにかを想っております

 

何かを見たとき 知った時の反応は

それぞれ違っていますね

 

とっさに出る反応に

すこし注意深くなると

自分のことを知る手掛かりになるかと

思います

 

 

すべてがつながって存在しています

 

なんらかの機会があって

 

自分の

発想の土台を知り

なにかをして

変更してるつもりが

 

表面をなぞっていただけだった

ということであったことを

 

自分自身から

知らされることも

ありますのよ

 

 

 

 

まだ幼いそのときに

 

自分が

父を

そちら側に送り出してしまった

のではないか

 

 

 

罪びとのような感覚を

 

無意識にもっていたかもということを

自分のなかに

みました

 

 

 

これは

この世界を去るということを

どう考えていたのか

につながっておりますね

 

 

 

幼きときに思い込んだ心情に

どっぷりとはまることになる

の図式は

 

まるごと

すべて

私が書いた脚本設定となります

 

確信しております

(方向性の伏線がちょいちょい準備されておりましたので…)

 

 

ですが

この脚本

 

数式としてあらわされておりますから

具体的な起こり事内容は

前もっては

表示されない模様なのですのよね(笑)

 

 

 

残念ビックリマークでもありますが

 

それこそが

ありがたいことでもあります

思っております

 

 

 

この年齢になりますと

 

なんでも

具体的に

知ればいいってもんでもないし

 

どなたでも情熱さえあれば

やっていいものでもない

 

体感しちゃったりします

 

 

ここでも

分相応 器相応

です

 

 

 

すこし

例えを申し上げます

 

 

どこかで

 

どなたかが培ってきたなにかの

その方法を知ったりする機会があったりするときに

 

その方法がまるごと

あなたにあったチョッキ

間違いましたあせる

 

あなたにあったベスト

ではありません

 

 

衣料品などをお求めになるお店で

お店側の

 

思う壺に

はまる

いえ

はまってみせて?

ご自分に酔う

体験することがあります

 

 

それなのに

 

お家に帰って

しばらくしてから

 

そんなはずでは…

体験することとか

ありますでしょ?

 

 

そのお店に準備してあった

 

女優ミラー

とか

照明とかの盛る小道具のお力を

 

自ら

率先して

証明したりしてましたものね

 

 

これにより

 

自分にまったく合っていなくても

あっているかのように錯覚したり

自分に酔ったりします

 

 

一時的に気持ちよく”酔う”

どこでもだれにでも起こることです

 

 

でも

あとから

 

あのとき

”酔っていた”

ということを

自覚することが大切かと

思っておりますのよ♡

 

それから

 

ご自分の力で

”酔い”から覚める

 

となります

 

 

 

わたしたちは

突然

ピコーンと

なにかに気が付くことがあります

そんなとき

じぶんが一瞬大きくなったり

軽くなったりする気分になったりすることもあります

 

そのときに

ご自分の行動に反映しないのであれば

深いところからの気付きとは言えないかもね

思います

 

 

 

行動が変わる

そのひとの発想の土台が変わった

です

 

 

隠されていた恩恵を

すでにいただいていたことを

はっきりと

体感すると

 

お返しするためになにができるかを

考えるようになりますね

(引き算?もありえます)

 

 

そして

行動が変わった

その瞬間に

応援が入ります

 

 

循環還元行動=気が付く=応援を得る

啐啄同時

となるように思います

 

 

前回の記事タイトルが

また登場しちゃいました💦

 

終わってなかったのね

書き手のワタシがビックリ!

 

独り言を

書いてしまいました…

 

 

 

 

この舞台上で ですが

 

わたしは

罪びとでもあるということに

”酔い”

ました

 

 

その後

そうでもあり

そうとも言えない

ということも

 

自分自身から

伝えられました

 

 

その一切合切を

 

まるっと包めるようになってから

自分自身をみつめるまなざしがかわった

 

そんな風にもね 想っております

 

 

 

父はね

満足しておられる

確信しております

 

 

笑顔しか思い出せなくなっておりますもの…

 

 

前から

 

そう(笑顔)だったのかもしれません

 

 

ワタシが自分自身のことを

亡き父に投影していたのかもしれませんね

 

 

 

理屈はどうであろうとも

 

父はワタシの応援者として

いまも

存在しております

 

それを

感じております

 

 

 

劇団イッキ生ビールのみなさま

 

ビール 日本酒 各種アルコール 他で

お酔いになった

その後は

 

ご自分で

覚める

待っておりますよ

 

サイコロは 賽子 と書きます

 

賽の河原の

 

同じ漢字ですね

 

 

みなさまのおしあわせが

とても

うれしいです