日を生きる 星をみる | かぐわし 東北

こんにちは

 

 

 

先日 新聞の見出しが

 

 

思いっきり

おめめ目に飛び込んできましたので

 

今回は

そのこと繋がりでの記事となります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタクシは

ほとんど新聞は読みません

 

 

 

 

 

すこしむかし いえだいぶむかし

 

新聞を読む

 

朝の日課でございました

 

 

 

 

 

首都圏でしばらく生活しておりましたので

 

 

その流れ継承で

 

いま居るこちらの地方紙ではなく

元住んでいたそちら側の新聞などを購読しておりました

 

 

 

夫が単身赴任になってからは

 

日経流通新聞という

マニアックな新聞

 

それ一択になっておりました

 

 

 

 

社会の起こり事は

商品から 流通の流れから 知る

 

みたいな感覚で

楽しく読んでおりましたのよ

 

 

 

 

 それからしばらくして

 

ワタクシの遠視と老眼ミックスがぐいぐい後押しとなりまして

 

 

 

として大切OKという

 

新聞さまの本来の活用方法とはちがう

最高の 再考?

ポジションにそちらさまは移行されました

 

 

 

 

夫がこちらに戻りましてから

やっと

地元の新聞を購読することとなりましたんですが

 

 

 

ワタクシにとっては

神棚とかにいらっしゃるお方ではない

 

あいかわらずの

カミサマ?というポジションございました

 

ありがたい

御開帳の時期は…

 

 

(新聞を)拡げて何かを知る

 

 

 

皆無でございます

 

 

 

 

 

それがですね

 

今回は

 

なんと!

ひと段落 ひとコーナー

読んでしまいました

 

 

 

 

快挙でございます!

 

 

 

こんなことが

ワタクシに起こるなんて…

 

 

 

 

 

読もうとすること自体

珍しいのですよ

 

 

 

 

文字のサイズ 全部

見出しサイズならいいねグッ

思ってますのでね

 

 

 

 

でも

結構長い期間

さまとしてだけ大切だったから

 

 

今後も

かわらないか…も

 

 

 

 (習慣の体験があった)ワタクシでさえ

そんな感じなのに

 

 

ちょっとばかし若いおひとたちは

新聞とかお読みになってますのかしら?

 

 

 

息子も娘も

一昔前のことではありますが

 

あまり見ていなかったような気がしております

 

 

まだ学校の授業が

新聞記事で社会を知ってね

 

全盛時代であったときでも…

 

 

 

 

 

おっと

 

新聞の今後はいかに!

 

とかいう

お話に なってしまいそうでしたね

 

 

 

 

 

 

 

お話戻ります

 

その日の新聞において

どんな見出しだったかということですが

 

 

 

宮沢賢治ゆかりの

小惑星の名についての内容見出し

でした

 

 

 

今年7月7日に国内で正式発表された

惑星の名前が二つそこにありました

 

 

おっ

七夕さま?の

お日柄ね✨

 

 

 

 

この記事を受けて

 

小惑星の一覧を知ることができるサイトを

ネットで覗いてみましたら

 

多方面から 確認する という行動行為を

いまは採用しております

 

ワタクシに必要と

考えております為です

 

決して内容を疑っているわけではありません

 

記憶の確認を

再度行為で重ねてすることが

 

視力優位の記憶のしかたが

わたしにはあったということから

 

生活上大切になっている為です

 

特に発信するという場においては

なによりも

です

 

過去記事にあります

 

 

22352 Fujiwarakenjiro 

 

(藤原健次郎)←ヒトのお名前です

(直径5.7キロ 3.81年で太陽周回)

 

 

 

 

22355 Yahabananshozan

 

(矢巾 南昌山)← 場所 お山の名前です

(直径2.2キロ 3.66年で太陽周回)

 

が載っておりました

 

 

 

ちなみに

宮沢賢治の名がついた

小惑星もありました

 

5008 Miyazawakenji

です

 

 

 

 

小惑星の命名については

 

こちらのサイトが

わかりやすかったです

 

 

 

 

22352 Fujiwarakenjiro

藤原健次郎さんは

1910年9月29日に腸チフスにて若くして他界されましたが

宮沢賢治にとっては

とても大切な方だったようです

 

 

ふたりで

南昌山(標高848メートル)周辺を歩いて

星空を見たとされるような内容も

いろんなサイトでご紹介されていますので

ご存知の方も多いかと思います

 

 

 

 

わたしは

宮沢賢治については

 

数編の作品を読んだ

映像作品を鑑賞した

宮沢賢治記念館を観光として伺った

くらいの情報経験しか持ち合わせておりません

 

 

 

記念館に伺ったときも

おひとが多かったりすると

鑑賞も見学も

本目的のことがどっかにいって

その場の

なにを見てきたのかわからなくなってしまいます

ショボーン

 

 

 

 

 

繊細だからねチョキ

照れ

 

 

 

 

でもね

 

ワタクシには

 

内容を

覚えている必要がその時はなかった

ということです

 

 

 

 

”必要なことは知ることとなる”

生きておりますから…

 

 

 

 

また

 

タイミングによっては

ほかのおひとを気にすることがないそんなときも

あり

 

 

そんなときは

宮沢賢治の世界観をなんとか表現しようとされた

二次的にでも創造された内容の作品の

空間に只今いられたことや

 

実際かたちとして創るために

携われた

知らないお方がたに想像を馳せて

ふるふる

感動したりします

 

 

 

 

日常でも

 

公園のなかの池の周りの

遊歩道なんかを歩くときとかに

 

出っ張りがここにある理由とかを

理屈と違った形で感じちゃったときに

 

ジーンときたりもします

 

 

 

みなさんも

経験ありますでしょ?

 

 

 

 

わたしね

 

ご自分が発見された小惑星に

お名前をつけるという状況のときに

 

ぜひそのお名前を

考えられたお方の発想のなかのことを

想像しますと

 

 

 

これもまた

ジーンとしてしまいます

 

 

 

大切な出会いが そこに確かに 重ねてあった

ということですものね

 

 

 

 

そう遠くない将来に

 

小惑星番号

5008

22352

22355

の3っつの小惑星 と 南昌山 が 一度に確認できるそうです

 

 

 

宮沢賢治

藤原健次郎

南昌山で

 

ですね

 

 

 

 

また再度

過去に読んだ本の中の一節

 

    

人の心は石とともに未来永劫に

 

「中尊寺千二百年の真実」

著者 佐々木邦世

 

 

が浮かんできました

過去記事「産んだ…」にあります

 

 

 

宮沢賢治は

”石っこ賢さん”

 

 

石はイシと発音しますね

 

音一緒の漢字を少しここに記します

 

意志 意思 遺志 遺子…とか

 

引き継がれていくものを

感じました

 

 

 

引き継がれていくものは

 

 

わたしたちに

そのまま還ってきます

 

 

 

 

還ってきてほしいものは

 

どういうものがいいですか?

 

 

紫色のアネモネ かぐわし♡

 

このたびは

こちらのお色のアネモネのお写真を選びました

 

 

 

アネモネ

1月22日 

3月10日 3月12日 3月13日 4月6日 の誕生花

文献によって日にちが微妙に違っております(笑)

いろんなサイトをみれば どんどん増えていく~~爆  笑

 

 

 

 

花びらに見えるところは萼片(がくへん)だそうです

真ん中へんにあるのが小さなお花

 

 

 

アネモネの花言葉には

 

見捨てられた 見放された

という言葉が

びっくり

日本にも西洋にもあるそうです

 

 

 

紫色のアネモネの花言葉には

 

”あなたを信じて待つ”

 

がありますのよ

 

 

 

花言葉には両面の言葉が存在してたりして

なんか

オモシロイですね笑い

 

 

 

 

いつのときも

 

あなた は わたし

 

おもっております

 

 

 

 

ご迷惑です

 

 

 

 

 

 

小惑星という言葉の漢字は

 

ちいさな惑いの星

 

でもありますが

 

ちいさな ワクワク の星

とも変換できますね

 

 

 

ワクという音の漢字です

 

ワクと読む漢字には

 

湧く沸くもあります

 

愉しいですね

 

 

を超えたところにも

なにかがありそうです

 

重ね重ねのワクワクアピールをしております

照れ

 

 

 

 

 

 

夜になれば星を見ることができますね

 

日中もたしかにお空に存在しておりますのに

見えません

 

 

 

見えないということと

そのものがないということと

 

イコールではないということは

 

このようなことからも

みなさんよくご存知だと思います

 

 

 

 

見えていなくても

たしかに存在しているものがそこにあります

 

 

わたしたちの想いを

 

見るということは いまは 難しいですが

 

確かに存在しております

 

 

 

 

わたしたちの知らない世界では

 

どのような想いでも

 

形となって存在しているなんてこともありますね

 

そう おもいました

 

 

 

 

今回 目にした新聞記事で

 

そのことを

またあらためて考える機会となりました

 

 

 

このブログ記事を読んでくださる

みなさまのおかげです

 

 

この世界のお仕組みが

大変ありがたいです

 

 

ご訪問

まことに

ありがとうございました